踊る阿呆の中で酔う
阿波踊り祭りの前日、上司から連絡があった。固定電話にかけてくる相手は上司以外にいない。電話のベルが鳴ったときは、死んでしまった生命が息を吹き返したかのようで、思わず飛び上がった。
基本的には、年に一度、報告を済ませればいい。それだけのためにある電話だ。今回は変な時期だが、普通に報告を行えばいい。
そう思っていたが、上司との通話を終えて抱いた感想は「面倒なことになった」だ。
さて、どうしたものか。
***
天気は晴れで、時刻は午後の四時。前日が雨だったため、湿度が高い。じめじめしていて、不快だった。
駅から外に出ると、祭りの様子がすぐさま目に飛び込んできた。ロータリーにステージが設営されてある。参加者と思しき、法被のようなものを着ている人々が、ステージを囲んでいる。祭りはすでに始まっているようだ。
ヒヨコとは、駅中にある洋服店の前で待ち合わせになっている。一方で松尾とは、偶然を装うため待ち合わせをしていない。会う予定の時刻は、今から大体二十分後だ。
歩道では車道に沿うように人が並んでいる。一様に車道へ目を向けているから、気になった。空いている隙間に身体をねじ込み、並ぶ人々の参加をする。
まるで陸上大会のように、停止線より手前に集団が待機している。といっても横一列にクラウチングスタートの構えをとっているわけではなく、どちらかというとサッカーのフォーメーションのような陣形をしていた。
スピーカーから声が響く。それを合図に、フォーメーションが動き出した。法被やら着物やら、趣のある格好をした老若男女が、列となって踊り、歩き始めた。踊りながら進む一団、その後方に、笛や太鼓を演奏しながら進む一団。これは、マーチングバンドの行進みたいなものだ、と私は理解した。
太鼓の低音が腹に響く。少し高揚感があり、湿度の嫌な感じは消えていた。行進の終着点を見るため歩道を進むと、祭りを見に来たのか、それともただ通行するためなのか、様々な人々とすれ違った。
ある程度楽しんだところで、駅の中に向かう。待ち合わせに指定された名前の洋服屋に向かうと、すでに彼女は来ていた。
「遅ぇよ」
私を発見すると、彼女は早足で近寄り、怒りの表情で威圧した。
「遅刻はしていない」
それどころか、腕時計の針はぴったりだった。
「こういうのは、数十分前に着いてるもんなんだよ。失礼だろ」
「誰に失礼なんだ」
「わたしに、だよ」
「お前は数十分前から待っていたのか?」
「全然。今、着いた」
「私に失礼だとは思わないのか」
「なんで思う必要があるんだ?」
ヒヨコの調子は相変わらずだったが、どこかで違和感があった。明確にどこが、と問われると困るのだが、とにかくいつもと違う。服装だろうかと思い、観察してみたが分からない。洋服屋の前で待ち合わせしていたから、視覚情報に影響しているだけかもしれない。
「じろじろ見るな阿呆」
観察は終了せざるをえなかった。
二度目だが、駅から出て、祭りの盛り上がりを受け止めた。
「阿波踊りって、年寄り臭くない?」
「そうか? 意外と若者も歩いていたぞ」
「お前、わたしより先に見てたのかよ」
「ああ」しまった、と思うがもう遅い。「少しだけな」
脇腹に肘打ちが入った。
「なんでここに誘ったんだ?」
「興味があった。あとは、気紛れだ」
「あっそ」
私たちは、すでに私が一人でやったように、歩道を歩いて阿波踊りの一団を見送った。途中、横道に入ってみると、道路の両脇に屋台が建ち並んでいた。普段は車が走っている場所で、人々がひしめきあっている。
屋台はたこ焼きに焼きそば、焼き鳥やポテトといった具合に、しっかりとした食事になりそうなものが集まっている。
ヒヨコに屋台のことを尋ねると「だいたいの祭りで、だいたいの屋台はこんなもんだ」と教えてくれた。「ただ、ここの対象は子どもよりも、少し歳がいった人がメインかもね」
