週間天才ジャンプ
それから数日間、入江は姿を現さなかった。
大学の後期授業が始まって、外に出ると真面目に出席日数を稼ぐやつらを見かける。いささか、昼間から外出しづらくなった。かといって、とっくに提出期限の切れたレポートを進める気も起きないし、布団に潜れば、余計なことを考える。
たとえば、家に来なくなった漫画家のこととか。
無理に寝ようとして目を閉じれば、暗闇に「死神」が浮かび上がる。八方ふさがりじゃないか。
僕はぼんやりとした視界と脳を晴らすために、久しぶりの学生食堂へと足を運んだ。
夏期休講を挟んだからといって、見慣れない風景になったなんてことはない。食事もほどほどに談笑する学生たちも、カウンターで働く職員たちもずっと同じだ。僕は変わらない風景の、中心に座っていた。
時田は、僕を見つけて、へらへら笑いを浮かべて近寄ってきた。
「杏里ちゃんと仲良くやれてるか?」
「杏里、って入江のことか」
「え、まさか名前を聞いてすらいなかったのか」
「コミュニケーション不全だ。ついでに、数日会ってない」
「おっ、面白くなってきた?」
「やかましい」
ここが人の多い食堂でなければ、手が出ていたかもしれない。こんな状況を作った張本人が、ニヤケ面をしやがって。
「そういえば、あいつとお前ってどんな関係? どこで知り合ったんだ?」
「知り合ったもなにも、いとこだよ。母さんの妹の、娘」
「へー」
「親戚の中でも、漫画家だって知らない人も多いんだよな」
「僕と入江は、明らかに相性が悪い。よくもまあ、あんな厄介を連れてきたな」
「相性悪いか。トムとジェリーみたいだと予想したんだがな」
「トムとジェリーなんか、相性悪そうに見えて、メチャクチャ良い関係だろ」
「だから、そういうのを目指せって話」
まったく意味が分からん。僕はトムにもジェリーにもなれない。
「さて、いよいよ」時田はかしこまる。「お前に杏里ちゃんを託した理由を語ろう」
「たいした理由なんかないだろ」
「ああ、ない」
「おい」
「杏里ちゃんって、人間味がないって思わないか?」
「まあ。人間社会に馴染めない地球外生命体、って思ったことはある」
「彼女のために詳細は隠すけど、小中高と、学校では苦労したらしい」
駅で味わった胃の痛みが蘇る。それから、僕は以前、嫌な茶化し方をしたことを思い出した。
「杏里ちゃん、友だちがいないんだ」
「よくもまあ僕のこと馬鹿にできたもんだな!」
時田は苦笑いを浮かべた。そういえば、こいつが入江にバラしたんだったか。僕に友だちがほとんどいないということを。
「天才なんだよ。あの子は」
「それは、認める」
「で、天才は、普通の人間からしたら、異端なんだ」
「出る杭は打たれるってやつだな」
「流石、自称天才の飯塚君。共感を抱くか?」
「うるさいな。僕くらいになると、打たれないように立ち回るものだ。そういう立ち回りもできてこそ、本物の天才なんだよ」
「出る杭は打たれるなんて言うが、正確には出る杭を打つ、だよな」
「同じじゃないのか」
「打たれるなんて、自分じゃなくて、他の誰かが打つみたいな感じしないか。そういうことを言う奴ほど、無責任に天才という杭を打っているというのに」
「仕方ない。そういうものだ。凡人からしたら天才なんてものは、まるで」
宇宙人のようなもの。出かかった言葉を飲み込む。
入江は、どういった意図で、絵入アンなんてペンネームをつけたのだろう。入江の肌が銀色になり、緑の血を流す想像をしてしまった。
「お前は」時田は指差す。「いずれ世に羽ばたく、才能を持っているんだよな」
急にそういうことを言われると、気恥ずかしくなる。同時に、時田の発言にしては違和感があり、疑いの眼差しを向ける。
「助走をつけている途中だがな」
「そう。お前は天才」
「なんだ、いきなり。気持ち悪い」
「天才だったら、杏里ちゃんの気持ちも理解できるよな」
「できない」
即答する。それとこれとは話が別だ。
「できるよ。お前なら」
「意味がまったく」
「天才しかできないんだよ。あの子を救えるのは」
「救う?」
助けを求められたことなぞ一度もない。
「俺は……ちょっと忙しくてな」
そう言って時田は、指に貼ってある絆創膏を見せてきた。
「なんだ?」
「軽い怪我。たいしたことじゃないんだけどな。とにかく、立て込んでる」
「僕に色々と求めるな。特に、あんな変人はとてもじゃないが扱えない」
「おかしいな。お前は、天才じゃなかったのか」
茶化すが、表情はからかうより、哀れむようだった。
「天才だが……」
「だったら、頼むよ。俺の、大事ないとこだしさ」
「……意味分からん」
「優しくしてあげてくれ」
交換条件すらない純粋な頼みに、文句を言う気持ちも失せた。
意味分からん、ともう一度吐き捨て、食堂の喧噪から逃れるかのように目を閉じて思索に耽った。
***
ふと気がつくと、例の「死神」が暗闇に現れた。
まったく。ゆっくり考える暇もない。
だが、改めてじっくりとその姿を観察してみると、奇妙なことだが恐怖は感じなかった。不気味さはわずかにあるものの、死神のような、命を奪うような存在には見えない。
むしろ、憐憫の情が沸き上がる。
まるで誰にも伝わらないメッセージを発信し続けているような。
今更になって、僕はようやく思う。
一体、こいつはなんなのだろう?




