表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/76

大いなる使命

 金網の上で肉が焼ける。


「それでは、諸星と曾根崎、二人がゼミに入ってくれたことを祝して、乾杯!」

 高柳は、アルコールがなみなみと注がれたグラスを掲げ、乾杯の音頭を取った。


「今までもこのメンバーで飲んでるんで、今更って感じですね」曾根崎がグラスを私のものと触れあわせる。かちん、と小気味の良い音が響く。


 ヒヨコはすでに肉を食べている。おざなりな仕草で乾杯した。


「え、もう食ってるんですか」

 曾根崎が、ウーロン茶を飲みながら驚く。


 彼はとにかく酔いやすいらしい。一滴でも飲むと吐き気がするんだ、と愚痴っていた。対照的に、ヒヨコは酔わない。高柳はたくさん飲んで、後で千鳥足になって帰る。彼らのいつものパターンだ。

 私は、アルコールが効かない。


「諸星、ちゃんと食ってるか?」高柳が陽気に尋ねてくる。私が「それなりに」と答えると、「そうかそうか」と嬉しそうに頷く。


 高柳は天文サークルの一員で、学部も学年も、ヒヨコと同じだ。現在はサークルを引退したらしいが、時々遊びに行くと語っていた。私も誘われたが、断った。

 顎髭を無造作に生やし、私たちが揃って見上げるくらい、背が高い。二メートル近くあると聞いた。


 がやがやと騒ぐ性格ではなく、どちらかというと物静かな男だ。ヒヨコが殺気立っているときは、自分の身を犠牲にして彼女を鎮める。私たちは彼に頭が上がらない。


 彼は、ヒヨコと曾根崎が言い合いをしているのを見て、苦笑を浮かべている。その表情に、小さな影があるように見えた。


「瀬川さん、ちゃんと金返してくださいよ?」

 私の隣で、曾根崎が釘を刺す。

「まるで、わたしが金を返さない人みたいに」

「そうは言ってませんよ」

「じゃあ、いいでしょ」


「貸してから、五ヶ月後に返すのはどうかと思うんですけど。返されたとき、なんの金だっけ、って戸惑いましたよ」

「忘れるくらいなら、たいした金じゃない」


「どう思う?」曾根崎は私に顔を向ける。「おかしくないか?」と援軍を求めた。

「ヒヨコは返したんだろ。問題ないじゃないか」と正直な気持ちで答えた。

「ほら」ヒヨコは得意げに鼻を鳴らす。

「裏切り者め」

 最初から、味方になったつもりはない。


「金が返ってくるなら、いいことじゃないか」

「お前、返されなかったことあんの?」二人が怪訝な顔をする。

「この辺は治安がいいな。金を返してくれるのが当たり前なのかと、驚いた」

「どんなスラムに住んでたんだよ」


「っていうか、諸星。呼び捨てするな。あとイントネーションがおかしい」

 ヒヨコが割り箸を私に向け、怒鳴った。

「悪い」

「悪い、じゃない。『申し訳ありません陽与子様』だろうが」

「何故、そんな長ったらしい謝罪をする必要がある?」


 割り箸がダーツのように飛んできたので、間一髪で避けた。


 過去、彼女は私に敬語を強要した。敬語は学習が不充分だったため、非常に焦った記憶がある。本を買って、必死になって勉強した。徹夜の甲斐もあり、一般的な敬語を扱えるようになった、のだが。


 準備万端で彼女に会った私は、自信に満ちた顔で彼女を敬うと、「二度と使うな。マジで気持ち悪い」と突き放された。その後、高柳にも「頼むからやめてくれ」と懇願された。どうしてそんな気持ちの悪い敬語が使えるんだ、とも言われた。


