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月に叢雲、花に風。大学生たちに幸運を  作者: 春山ルイ
その天才は空を飛ぶ
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君たちはこうは生きるな

 我が家に客用のテーブルなんてものはない。部屋の隅で壁を向き、上に資料が散乱している勉強机しかない。来客があれば、なにもない空間を挟んで向かい合うことになる。


 僕と入江は、まるで牽制し合っているかのように、無言で座っていた。


「入江は」沈黙を先に破いたのは僕だった。「いくつなんだ?」

「18です」

「え、マジか」

「今年、大学生になりました」


 まあ、見た目だけじゃ年齢は測れない。それにしても、僕より二個しか違わないとは。


「確認するぞ。君は()()()を漫画のネタにしたくて、僕の家に取材しに来た」


「ただの大学生じゃなくて、()()()()()()()()です。残念ながら、わたしの大学ではなかなか見つからなかったので」


「正直に言って、今すぐ追い出したいくらいなんだが……」


 本当に時田から言われて来たのなら、断れない。金は必ず払うとは言ったものの、流石に滞納しているという負い目もある。


「今すぐ時田さんに電話して確認を取りましょうか?」

「ああいや……いいよ。それは分かった。メチャクチャ厄介な展開だってことも、分かった……。それよりさ」

「なにか、疑問がありますか?」 


 さっきから、事前にプログラミングされている言葉を聞いている気分だ。彼女は人間味のない喋り方をする。


「作品のタイトルとか、載ってる雑誌とか、教えてくれよ。漫画家ならさ」

「それは嫌です」

「はあ? なんで……」


「わたしはペンネームで活動しています。それは、関わる人に余計なノイズを与えないためです。わたしの存在がノイズになるので、飯塚さんには読ませたくないです」


「……どういう意味? ノイズ?」


「わたしのことを知った飯塚さんは、漫画を読んだら『これは18歳の未成年が描いた』とか『女が描いた漫画』とか、漫画を読むにあたって不要な情報を思い浮かべてしまうかもしれません。漫画に『わたし』は邪魔でしかない」


「はぁ……」


 読者にとって、作者側の気持ちはいまいち理解しづらい。僕だったら、いくら未成年とか女とか言われても、漫画を描いているなんて周りに教えたくなってしまうだろう。なぜなら、格好いいからだ。


「理解しなくて結構ですよ。分からないでしょうし」

「は」


 唐突に馬鹿にされ、苛立ちも遅れてやって来た。


「飯塚さんが信じるか信じないかは、どうでもいい。わたしはここで、あなたの様子を観察するだけです」

「観察?」

「人の取材には、普段の生活の観察が一番です」

「僕はクワガタやアサガオじゃないんだぞ」


 入江は大きなリュックサックから、百均で売っているようなスケッチブックと鉛筆を取り出した。僕の意思は、本当にどうでもよさそうだ。


 彼女はいわゆる『天才』というやつではないか? 18歳で漫画家なんて、才能に満ちあふれている。


 しかし天才は、その才能と引き替えに、共感能力を欠いている場合があるとか聞いたことがある。そうだとしたら、この自分勝手な振る舞いも理解できる。理解できるが、納得はできない。


