間違っている判断
人の会話を勝手に聞いたことや、忠告をしてくることに腹は立たなかった。むしろ、嫌な顔をされるかもしれない危険を覚悟しているわけで、好感が持てる。
日野の意見を大事に受け取った上で、私も意見する。
「相手の女性が、多数派であるとは限らないだろう。英語にしたら、バブル・ダンス・パーティだ。楽しそうじゃないか」
「勝算の薄い賭けですよ。あとバブルは泡です」彼女は小さく笑った。「それから、気のせいだったら申し訳ないんですが」
「なんだ?」
「ストーカーとか言ってませんでした? 松尾くん、もしやストーカーになるんですか?」
頻繁に「ズレてる」と評される私だが、流石にここで「ああ、奴はストーカーになる」とは言えなかった。
「この世でもっとも悪い犯罪の一つは、ストーカー罪ですよ」日野は冷ややかな目をする。
「それは流石に」
「大げさじゃないです。やめさせてくださいね」
「松尾は真剣な男だ。あれだけの熱意と愛情を見せられたんだ。少しでも、力になりたい。もちろん、犯罪者にさせるつもりはないから安心してくれ」
「ところで、お相手のヒヨコさん? でしたっけ。どんな方なんですか?」
「暴力的だ。すぐ私たちに当たり散らし、殴る蹴るの暴行。他人からは、見た目だけなら完璧と言われているが、内面はどす黒い」
日野は腰をかがめて、私の説明に聞き入っていたが、徐々に不思議そうな色が顔に滲んでいった。
「どうかしたか」
「実はわたし、瀬川陽与子さんについては、松尾くんからさんざん聞かされているんで、知っているつもりでした。あなたに質問したのは、ただの意地悪です」
私に話したように、原稿用紙数枚分にも及ぶ言葉を費やしたのだろうか。
「ですけど、食い違ってます。暴力的だとは一言も」
「ああ、そういえば当初の目的は」
「当初の目的?」
「いや、なんでもない」
松尾にヒヨコの本性をそれとなく伝え、諦めさせるのが目的だったはずだ。ようやく思い出した。
「それにしても、面白いですね」
「なにがだ?」
「あなたのことですよ。あなたってなんだか、面白い」
どうしてまた、面白いと言われるのか分からない。地球人は感覚が狂っているんじゃないか?
「陽与子さんのことをよく知っているし、なんだかんだ、嬉しそうです」
「嬉しそう?」
そんなこと、思うはずがない。彼女は恐ろしい間違いをしている。
「第一、ヒヨコなんてあだ名をつけているのも、面白い」
「あだ名、のつもりではないが」
「偉そうなこと言うかもしれませんが、いいですか」
「ああ、偉そうなことを言うやつには、慣れているから」
彼女の小動物が如き丸い眼は、途端に人すら捕食する肉食獣のように変貌した。それから人差し指を立て、こめかみに当てた。癖かもしれない。
「恋愛は、たぶん世界で一番解明することが難しい謎です」
「謎?」
「太古の昔からたくさんの人が愛し合って、人類はここまで成長した。それなのに、恋愛に関して、未だ正解が見つかってない。理論も公式もない不思議」
「だから?」
「だから、恋愛に関して思い悩んでいるときに、最初に下した判断は、まず間違えています」
「はあ」つい呆けた声を発してしまう。「だから?」
「あなたが決めたことは、本当にそれが最善なのか、考えてみてください。正解はないけど、最善に近い判断は、あるはずですから」
私は曖昧に頷いた。
彼女の言い分が正論なら、私の信じていたものが誤りで、真実は別にあることになる。
今まで立っていた場所はコンクリートの地面だと思っていた。が、実は底なしの沼だった。そんなとき、人はおそらくパニックになる。そこに地球人も地球外生命体も、違いはない。
私が立っている場所は、どこなのだろう。
松尾がトイレから帰ってきたタイミングで、彼女は去って行った。振り向き、申し訳なさそうに、頭を下げる。
恐ろしい女性というのは、ヒヨコ以外にもたくさんいるらしい。
「ああ、日野さんはヤバいっすよ」
喫茶店からの帰り道、松尾と話しながら歩く。彼は電車に乗らなくては帰れない。駅まで送ることにした。
「相談して最初のアドバイスが『図々しく行け』ですよ」
「彼女の受け売りだったのか」
「あの人、彼氏がいるらしいすけど、ちょっと心配になりますね」
彼女には、有無を言わせぬ気迫があった。自らの過ちを突きつけられて、私は当惑するばかりだ。もし判断が間違いだったというのならば、どこからが間違いなのか。正解の部分は、一つもないというのか。
暗闇に迷い込んでしまったようだ。世界で一番解明することが困難な謎とやらに、はまってしまったらしい。
「諸星先輩?」
松尾は、私の気も知らないで暢気にしている。
「頼みますよ。時間があるとはいえ、もし駄目だったときのプランも考えなくちゃいけないんすから。早めに許可を取ってください」
「ああ」私は、中身のないような声を出した。「分かってるよ」
分かっている。
なにを?
1部より長い2部。まだまだよろしくお願いします!