「お前の敬語は、納豆のねばねばを塊にして、顔面にぶつけられたみたいな不快感がある」曾根崎の評価は、こんなものだった。


 ヒヨコは、新しい割り箸を用意しながら「で、なんで遅れたんだよ」と、矛先を高柳に向けた。ナイフよりも鋭そうな視線が、彼を突き刺す。


「えー……」高柳は言い淀む。「まあ、色々あったんだ」


「誤魔化せないからな」

「誤魔化せないですよ」

 何故か、曾根崎まで問い詰める。

 だから「誤魔化せないぞ」と、なんとなく私も便乗した。


「仕方ないだろ。マジで色々だよ。面白いこともないって」

「ふーん」

 彼女はつまらなさそうに、肉を食う作業に戻った。


「次回は、おわびとして高柳さんの奢りですよ」曾根崎が言う。便乗した理由は、それか。


 それなりには落ち着ける時を過ごした。ヒヨコの我が儘に不平を漏らす私たちだが、慣れてしまったのだろうか。なんだかんだ、参加する。日々の忙しなさを忘れる時間だ。


「曾根崎、わたしのこと、どう思ってる?」

「突然ですね」曾根崎は思案する素振りも見せず「手が付けられない、凶暴最悪の女王様」と言い放った。


 割り箸が飛ぶ。額の中心に突き刺さり、悲鳴が上がる。

 そりゃ、そうなる。


「あーあ」怠そうに呟きながら、彼女は席を立つ。どこへ、と尋ねると「トイレだよ」と無愛想に返ってくる。一瞬、立ち止まって懐から財布を取り出し、テーブルに置いた。


「勝手に帰るわけじゃないから」

「流石に疑ってませんよ」


 背を向けて、姿を消した。


「追加注文します?」曾根崎が高柳に尋ねて、メニューを開いている。


 高柳は黙ったまま、虚空を見つめていた。

「どうかしたか?」


「色々、あったんだがな」

 遅れた理由を話すのだと、瞬時に察した私たちは、背筋を伸ばした。ただならぬものを感じ取ったのだ。


「深刻な問題が発生した」

 まるでなにかしらのシステムがエラーを吐き、苦悩するエンジニアのようだった。


「どうかしたんですか」

「実は」

 高柳は重いため息を吐いた。

「陽与子に恋したやつが現れた」

 思わず、割り箸を落とした。曾根崎も同様だった。


「恐怖の大王だな」

 高柳が、ちらりと私を見た。「一九九九年の七月に、地球が滅亡するという予言と、同じくらいの絶望感だ」と、私は付け加えた。


「すいません高柳先輩。もう一回言ってくれませんか?」

 曾根崎が目を白黒させている。半笑いを浮かべて、高柳が冗談を言ったと思っているようだ。いや、冗談だと思い込みたいのだ。


「陽与子が、新しい下僕を欲して、新入生を騙しているのは知っているだろ」

「はい。身をもって」

「騙された一年生の中に、陽与子に恋したやつがいるんだ」

「オー、マイ、ガァッ」


 曾根崎は放心してしまった。哀れな新入生の悲運を嘆いているのかもしれない。


 最悪の未来を思い描いた。近いうちに血飛沫が飛び散るだろう。ヒヨコがまともな恋愛をできるわけがない。


「絶対に、避けなくてはならないことだ」

「ああ。なんとしても、新入生を助けなくてはならない」


 ほぼ同時に、私たちは彼女が消えた方向を確認した。まだ彼女は戻らない。


「ちょっと待ってください」意識を取り戻した曾根崎が、異を唱えた。「瀬川さんは四年生ですよね。その新入生がゼミに入る頃には、彼女は卒業しているのでは?」

「確かに」


「知らないのか?」高柳は目を伏せる。

「いや」

「なにをですか」

「陽与子は今の時点で、余裕の留年が確定している」

「終わった……」


 曾根崎の絶望の呟きは、肉を焼く煙とともに、天井に吸い込まれていった。


 高柳はしばらく俯いていたが、突然顔を上げた。その瞳には強い光が宿っていた。


 私はその輝きを、見たことがあった。未開の星の探索を命じられた同僚が、今の高柳と同じ瞳をしていた。

 同僚は任務で派手な失敗をやらかし、一人で危険な地帯の探索を任された。「大いなる使命のために、俺は犠牲になるぜ」と声高に叫んでいたが、虚勢にしか聞こえなかった。案の定、数週間後に重傷の状態で帰還した。九死に一生を得たが「なにが大いなる使命だ。ふざけるな」と泣いていた。なにがあったかは、知らない。


 高柳は、大いなる使命のために闘う意志を、瞳に宿したのだ。


「俺たちが、新入生を助けるんだ!」


「え?」耳を疑った。「俺たち、と言ったか?」私も、含まれているのか?


「陽与子にバレたらどうなるか分からないが、被害者をこれ以上増やしてはいけない。俺たちが犠牲になるべきだ。違うか?」


 違う、と言ってやりたかった。その前に、曾根崎が答えた。


「やりたくないけど、仕方ないか」

「おい。私もやるのか」

「いいのか、諸星。瀬川さんと新入生が付き合ってもいいのか」

「危険だとは思うが、必ずしも駄目というわけではないな。なにが起こるか分からない。案外、相性がいいかも」


「馬鹿。瀬川さんがそいつのものになるってことだぞ」

 だから、それがどうした。


 だが、すぐに気がつく。ヒヨコと新入生が交際を始めると、宇宙船に連れて行くことが困難になる。無理矢理、拉致することは避けたい。新入生の恋が実るということは、任務の失敗を意味する。同僚の重傷の姿を思い浮かべ、身震いした。


「それは、絶対に駄目だ」

「よし。決まりだな」

 高柳がグラスを掲げる。私たちも、彼に従う。


「絶対に、新入生を助けるぞ!」

 グラスが、闘いの始まりを告げる音を鳴らした。


「なんで、また乾杯してんの?」

 ヒヨコが、立っていた。

 二人の絶叫が響き渡る。彼女は睥睨(へいげい)する。


「どうした? また馬鹿げた話か?」

「闘いが始まるんだ」二人の代わりに、私が答えた。

「あっそ」

 彼女は、退屈そうに欠伸をした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