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月に叢雲、花に風。大学生たちに幸運を  作者: 春山ルイ
その天才は空を飛ぶ
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最悪女子

 最近になって、悪夢を見るようになった。悪夢の原因はストレスやら疲労やら、まあよくない生活習慣が主なものだ。僕は大学にも行かず、家でばかり生活をしているのでまあ、さもありなん。


 今日も、夢を見る。


「そいつ」は、真っ黒なローブを身に纏っていて、顔は見えない。男か女かも判然としない。不気味な人影が僕を見つめている。もし大きな鎌を持っていたら、『死神』と呼べた。


 そいつは僕に害を加えたりしない。喋りかけたりもしない。ただ見ているだけ。その「見ているだけ」が不快で、充分害になっているとも言える。


 実家の母に対処法を尋ねてみたところ、返ってきた第一声は心配の声ではなく、「あんたクスリやってないでしょうね」という疑念だった。僕は電話を切った。


 やがて、眠らないでも、目を瞑るだけで陽炎のように現れるようになった。


『死神のようなそいつ』は、徐々に現実まで浸食していた。実際、クスリをやってると疑われても仕方ないのかもしれない。


 そいつが浮かび上がるたび、せりあがる吐き気のような不安が湧いて出てくる。


 僕はやがて世界に羽ばたく。才能という翼を広げる。


 故に、悪夢なんぞに邪魔されるわけにはいかないのだ。


 ***


 蒸し暑い空気の中を、さらに暑くするような溜息が漏れた。調子の悪いエアコンは、雑音を奏でる壁飾りにしかならない。6畳間の我が家は、残暑により酷く不快だった。


 今は世に羽ばたくための準備期間。だと言うのに、こんな不快な環境ではおちおち準備もできない。


 机の上には、手つかずの資料が広がり、真っさらなワードファイルが手招きする。

 秋期の授業の中に、初回の授業を受ける前にレポートを書かせるという、極悪非道な科目があったのだ。締め切りはおよそ一週間。やる気はない。どうせ単位の一つや二つ、留年の一つや二つ。将来を想えば大した問題にならない。


 ふいにインターフォンが鳴った。来客が来るのは珍しく、たまにアパートの大家か、隣人か、ごく稀に時田が来るくらいなのでとても驚いた。


 僕は寝起きに状態で、もっとも昼過ぎではあったのだが、格好がとても人に見せられる状態ではない。居留守でも決め込もう、と思っても客人はインターフォンを鳴らすのをやめない。この安アパートは、大きな音を出せば容易く壁など貫通して響く。よって、出ないと迷惑だ。最低限の身なりを整えて、ドアを開けた。


「はぁーい……」


 想像以上に自分の声はガラガラだった。一日中誰とも喋っていないのだから仕方ない。


 これほどしつこくインターフォンを鳴らすのはどんな人物だ。覚悟を決めて開ける。


 しかし、予想に反して、目の前にいたのは少女だった。


「飯塚さんですよね」


 抑揚のない喋り方だった。ペッパー君とかの方が、まだ感情的に思える。


「飯塚だけど……えっと、家間違えてません?」

「時田さんから聞いてないんですか」

「は?」


 時田の名が出て驚いた。これがまさか、例の件か。


 少女の歳は分からない。少女、と思ったのは、身長がおよそ中学生くらいじゃないか、と感じたからだ。あどけない顔立ちに、洒落っ気のないパーカーとジーンズ。不釣り合いな大きさのリュックサック。僕よりも年上ということはないだろう。


「君は一体、なんなの?」

「わたし、入江(いりえ)といいます」


「入江さんね。時田は、なんだって?」

「少しの間、あなたに()()()()をさせていただきます」

「みっ?」


 耳慣れない言葉に、上手く反応できなかった。


「密着? 取材? な、なに?」

「時田さんが事前に説明していれば、スムーズに話が進んだはずなのに」


 入江という少女は、溜息を吐く。しかしそれもまた、機械的だった。


「わたし、漫画家をやらせてもらってます」

「漫画家!?」


 僕は世間一般で知られている有名な漫画家をイメージした。目の前にいる少女と、それらのイメージはまったく一致しない。冗談を言っているのかと思った。


「それで、今度描く漫画の参考になる人を探しています」

「え。まさか、僕?」

「はい。……時田さんが『ぴったりだから』と、言っていました」


「いやいや」可笑しくて笑いが漏れる。「そんな馬鹿な。ありえないだろ」

「ありえませんか?」

「ありえないよ。仮に、君が漫画家っていうのは本当だとして……」

「それは本当ですよ」

「……うん。で、僕が漫画の参考に? ちょっと力不足じゃないか?」


 後々にいろんな人から称えられるほどの偉人になるつもりではあるが。


「いえ、問題ありません。わたしも今、時田さんの『ぴったり』という意味が理解できましたから」


 入江は、僕の頭からつま先まで、さらりと眺めた。


「わたしが描きたいキャラクターは、どうしようもないダメ人間なんですよ」

「は?」


「寝癖頭、髭の剃り残し、しわくちゃのジャージ。そしてわたしと会話しているときの、自信なさげな声の調子。まさに、イメージそのものです」


 排水溝にゴミを流しても、詰まる。それと同じで、わけの分からない言葉を矢継ぎ早に投げかけられて、僕の思考は滞った。


 ただ一つ分かるのは、これ以上ないってくらい、馬鹿にされているということだ。


「すいません」


 入江が、僕の混乱など知ったことではない、というように喋り出す。


「そういうわけなので、早く部屋に入れて貰えませんか。暑いので」


 もう一つだけ、分かることがあった。


 この少女は、最悪だ。

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