絵入アン
駅前にある本屋は、まるで燦々と輝く太陽から逃れるための防空壕のようだ。冷房の効いた店内には、明らかに涼むことだけを目的とした客がいる。店員はそれに文句も言わず、レジで突っ立っている。駅中に新しくカフェの併設されている本屋ができたため、文句は言えないのだろう。
工事の段階でミスがあったとしか考えられない、地下への急な階段を降りる。地下一階は漫画やライトノベル、ゲーム雑誌などが並ぶサブカルチャーコーナーだ。
つい最近、ここで漫画を買ったのだが、今日はまた別の目的がある。
漫画の棚を物色しながら、忌々しい入江の顔を思い浮かべる。
今日も、もしかしたら入江が家に来ているかもしれない。だが僕は、こうして早朝から外出している。無機質な視線、口を開けば敬意のない発言。同じ部屋にずっといるのは、はっきり言って苦痛だ。
高校時代には、進学すれば異性と付き合い、部屋でいちゃいちゃできると夢を見た。大学に入って数ヶ月で儚く消えた夢だ。現在の僕は異性と同じ部屋にいるにも関わらず、不快な思いをしている。
高校生の僕よ、そんな夢など早く捨てちまえ。
考えているとますます苛立ってくる。そのとき、一つの漫画が目に止まった。
「もしかして、これか?」
表紙の絵は、昨日スケッチブックで見た絵の面影があった。
「見つけた、けど」
作者の名前が、彼女の名と違った。そもそも、僕は入江のフルネームを知らない。忘れたのか、いや、やはり名乗られていない。
作者の名は、『絵入アン』となっていた。
「絵入アン……えいり、入江?」
入れ替えただけの、ひねりのないペンネーム。しかし、案外ペンネームなんてそんなものでいいのかもしれない。
それよりも、口に出すと『エイリアン』となって、少し可笑しい。アンドロイドのようでもあるし、なるほど宇宙人のようでもある。
やはり、内容はバトル漫画のようだ。細かいところは分からないが、裏表紙に書かれているあらすじから、王道的な雰囲気がある。
全五巻、世に出ている有名な漫画と比較すると少ないだろうが、大学生、いや、この漫画を描いていた頃は高校生だろうか。それでこれは凄い。
「それにしても、本当に漫画家だったとは」
なんだかんだ、疑っていた。
およそ三千円。貧乏学生には痛い出費だ。別に買ったとして、入江に感想を伝えたりもしないし、優しくしてやるつもりもない。ただ、単純に気になるだけだ。
別の棚では、店員が商品の整理をしている。
その店員は友だちなんかではないが、大学で見たことがあった。
確か、志村という男だ。時田の友人で、以前、時田つながりで会話したことがあった。文学部で、漢字マニアなのだという。
また、詳しくは聞いてないが、謎のオタク趣味もあるらしい。
志村が、こっちに気がつく。近づいて話しかけるほどの仲ではないため、軽い会釈に留める。志村も、するかしないか程度の会釈をした。
僕は『絵入アン』の漫画を抱え、レジに持っていく。僕の財布から千円札が3つ飛ぶ。ふと、時田に金を返してないことを思い出したが、仕方ない。時田が僕に入江を寄越したのが悪い。本当に仕方ない。
僕は志村をもう一度横目で見ながら、本屋を後にする。
その途中で、バイト募集中の張り紙を見つけた。
僕の漫画を見る眼は、中々に肥えている。あいつの描いた漫画は、絵が凄いのかもしれない。しかし漫画はそれだけじゃない。ストーリー、登場人物、台詞選び。重要な要素はいくらでもある。どこか欠点を見つけたら、本人に直接駄目出しをしてやろう。
そう思い、僕はファミレスに寄って読みふける。そして、思わず口にする。
「今度描くのは恋愛漫画だと? 違う、絵入アン。お前はこれの続きを描くべきだ!」
***
「引き返せ!」
「……いきなりなんですか?」
「お前が進むべき道は、そっちじゃない! 今の道を進んでくれ!」
「読んだんですね」
入江は本棚前に積まれた自分の漫画を見る。
「それで君、本当に恋愛漫画を描こうとしているのか? 今までの方向性の方が断然いいだろ」
ファミレスで抱いた強い気持ちを、そのまま入江にぶつける。「正直に言って、とても良かったよ」と告げる。
照れたり喜んだりをどうしても期待してしまったが、いつもの調子だった。感情の表現が下手っていうだけならまだ分かるが、内心も微動だにしていないとしたら、いよいよ怖い。
「気を遣わせてますか」
「馬鹿か」
「ありがとうございます」
「その感謝も、嘘くさい」
視線を彷徨わせる。自分の部屋なのに、どこを見るのが正解なのか分からなくなってしまった。何の気なしに机上のレポートを見やった。未だに手つかずだ。
「僕は、しばらく机に向かっているが……君は、好きに過ごしていいぞ」
真面目に取り組む気はないが、しばらく座っていることにした。それは、良い漫画を読ませてもらった礼と言えるかもしれない。取材やスケッチをするなら、勝手にすればいい。
「はあ……」
入江はその意図に気づいたのか、気づかないのか。僕を冷めた目で観察する。
背中に冷たい気を感じながら、僕は終わりの見えないレポートに取り掛かることにした。まあ、途中から寝たのだが。




