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月に叢雲、花に風。大学生たちに幸運を  作者: 春山ルイ
その天才は空を飛ぶ
39/76

漫画のような話 承

  ***


 時には話を戻そう。



 突然の侵入者に、いち早く気がついたのは9歳の長男だった。これが成人であれば、母親に大声で報告するか、話し合いもしくは戦闘を試みたかもしれない。侵入者を刺激しないという点では、9歳でよかったのかもしれないが。


 母親が察知した場所はキッチンだ。いつもと違う声色で息子が呼びかけるものだから、不吉な予感を感じ、背後を振り返った。すると、見知らぬ男が息子の首にナイフを突きつけながら、下卑た笑いをしているではないか。


「だ、誰ですか」


 当然の疑問だ。しかし、口にすべきではない。


 母親の怯えから、わずかに抱いていた「悪戯」の可能性が消え、息子は泣き出してしまった。


 こうなると、強盗は苛立つ。もともと彼は追い詰められていたため、子どもの泣き声にすら、我慢が出来なかった。


 彼の背景を端的に説明すると、金に困っていて、仕事もなく、一世一代の逆転を賭けて空き巣をしたのだ。

 その発想に至るまでに、職場での首切りや、ギャンブルでの大敗など、様々な要因が堆積したわけだが。しかし、この場において、この中年の男は金に困って犯罪行為を働いた、それだけに過ぎない。


この家を狙った理由は、なんてことはない。たまたま、鍵が開いていたからだ。


 強盗は黙れ、と脅す。そして母親には、金を出せと脅す。脅しまくりだ。


 空き巣狙いだったが、幼い子どもがいたことは、強盗にとって僥倖(ぎょうこう)だった。人質を取ることで、物事がスムーズに動く。母親はすっかり青ざめて、強盗の言うとおりにした。抽斗(ひきだし)から万札をありったけ取り出す。


 一文無しに近かった強盗からすれば立派な大金だが、まさかこれだけで満足すると思っているのか、と増長した。


「分かってるんだぞ」と刃を突き出す。「もっとデカい金を隠してるんだろ」


 今日、初めてここを訪れた彼に、そんなこと分かるはずもない。だが母親はそれをデタラメだと疑わず、観念したように強盗を案内した。VIPを案内するホテルマンのように、丁重な扱いだ。


 クローゼットの奥に、金庫があった。強盗は持ち込んでおいたビニール紐を、長男の腕に巻き付けて、万が一でも抵抗されないようにと縛り付けた。


「開けろ」

「な、なにをですか」

「金庫の他になにがあるんだ!」


 金庫にはダイアル錠が取り付けてある。母親に開けさせるのが一番手っ取り早い。母親も縛っておき、番号を教えてもらえば良いかもしれない。しかし、自分がクローゼットの奥に頭と体半分を突っ込んでいる間に、二人が勝手な行動をしてしまったら大変だ。強盗は、母親を自由にして、自分は一歩引いて監視するのがベストと判断した。


 母親がダイヤルを回す。手は震えている。時間がかかることだろう。


 長男は未だにしゃくりあげている。強盗は苛立って貧乏揺すりをする。その音が、さらに母親の手を震えさせた。


 強盗がちらりと別の場所を見る。ふと、棚の上にあるものに気を取られた。


「おい」と、強盗は低い声を出す。


「は、はい」

「お前らの他に家族はいるよな? いつ帰ってくる」


 母親は、夫が夜に、娘がそれより遅くに帰ることを告げた。強盗は鼻を鳴らし、内心で安堵した。


 その気の緩みのせいなのか、強盗は待つ間に、棚のそれを手に取ってしまった。


 酷く後悔することになるとも知らずに。

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