分かってるんだよ
「……なんですか?」
入江は表情をまた無に戻し、冷淡に訊ねる。
「絵も描写も、展開のスピーディさもいい。だけど」
「いいから。どこがつまらないと感じたんですか」
「なんていうか……少なくとも、以前に君の漫画で味わった感動が、全然ないんだ。熱とか、気持ちって言うのかな。それが入ってない気がした」
拙い語彙で言葉を紡ぐが、それは鼻で笑われる。
「なんですか。そんな漠然とした理由? 恋愛漫画にバトル漫画のような熱を入れたら、世界観や雰囲気が合わないでしょう」
「ずっと思ってたんだが、なんでこの漫画を描こうと決めたんだ?」
「なんで、って」
「だって」僕は本棚の前に積まれた、入江の漫画を指差した。「王道の少年漫画から恋愛漫画なんて、方向性が急に変わりすぎじゃ」
「方向性の変化は、別に不思議じゃない。一つのジャンルだけ描いても、漫画家として成長できないじゃないですか。新しい挑戦ですよ。どこか変ですか? 普通ですよね?」
「ああ、普通だな。でも、そうして迷走しているのは普通じゃない」
「迷走?」
なんだか、容疑者を取り調べする刑事のような気分になってきた。僕は彼女を尋問している。気持ちのいいものではない。
しかし、ここで食い下がるわけにはいかない。
「おかしいだろ。こんな時間まで描き続けてるなんて。この消し跡とか破ったページとか、順調じゃないことくらい見れば分かる。そもそも、僕が寝る前の時点で、あと少しと言ってなかったか? 迷走してるだろ」
「……馬鹿馬鹿しい。素人のダメ大学生のくせに。なにを知ったふうに言ってるんですか」
「僕の目は肥えていると、何度も言っているだろ」
「もう、いいでしょ」
入江は話を切り上げようとする。僕はそれを遮る。
「教えろよ。これを描こうと決めた理由」
「寝てればいいのに」
入江の声色にも、徐々に変化が出てきた。今までは僕に冷たく当たることはあっても、声に感情を乗せることはしなかった。
刺々しく、入江は吐き捨てる。
「……担当」
「担当、って編集者のこと?」
「他にありますか? これは、わたしが描きたいと思ったわけじゃなくて、描けと言われたから、描いているんです」
「それは、なんで?」
「わたしが、若い女子大学生だから」
「えぇ?」
「……自分で言うのも、気持ち悪いんですけど」
「えっと、だから、恋愛漫画を描けって……?」
「まあ、断ることも出来ました。ですが、一応その人は、週刊連載に協力してくれた恩人なので。……若い感性を活かして、恋愛漫画を描いてみたら、というお願いに、まんまと乗ってしまいました」
「な、なるほど。それで、思っていた以上に向いていなくて、苦戦しているといったところか」
「向いていないって、決めつけないでください」
「あ、そうか。だから、『最良』って言ったのか。僕が寝る前、お前はこの展開が最良だと思った、みたいなことを言ったよな。あれ、上手くいかないから、妥協したってことじゃないか?」
「……妥協」
「違うか? 同じだろ」
「……否定は出来ません」
そう言って、入江は立ち上がった。
「もういいですか。話は終わりです」
僕は少し考えてから、同じように立ち上がって、入江を見下ろす姿勢をとった。
「いや……そうだ! 一番大事なことを聞いていない!」
「一番大事なこと?」
僕を睨む目つきは、もはや敵意に溢れていると言ってもいい。
感情が表出してきた。
「なんで漫画家を目指したんだ?」
「なにそれ。言う必要ないでしょう」
この間の、アナログ派かデジタル派か、の質問が思い返される。だが、今回は退かない。
「分かってないようだから言うが……お前は終電も過ぎた、こんな深夜に! こんな狭い部屋で! 居座っているんだぞ! 迷惑のお詫びとして、話す義務がお前にはあるんだ!」
「大声出さないで。うるさい……」
「このままじゃあ眠れないなぁー? 少なくとも、話すまではさぁ!」
「さっきは寝てたくせに」
「気絶したんだよ。寝ようとは思っていなかった。今からは寝ようと思っているが、無理な話だな。全然眠れそうにない」
「本っ当に……言い訳と詭弁ばっか……!」
無感情のメッキが剥がれてきて、僕はようやく理解する。
目の前のコイツは、地球外生命体やアンドロイドなどではない。
人付き合いがド下手クソな、人間だ。
「ほら、話せよ。僕はお前が話すまでずっと質問し続けるぞ! 帰ろうとしたってついていくし、ノイローゼになったって黙らないからな!」
「あなたみたいな人が大嫌いだからですよ!」
「……僕みたいな?」
