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月に叢雲、花に風。大学生たちに幸運を  作者: 春山ルイ
その天才は空を飛ぶ
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漫画のような話 転

「おじさん」


 呼びかけられて、強盗は我に返った。それから慌てて周囲と時計を確認する。状況はほぼ変わっていないし、五分くらいしか経過していない。が、ほんの五分でも意識が逸れていたのは実際、彼にとっては失態だった。


「漫画、面白いでしょ」

「は、はあ?」


 泣き止んだ長男が、怯えたままではあるものの、顔色を窺うように喋りかけていた。強盗は手に持っていた漫画本を放り投げようとして、やめた。


 たまたま棚の上にあっただけの漫画を、うっかり読みふけってしまった。


「お金、取り出しましたけど……」


 母親が金庫を開けて、強盗を待つ。もはや、金でもなんでも持っていって、早く出て行って貰おうと思っているのかもしれない。


 逸る気持ちを抑えて、強盗は母親の手をビニール紐で縛る。


「よし」これだけあれば、と興奮で鼻の穴を膨らませる。


 もう用は済んだと、強盗は安堵で胸をなで下ろす。足早に去ろうとして、漫画本を手に持ったままなのに気がつく。テーブルに戻す際に、作者の名前を見た。


『絵入アン』、か。エイリアン? ふざけたペンネームだ。


 そのとき、電流が流れるように昔の記憶が蘇ってきた。


 強盗が、強盗より以前に罪を犯したのは少年の頃だ。地元の寂れた本屋で、万引きをしたのだ。当時、強盗の家は貧乏で、なにを買うのも簡単なことではなかった。それで、彼は漫画を万引きした。


 余談だが、彼が当時万引きした漫画は連載が始まったばかりだが、後に大ヒットして未だに続いている人気シリーズになった。もしかすると、彼には漫画を見る眼があったのかもしれない。


 万引きはバレて、父親や親戚、学校の教員にこっぴどく叱られた。当然の結果とも言えるが、そこで諭す大人がいれば、彼は未来でも罪を犯すことはなかったかもしれない。


 彼は、漫画を見ると叱られた記憶が蘇り、記憶を封印すると同時に、漫画も読むのをやめた。



 強盗は舌打ちをし、それでも漫画本を手放せなかった。


「それ、あげてもいいよ」

「は?」


 長男が、おどおどしながら言う。


「漫画、お好きなんでしょう?」と、母親までも意見する。

「馬鹿言えよ」

「ホントに面白いんだよ」駄々をこねるように言う。「もう終わっちゃったけど」


 なんで、この状況で暢気に雑談なんか出来るのか。強盗は内心で呆れる。呆れつつ、どうしても気になってしまったようで、漫画のページを再びめくり出す。



 昔も今も、こんな王道が流行るのかと少し驚いた。時代は変わって、若者の感性にもついていけなくなってきた。しかし、漫画の王道とは、いつの時代も同じなのか。自在に変形する剣を持って、鼻で笑ってしまうくらい顔が整っている主人公で、呆れるほど非現実な悪役を相手にしている。


 だが、強盗は見入ってしまった。さきほど手に取ったときも、そうだった。絵に圧倒され、シンプルだが、だからこそ素直に心に訴えてくるストーリーを受け取る。


 主人公が、大きなコマの中で叫んでいる。


「本当は世界の平和とか、誰かのためとか、そんなことのために闘いたくない」「俺はお前が嫌いだから闘うんだ」


 なんだそりゃ、と強盗は呟く。


 主人公だろ。世界を悪役から救う英雄なんだろ。なのに、そんなことでいいのかよ。お前が嫌いだって理由で行動に移すなんて、相手からしたらたまったものじゃないし、世界中の人間も、そんな奴に自分の命を預けたくないだろう。


 そう思いつつも、魂が籠もっているように感じた。


 単に奇を(てら)った台詞を言わせようとしたとか、浅い考えじゃない。作者の本音が、ここに詰まっている。


 強盗は、そう分析したところで、また読みふけってしまったことに驚く。


「やっぱり、好きなんですね」


 母親が、また言う。その顔は、なぜか強盗に対し同情するかのようだ。


「俺は……」


「こんなこと、もうやめましょうよ」母親は悲痛な声を出した。「強盗なんてしないで、家で漫画を読んでゆっくりする、そんな生活でいいじゃないですか」


 この母親は、強盗の暮らしを想像できていないのだろう。そんな生活、が強盗にとっては喉から手が出るほど欲しいものなのに。



「ふざけんな」


 強盗は吐き捨てる。一緒に、漫画も思いっきり床にたたきつけた。大きな音に、二人は肩を震わして、長男に至っては引っ込んだはずの涙がまたにじみ出す。


「あーそうだな。楽しく暮らしてぇもんだよ、この大金でな! 家に帰って美味い飯食って、漫画を好き放題読めるような生活を、ぜひともしてやるさ!」


 強盗の心は、わずかに揺れていた。


 それはもしかすると、『絵入アン』の漫画を読んで、心を揺り動かされたことによるかもしれない。


 しかし、強盗は自身の心の揺れを無理矢理に鎮め、葛藤する自分と決別した。もう自分は後には引けない。この女が言うような、生活をするためなら、いくらでも罪を重ねてやる、と。


 包丁を掲げ、二人に動くなと、再度脅す。そのまま慎重に玄関へ向かった。


 床に放り出された漫画が目につくが、視線を逸らす。


 このまま外に出れば、逃げられる。逃げて家に帰れば、自由だ。


 浅はかな考えではあったが、彼の眼には今までにないほどの希望の光が宿っていた。



 さて、強盗の行方はどうなるのだろう。

 しかし、その前に、例の彼についての話に戻ろう。なぜなら、彼も決して無関係ではないからだ。

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