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分かったつもりになって

 誰が言ったのかは覚えていない。そもそも確かな情報源があるのかも定かではない。でまかせかもしれないし、最悪、私の記憶違いかもしれない。


 LOVEという英単語が日本に伝わったとき、「愛」という翻訳は、すぐに用いられなかった。その翻訳は、しばらく後からだ。


 最初に「大切」という訳がつけられた。


 お金や気に入った家具、家族とか飼育している動物も、すべてが「LOVE」と言えた。


 私が愛について不透明な事実しか見ることができなかったのは、その点が問題ではないだろうか。

「大切」と訳して構わないのなら、分かりやすい。たとえば、私にとって仕事や母星は「LOVE」だ。


  ***


 駅のホームにて、思索に耽っていた。


 歌を口ずさむ。友人が、地球の歌と言って、信じて貰えなかった歌だ。


「なにそれ」


 歌っていると、ようやく待ち人は現われた。待つことは、苦痛だ。やはり待ち合わせは時間ぴったりの方がいい。


「遅かったな」


 立ち上がり、ホームから見える街並みを覗く。すっかり静かになって、祭りをやっていたことなど嘘のようだ。真っ黒な闇が、ところどころの灯りを際立たせながら、淋しそうに広がっていた。


「あんたが英語の歌を歌ってるの、違和感しかない」

「この歌を、知ってるのか?」

「知らないよ。ただ、アイラヴユーなんて似合わねーって感じ」

「音楽は自由だろう」


 電光掲示板を確認すると、あと五分後に電車が来る予定だ。


「ずっと待ってたの? こんな時間まで?」

「駅には来るだろうと予想していた」

「わたしが歩いて家に帰ってたら、お前はここで朝まで、か」

「約束を果たしていないからな。待つべきだと思った」

「約束?」


「私は何者なのかを、教えるんだった」

「ああ」


 ヒヨコは、疲労困憊といった様子で、ふらふらとホームのベンチに腰掛けた。この数時間、お前はどこでなにをしていたんだと気になったが、触れないことにした。


 私はヒヨコの側に座った。


「まず、私は仕事でここに来ている」

「宇宙から?」

「どうして、そう思った?」

「そう思った方が、面白いだろ」


「上司がいてな。そいつの命令で大学に通っている。もう三年目だ」

「大変そうだな」哀れんでいるようには見えない。


「その上司が、任務の確認をしに、私たちの元に来る」


「へえ」彼女は眉を上げた。「私たちって、お前とか、わたし?」


「昨日、連絡が来たんだ」


 突然息を吹き返した固定電話に驚いた。


「急じゃないかって抗議したんだが、抜き打ちテストに事前通告などするわけない、と一蹴されてしまった。数日の猶予があるだけ優しいのだがな。……おそらく、私は強制的に帰されるだろう。私の、星に」


 思い切って、自分の素性を告白したつもりだった。

 にも関わらず、「ああ、そう」と突き放された。



 上司は言った。直接、宇宙船ごと地球に行くからな、お前と目的の女性が順調に関係を築けているか調べ上げるからな、と。この体たらくを目撃されたら、順調だとは思われないだろう。先行きは暗いと断定され、任務は失敗だ。



 頭の片隅には、常に諦める選択肢があった。


 瀬川ヒヨコを諦めて、他の女性を探そうとする選択肢だ。ヒヨコの籠絡はほぼ不可能であり、成功率の話をするなら、新しく女性を探し始めた方が良いはずだ。


 ここまで踏み切れなかったのは、ヒヨコに興味があったからだ。彼女は私のことを面白いと言った。それが脳裏から離れない。靴の裏にガムがへばりついて取れないように、未練があるのだ。ノストラダムスの話をしたときの笑顔や、星を見上げていた横顔や、嵐の日の、憂う瞳が忘れられない。


「頬、大丈夫?」ヒヨコは自分の頬を指差し、伝える。

「痛くない」

「悪かった。むしゃくしゃしてたんだ」

「むしゃくしゃ、で暴力は犯罪者の典型だ」


「周波数が合わないラジオみたいに、周囲とズレを感じる。そのズレを直すのも面倒で、他をシャットアウトする」

「ラジオ?」

「お前も、そうしてるんだと思った。でも、たぶん、お前は違うんだよな。勝手に、お前のことを分かった気になってた。わたしとお前は、一緒だと思っていたんだ」


「複雑なんだな」

「乙女心は複雑だよ」

「分かってるよ」


 ヒヨコが目を細めたので、「分かったつもりかもしれないが」と付け加えた。


「分かってるつもり、か」ヒヨコは小さく笑った。

「どうせ、人と人とは分かり合えないだろ。分かろうとして、分かったつもりになるだけだ」

「確かにな」


 彼女は目を瞑り、続けた。


「どいつもこいつも、分かったつもりだ。でも、『分かるよ』って言われるより、『分かったつもりだよ』って言われた方が潔いし、なんか、すっきりするな。『分からん』って言われたら、潔いを通り越して、ムカつくけど」


「そういうものか?」

「本心を隠されたら、分かったつもりも、できないけどな」


 ヒヨコはそう言うと、私を薄目で睨む。


 ホームのスピーカーから、電車到着の予告が知らされる。私は、立ち上がる。


「お前に、なにかを隠されるのは嫌なんだ」ヒヨコも立ち上がる。


「私も、気づいたよ。人の気持ちが分からないのは、嫌なことだな。しかもそれが、親しい関係なら、なおさらだ」


 私は慌てて、これも分かったつもりだ、と付け足した。


「松尾くんには、ちゃんと謝っておくよ」

「そうしてくれ」


 ヒヨコは、ゆっくりとした口調で尋ねる。


「諸星は、帰るのか?」

「これから下宿に、ってことか? それとも、星にか?」

「星にだよ。察しろよバカ」

「帰るさ」


「……嫌だな」

「意外だ」


 電車がやってくる。無骨な音を立てながら、線路を進む。闇に差し込まれる光が、私たちと、薄暗いホームを厳しく照らした。


「で、わたしたちの前にやってきて、お前を迎える上司とやらは、一体どんなやつなんだ。お前はマジの地球外生命体なの?」

「地球外生命体!」


 冗談めいた単語だ。しかし、他に言いようがない。


 私は悩みながらも、咄嗟にあることを思いついた。


「私の仲間は、地球人ではないわけだが」

「ああ」

「私の上司は、恐怖の大王だ。世界を滅亡させる」


 それから「空から来るぞ。どうする?」と、わざと挑戦的に尋ねた。



 風とともに、電車が到着した。


 ふうん、とヒヨコは退屈そうに呟く。しかし口元に笑みを浮かべた。


「諸星、花火大会するんだけど、一緒にどうだ?」

「もちろん、参加だ」


 ドアが、開いた。



2章、残り数話です。

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