「では、どうぞ自然に」

「いや無理だろ」

「わたしのことは気にしないでいいですよ」

「あのなぁ」


 いい加減、はっきりと文句をつけた方がいいだろうか。温和で寛大な僕でも、限度というものがある。仏の顔も三度まで。上下関係を叩き込まなくては。


 と、口を開きかけたところで。


 隣室から、突然の怒号。思わず体が飛び上がる。


「なんですか、今の」


 相変わらずの無表情で入江が尋ねる。恐怖とか苛立ちとか、感じないのか。


「隣人だな。基本的には一人暮らしなんだが、客が結構来る。でも、あまり良くない関係なのか、よく怒声が聞こえる。このアパートは壁が薄いから、かなり鮮明にな」


「大変ですね」


 チャンスとばかりに、僕は言う。


「こんな悪い環境じゃ、取材だってできないだろ。やっぱりやめといた方が」

「別にいいですよ。わたしの家も壁薄いから、慣れてますし」

「あっそ」無意味だった。


「質問です。飯塚さんは、どんな漫画を読むんですか」


 隣人の騒音には、本当に関心がないらしい。怒号が聞こえる中で僕に質問をする。入江は辺りを見回し本棚を発見した。


「流行の漫画はあまりないよ。時田にはマイナーって言われたけど」


 女子高校生漫画家から、僕の本棚がどう見えるのか、少し気になった。



「マイナー、確かにそんな感じですけど。だからといって凄くマイナーってものはないですね。流行を追いたくない、メジャー好きと思われたくない。そんな逆張りの考えが透けているような、漫画のラインナップです」


「……おいちょっと待て!」


 ついに堪忍袋の緒が切れた。いや、袋が木っ端微塵になった。


「君、漫画家だから天狗になってるのか知らないけど、いくらなんでも失礼すぎるんじゃないの? もっと年上で家主で、天才の僕を敬え!」


「ああ、それは。確かにその通りです。申し訳ありません」


 入江は頭を下げた。しかし心の底から反省しているようには見えない。


「大学一年生なんだろ? だったら君の学校の友だちと会話でもしていた方がいいんじゃないか! 漫画を描くより、友だちと電話で長話とかしてる方が、よっぽど有益だ!」


「あなたに人生の有益さを説かれたくないです」


「ふん。君、さては友だちいないな? 君のような性格じゃあ、人付き合いも大変だろうし……ああ、大学生以前は人から避けられてたりしたんじゃないか?」


「時田さんから聞きましたが、飯塚さんは大学生になるまで、まったく友だちができなかったそうですね」


 思わぬカウンターパンチに、舌がもつれる。


「ば、馬鹿だな。小学生の頃にはいたさ。名前は覚えていないが……」


 いつの間にか口喧嘩のようになっていたが、今更もう止めることはできない。僕は舌戦で負けるわけにはいかない。さらなる追撃を仕掛ける。


「そもそも、人間が誰しも、友人とか恋人みたいな人間関係を欲してると思わないことだ。孤独を愛する、選ばれた者だっているんだよ。人と関わらず、たった一人で生き抜くことができる強者ってことだからね。僕は友だちを作れないんじゃない。作らないんだ。孤独を愛する、選ばれた強者だからな!」


「ベラベラと言い訳だけは立派な、言い訳星人って感じですね」

「理解しなくて結構だよ。どうせ分からないんだからね」


 ふん、と鼻を鳴らして相手の顔色を窺えば、しらけた顔で僕とは別のところを見ているのだから、とことん癪だ。


「もういい、君はどうぞ、僕に取材すればいい。ただし」


 相手に喋らせる暇も与えず、僕は立ち上がる。


「僕は出かけるけどね!」

「外出ですか」

「ああそうさ。君はここに居座るかい? それともついてくる? 当然、僕は君なんか無視してやるけどさ!」

「別に構いませんが」


 本当に憎たらしい。最初来たときは面食らってしまったが、はっきりと拒絶すればよかった。


 このまま僕についてくるならそれでいい。人混みに紛れてまいてしまえば、それでおしまいだ。

 取材はしろと僕は言った。時田の頼みも聞いた。あいつが見失うのが悪い。漫画なんか描けなくなってしまえばいい!


 靴を履き、いざ外へ。というところだった。


「勝手にしろ大バカ!」


 一瞬、僕が罵声を浴びせられたのかと思った。しかしそれは隣人の喧嘩だった。怒号の主は今、隣室の玄関から外に出たようだ。ドア一枚隔てて、喧嘩はアパートの廊下で発展し始めた。切れ味の鋭い言葉が、おそらくは一方的に飛んでいる。


「あー……」


 僕は自然と漏れる呻き声とともに、その場でうずくまった。


「出かけないんですか」


 僕は振り返る。


 入江はその場からまったく動いていない。そもそも僕の方を見てすらいなかった。


「出かけたいんだけどな……」

「残念ですね」


 性格が悪い年下と一緒にいるか、恐ろしい剣幕の外に出るか。


 喧嘩を聞きながら、少し泣きたくなった。

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