大いなる使命
金網の上で肉が焼ける。
「それでは、諸星と曾根崎、二人がゼミに入ってくれたことを祝して、乾杯!」
高柳は、アルコールがなみなみと注がれたグラスを掲げ、乾杯の音頭を取った。
「今までもこのメンバーで飲んでるんで、今更って感じですね」曾根崎がグラスを私のものと触れあわせる。かちん、と小気味の良い音が響く。
ヒヨコはすでに肉を食べている。おざなりな仕草で乾杯した。
「え、もう食ってるんですか」
曾根崎が、ウーロン茶を飲みながら驚く。
彼はとにかく酔いやすいらしい。一滴でも飲むと吐き気がするんだ、と愚痴っていた。対照的に、ヒヨコは酔わない。高柳はたくさん飲んで、後で千鳥足になって帰る。彼らのいつものパターンだ。
私は、アルコールが効かない。
「諸星、ちゃんと食ってるか?」高柳が陽気に尋ねてくる。私が「それなりに」と答えると、「そうかそうか」と嬉しそうに頷く。
高柳は天文サークルの一員で、学部も学年も、ヒヨコと同じだ。現在はサークルを引退したらしいが、時々遊びに行くと語っていた。私も誘われたが、断った。
顎髭を無造作に生やし、私たちが揃って見上げるくらい、背が高い。二メートル近くあると聞いた。
がやがやと騒ぐ性格ではなく、どちらかというと物静かな男だ。ヒヨコが殺気立っているときは、自分の身を犠牲にして彼女を鎮める。私たちは彼に頭が上がらない。
彼は、ヒヨコと曾根崎が言い合いをしているのを見て、苦笑を浮かべている。その表情に、小さな影があるように見えた。
「瀬川さん、ちゃんと金返してくださいよ?」
私の隣で、曾根崎が釘を刺す。
「まるで、わたしが金を返さない人みたいに」
「そうは言ってませんよ」
「じゃあ、いいでしょ」
「貸してから、五ヶ月後に返すのはどうかと思うんですけど。返されたとき、なんの金だっけ、って戸惑いましたよ」
「忘れるくらいなら、たいした金じゃない」
「どう思う?」曾根崎は私に顔を向ける。「おかしくないか?」と援軍を求めた。
「ヒヨコは返したんだろ。問題ないじゃないか」と正直な気持ちで答えた。
「ほら」ヒヨコは得意げに鼻を鳴らす。
「裏切り者め」
最初から、味方になったつもりはない。
「金が返ってくるなら、いいことじゃないか」
「お前、返されなかったことあんの?」二人が怪訝な顔をする。
「この辺は治安がいいな。金を返してくれるのが当たり前なのかと、驚いた」
「どんなスラムに住んでたんだよ」
「っていうか、諸星。呼び捨てするな。あとイントネーションがおかしい」
ヒヨコが割り箸を私に向け、怒鳴った。
「悪い」
「悪い、じゃない。『申し訳ありません陽与子様』だろうが」
「何故、そんな長ったらしい謝罪をする必要がある?」
割り箸がダーツのように飛んできたので、間一髪で避けた。
過去、彼女は私に敬語を強要した。敬語は学習が不充分だったため、非常に焦った記憶がある。本を買って、必死になって勉強した。徹夜の甲斐もあり、一般的な敬語を扱えるようになった、のだが。
準備万端で彼女に会った私は、自信に満ちた顔で彼女を敬うと、「二度と使うな。マジで気持ち悪い」と突き放された。その後、高柳にも「頼むからやめてくれ」と懇願された。どうしてそんな気持ちの悪い敬語が使えるんだ、とも言われた。
「お前の敬語は、納豆のねばねばを塊にして、顔面にぶつけられたみたいな不快感がある」曾根崎の評価は、こんなものだった。
ヒヨコは、新しい割り箸を用意しながら「で、なんで遅れたんだよ」と、矛先を高柳に向けた。ナイフよりも鋭そうな視線が、彼を突き刺す。
「えー……」高柳は言い淀む。「まあ、色々あったんだ」
「誤魔化せないからな」
「誤魔化せないですよ」
何故か、曾根崎まで問い詰める。
だから「誤魔化せないぞ」と、なんとなく私も便乗した。
「仕方ないだろ。マジで色々だよ。面白いこともないって」
「ふーん」
彼女はつまらなさそうに、肉を食う作業に戻った。
「次回は、おわびとして高柳さんの奢りですよ」曾根崎が言う。便乗した理由は、それか。
それなりには落ち着ける時を過ごした。ヒヨコの我が儘に不平を漏らす私たちだが、慣れてしまったのだろうか。なんだかんだ、参加する。日々の忙しなさを忘れる時間だ。
「曾根崎、わたしのこと、どう思ってる?」
「突然ですね」曾根崎は思案する素振りも見せず「手が付けられない、凶暴最悪の女王様」と言い放った。
割り箸が飛ぶ。額の中心に突き刺さり、悲鳴が上がる。