「なにも分からないくせに、声だけは大きくて、わたしの邪魔ばっかするような……鬱陶しい奴ら……。死ねばいい、全員……」
「駅前にいた二人とか、か」
入江は小中高と苦労したらしい。そういう、「出る杭を打つ」奴ら。
「わたしが漫画を描いて売れれば、あいつらはもう、わたしを馬鹿にすることなんて出来ない。あなたみたいな人と関わることもなくなる。だから、描くんですよ、『ざまあみろクソ野郎』って言うためにね!」
やっと、本心を吐露した。彼女のことを、理解できない存在と遠ざけていては、決して聞くことができなかった。聞いてしまえば、なんて分かりやすい理由だ。
「分かったぞ」
「……なにが」
「その気持ちだ。そういう攻撃性、みたいなのが、感じられないんだよ」
あの漫画は、感情表現が下手な人間が描けるわけがない。むしろ入江は、普通の人間より強い感情をずっと秘めていた。
「『邪魔するな』とか『鬱陶しい』とか。『死ねばいい』とかもだ。お前の絵には攻撃性がこもっていたように思う。だけどその漫画は、なんていうか、薄い。なにも……こもってない」
「だから、つまらないって?」
入江は呆気にとられている。怒りで興奮しているのか、頬は赤身がかっている。
「本当に、大っ嫌い」入江は荒い息を混じらせながら言う。「適当なことばかり……」
「適当じゃないさ」
「いい加減にして! ……自分で分かってるんですか? あなたは、自分を凄い人間だって勘違いしている、どうしようもない馬鹿……羽ばたいていると勘違いして、墜落してるんだって!」
「それこそ勘違いだ。僕はまだ羽ばたいていない。助走中だ」
「もっとどうしようもないゴミクズじゃないですか!」
「お前と僕は同じだからな。だから、分かる」
「誰があなたなんかと同じ……? 知ったふうな口利かないで……」
「知ったふうとか、そうじゃない。僕は知ってるし、『分かってる』んだよ」
「『分かってる』……?」
「なぜなら僕は間違いなく、お前と同じ天才だから」
人々は、なにも理解していない!
僕はいずれ、世に羽ばたく才能を持った、本物の天才だ。今は少し、力を溜めているだけ。助走中の身なのだ。
僕以上に、スポットライトが相応しい人間はいないんだよ。
別に、理解されなくても構わない。
天才とは孤独で、凡人には理解できないものだから。
天才を理解できるのは、天才だけだ。
「天才の僕が、はっきり言う。この漫画はつまらない。お前は、僕が認めた天才漫画家だ。そんなお前が、こんな漫画を描くんじゃない!」
入江は、おそらくは僕を罵倒しようとして口を開き、けれどなにも言わず、唇を震わせながら閉じた。
それから、瞳を潤ませ、やがて雫が頬を伝った。
「お前、感情を爆発させたこと、ないだろ」
「あるわけ……ないでしょ」
涙声で、律儀に言葉が返ってきた。
そういえば僕も、幼い頃に親と喧嘩して、怒っているのに涙が出てしまったことがあった。感情表現の仕方が下手だと、涙というのは何故か出てしまうものだ。
入江が、小さい子どものように見えた。
「じゃ……どうしたら、いいっていうんですか」
すすり泣きながら、不安を吐露する。もはや、仮面を被ることをやめたようだ。
「担当さんは、期待してます。描けないなんて、今更言えません」
「……ひとまず、仲直りするか」
今更になって、異性を泣かせた事実が恐ろしくなり、僕は冷静を装って言った。
「……仲直り? え、喧嘩……だったんですか、今の」
「僕も、言いすぎた気がするし」
と言ってから、急に自信がなくなってきた。同時に、なんだか恥ずかしくなってきた。
「え、喧嘩、じゃなかったか?」
深夜テンション、というやつかもしれない。
「喧嘩かも、しれないです」
熱が引いていくと、頬が熱くなる。なんて、僕らしくないことを。
「その、ごめん」
「飯塚さん」
「ん」
「ごめんなさい」
待ち望んでいた気がする言葉だったが、僕の心に湧いてきたのは歓喜などではなかった。湧いてきたのは、やっぱり恥ずかしさだった。
「……うん」
「それから、手伝ってください」
「……うん?」
「手伝えることはあるか、って訊いてきましたよね? ……お願いします」
「……うーん」
入江は涙を強引に拭って、ぎらついた目を光らせた。僕は困惑しつつも、心のどこかで喜んでいた。
***
死神の黒いローブを、僕は取った。
夢だからか、おぼろげで現実感がなかった。だが、今になって確信した。
あの顔は、入江のものだった。
奴が伝えようとしていたのは、いたって普通のSOSだ。




