ヒヨコ
ヒヨコと別れ、下宿に戻ってから、私は上司に電話をかけた。
「私が指定する時間に来てくれないか」
「期限は伸ばせない。俺の上司が、うるさいんだよ」
上司は冷たく言い放つ。
「期限よりも早く頼むと、言っているんだ」
「なに? なんでまた……」
「早いに越したことはないだろう」
私たちの意図も、勝手に恐怖の大王に仕立て上げられたことも知らない上司は、なるほどと呟いてから「まあ、いいだろう」と言った。細かい疑問は抱いていない様子だった。
「ところで、お前は本当に順調なんだな?」
「ああ、もちろんだ」
「嘘をついていたと分かったら……」
「しつこいな」
それから、なんとなく思いつき、歌った。ヒヨコの「お前が歌うな」を思い出す。音楽は自由だ。歌が嘲笑や侮蔑につながるなんて間違っている。
「その歌……」上司は、苦々しい声を発した。
「お前が、聴かせてくれたんだろ」
「それは、そうだが」
地球に行ったと言いふらし、証拠を出せと追求されて、聴いたからと主張する。あげくの果てに、いきなり音楽を流した。当時の彼は、馬鹿だった。
「なぜか翻訳して持ってきたんだったな」
「忘れろよ」
「アイラヴユーの部分を聴くたびに、あの場にいた全員が首を傾げた。そこだけ、翻訳されていなかったからだ」
「忘れろって」
あれから数十年経ち、私よりも上の地位に就いた友人は、冷たく、しかし言い訳するように言った。
あのとき馬鹿にされた悔しさが募り、努力した、らしい。
「知ってるか? 文化の違う場所に行くと、慣れるのには時間がかかるんだ」
と、噛みしめるように私は言った。
「当たり前だ。地球人も、アメリカに住んでいたのに日本に移り住むことになれば、文化の違いで苦労するだろう」
「お前が地球に行ったときもそうだったか?」
「どうだったかな」
「星の違いは、恐ろしいほど大きなものだ。私は三年目だが、地球について未だに理解できないことだらけだ。恋愛関係に発展すればいい、なんてお前は言ったが、ちっとも簡単じゃない」
「だから?」
「時間がかかるんだよ。二年や三年で、どうにかなる物事じゃないんだ。見通しが甘すぎる」
「今更、順調じゃなかった、と言いたいのか?」
違う。私は否定する。
「愛を育むとかって表現するのは、知ってるか?」
「聞いたことはある」
「肉体の成長と同じなんだ。肉体や精神を発達させて、互いの気持ちを理解できるつもりになるまで、時間がかかるものなんだ。子どもが大人になるように、ヒヨコがニワトリになるように。または、馬鹿にされていた男が、偉い役職に就くように。私はまだ、地球では子どもやヒヨコなんだ」
上司はなにか言いたげだったか、結局、言葉は続かなかった。納得したのではなくて、呆れたのかもしれない。生意気だと思われたかもしれない。なら、正解だ。私は生意気だ。
「それだけ、伝えたかった」
「まあ。とにかく頼むぞ」ため息交じりに締めた。「お前が失敗するところなんて、見たくないからな」
「ああ」
通話が切れる。
ああ。
任せておけ。
お前たちがやってくる日が、楽しみで仕方がない。
みじ回。