そりゃ、そうなる。
「あーあ」怠そうに呟きながら、彼女は席を立つ。どこへ、と尋ねると「トイレだよ」と無愛想に返ってくる。一瞬、立ち止まって懐から財布を取り出し、テーブルに置いた。
「勝手に帰るわけじゃないから」
「流石に疑ってませんよ」
背を向けて、姿を消した。
「追加注文します?」曾根崎が高柳に尋ねて、メニューを開いている。
高柳は黙ったまま、虚空を見つめていた。
「どうかしたか?」
「色々、あったんだがな」
遅れた理由を話すのだと、瞬時に察した私たちは、背筋を伸ばした。ただならぬものを感じ取ったのだ。
「深刻な問題が発生した」
まるでなにかしらのシステムがエラーを吐き、苦悩するエンジニアのようだった。
「どうかしたんですか」
「実は」
高柳は重いため息を吐いた。
「陽与子に恋したやつが現れた」
思わず、割り箸を落とした。曾根崎も同様だった。
「恐怖の大王だな」
高柳が、ちらりと私を見た。「一九九九年の七月に、地球が滅亡するという予言と、同じくらいの絶望感だ」と、私は付け加えた。
「すいません高柳先輩。もう一回言ってくれませんか?」
曾根崎が目を白黒させている。半笑いを浮かべて、高柳が冗談を言ったと思っているようだ。いや、冗談だと思い込みたいのだ。
「陽与子が、新しい下僕を欲して、新入生を騙しているのは知っているだろ」
「はい。身をもって」
「騙された一年生の中に、陽与子に恋したやつがいるんだ」
「オー、マイ、ガァッ」
曾根崎は放心してしまった。哀れな新入生の悲運を嘆いているのかもしれない。
最悪の未来を思い描いた。近いうちに血飛沫が飛び散るだろう。ヒヨコがまともな恋愛をできるわけがない。
「絶対に、避けなくてはならないことだ」
「ああ。なんとしても、新入生を助けなくてはならない」
ほぼ同時に、私たちは彼女が消えた方向を確認した。まだ彼女は戻らない。
「ちょっと待ってください」意識を取り戻した曾根崎が、異を唱えた。「瀬川さんは四年生ですよね。その新入生がゼミに入る頃には、彼女は卒業しているのでは?」
「確かに」
「知らないのか?」高柳は目を伏せる。
「いや」
「なにをですか」
「陽与子は今の時点で、余裕の留年が確定している」
「終わった……」
曾根崎の絶望の呟きは、肉を焼く煙とともに、天井に吸い込まれていった。
高柳はしばらく俯いていたが、突然顔を上げた。その瞳には強い光が宿っていた。
私はその輝きを、見たことがあった。未開の星の探索を命じられた同僚が、今の高柳と同じ瞳をしていた。
同僚は任務で派手な失敗をやらかし、一人で危険な地帯の探索を任された。「大いなる使命のために、俺は犠牲になるぜ」と声高に叫んでいたが、虚勢にしか聞こえなかった。案の定、数週間後に重傷の状態で帰還した。九死に一生を得たが「なにが大いなる使命だ。ふざけるな」と泣いていた。なにがあったかは、知らない。
高柳は、大いなる使命のために闘う意志を、瞳に宿したのだ。
「俺たちが、新入生を助けるんだ!」
「え?」耳を疑った。「俺たち、と言ったか?」私も、含まれているのか?
「陽与子にバレたらどうなるか分からないが、被害者をこれ以上増やしてはいけない。俺たちが犠牲になるべきだ。違うか?」
違う、と言ってやりたかった。その前に、曾根崎が答えた。
「やりたくないけど、仕方ないか」
「おい。私もやるのか」
「いいのか、諸星。瀬川さんと新入生が付き合ってもいいのか」
「危険だとは思うが、必ずしも駄目というわけではないな。なにが起こるか分からない。案外、相性がいいかも」
「馬鹿。瀬川さんがそいつのものになるってことだぞ」
だから、それがどうした。
だが、すぐに気がつく。ヒヨコと新入生が交際を始めると、宇宙船に連れて行くことが困難になる。無理矢理、拉致することは避けたい。新入生の恋が実るということは、任務の失敗を意味する。同僚の重傷の姿を思い浮かべ、身震いした。
「それは、絶対に駄目だ」
「よし。決まりだな」
高柳がグラスを掲げる。私たちも、彼に従う。
「絶対に、新入生を助けるぞ!」
グラスが、闘いの始まりを告げる音を鳴らした。
「なんで、また乾杯してんの?」
ヒヨコが、立っていた。
二人の絶叫が響き渡る。彼女は睥睨する。
「どうした? また馬鹿げた話か?」
「闘いが始まるんだ」二人の代わりに、私が答えた。
「あっそ」
彼女は、退屈そうに欠伸をした。