そう言って彼女が指差したのは、アルコールを販売している屋台だった。やたら仰々しく看板を設置し宣伝をしている。私にはよく分からないが、特別なものらしい。
ヒヨコはすでに酔っ払っているような足取りで屋台に向かい、二人分買ってきた。
「飲むのか」
「飲まないという選択肢はないだろ」
彼女は断言して、勢いよく呷った。
「何故、どいつもこいつもアルコールを飲むんだ」
「忘れたいんだよ」
「なにを」
「日々のストレスとか、未来の不安を」
「難儀なものだな」
道路を突き進んだ先の十字路も、雑踏が溢れて埋め尽くしていた。左右どこを見渡しても人だかりで、目眩がしそうだ。
「諸星の親って、どんな人?」
唐突な質問に、私はたじろいだ。質問が来ることも予想していなかったが、内容も突拍子がなくて、もう一度聞き返すことになった。
「親だよ。どんな人?」
聞き間違いではなかった。
「普通だ。どこにでもいる、一般的な両親。存命だ」
地球人からすれば反社会的に映るかもしれず、そういった意味では普通ではない。
「そういうお前は、どうなんだ」
話題を逸らす目的で投げかけた質問だが、純粋に興味もあった。
「わたしの親? 普通」
「普通の親だったら、こんな女王様は誕生しないと思うのだが」
どうせ蹴りが飛んでくると思い、事前に防御の姿勢をとる。しかし予想が外れて、私は無事だった。
人混みから逃げて、シャッターの閉まった店の前に立つ。
「嵐の日に、あんたは、わたしには能力があるみたいなことを言ってたじゃんか」
「言ったな」
レポートの投函が終わった後、どうやって帰るか、という話になったことも思い出す。
「能力なんか、無いんだよ。本当に」
「そんなことは」
「自分でも、ずっと分かってるよ。親からも言われてきたし」
なんでもなさそうな顔で、深刻なことを言う。私は黙るしかない。周囲の喧噪が、徐々に静まっていく気がした。やがて、ヒヨコの声しか聞こえなくなっていた。
「特に言い返したりもしなかったよ」
「そうか」
「大学に入ったときも、『奇跡だね』って。努力の結果とは、誰も思ってなかった」
「実際、努力はしたんだろ?」
彼女は他人事のように肩をすくめた。
「わたしの努力なんて、他の人からしたら努力のうちにも入らないのかもね。本当はそんなもの関係なくて、本当に幸運だっただけかもしれないし。それに、大学に入ってからは努力の方法なんて忘れたよ」
地球人の悩みは、私の知るところではない。努力だ運だと言われても、そんなことはないなどと、情報と記憶を操作して入学した私が言えることではない。
「色々あったんだな」
「言っておくけど、同情してもらいために言ってるんじゃない」
「ああ、分かってるよ」
ヒヨコの瞳が濁った、ように感じた。
「分かってないだろ」
「私は、なるべく分かりたいと思っているが」
「わたしには、なにもないよ」
淋しげな皺が、眉間に浮かぶ。
「案外、ネガティブなんだな」
「お前がなにか、期待とかしてるんだったら今すぐ考え直せ」
「期待なんて」
と、言いかけて、実験材料に選ぼうとしているのは期待ではないか、と気づいた。
「それより諸星、お前のことだよ」
「私?」
「なにを隠してるんだ?」
「隠し事とは、どれのことだ?」
「おい」
彼女の手が伸びて、私の襟元を掴んだ。
「お前に隠し事されると、ムカつくんだよ」
「理不尽な」
ふと時間のことが気になった。今は何時だろうか。
腕時計を確認したかったが、それよりも先に、人混みの中から答えがやって来た。
最初はにこやかだったが、私たちの状況を不思議がり、やがて笑みは消えて狼狽が浮かんだ。
「なあ、松尾という男を知っているか?」私は小さく彼女に聞いた。
「誰だよ」
「今、お前の後ろにいる男で、お前が騙していた新入生の一人だ」
彼女はおそるおそる、といった風に振り向き、私から手を放した。
気まずい空気が流れていた。




