表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/76

女王様

 下宿まで、夜道を歩く。行きには夕焼けで、赤く染まっていた街並みが、帰りにはまるで火の消えた暖炉のように暗くなっている。


 歌を口ずさむ。母星の友人が、歌っていた歌だ。地球の歌だが、これを初めて聴いたときのことを思い出そうとすると、嫌な記憶も蘇る。しかし歌自体は気に入っている。


 やがて、安アパートが姿を現わす。

 まともなところは手続きが面倒くさい。そう言って横着して選んだのは失敗だった。おかげで風呂は壊れ、遠い銭湯まで遠出しなくてはならない。


 アパートの前に人影が見える。目を凝らせば、知っている顔だった。

「よう、諸星(もろぼし)」と、偽りの性を呼ばれる。


「なんの用だ?」

「スマホくらい持っておけよ。わざわざここまで来るのが面倒だっつの」

「固定電話ならあるが」


 彼は曾根崎(そねざき)といって、一年時からの同輩だ。長方形フレームの眼鏡をかけ、髪は妙な形に刈り上げている。(いわ)く、洒落のようだ。「お前もしっかりお洒落をしろよ」と言われる私は、必要最低限の衣服しか持っていない。


「ゼミの連絡だよ。一週間後、飲み会だってさ」

「急だな」

「女王様の気まぐれだ」曾根崎は自棄気味だ。

「なるほど」

 私たちに拒否権がないと察するには充分だった。


 地球言語を学ぶために、教材として利用した物語がいくつかある。その中に、「不思議の国のアリス」がある。そこに登場する、赤の女王が思い浮かんだ。

 気まぐれで私たちを振り回すあいつは、アリスやトランプ兵に横暴な命令を下す、赤の女王と重なる。


 あいつ、女王様こそが、私が狙いを定めてしまった女性だ。


「他には誰が来る?」わずかな希望を探すように、私は尋ねる。

「俺たちと、高柳(たかやぎ)先輩」

「後は?」

「以上」

「ああ……今から誰か誘えないか」

「無理だ。誰が行きたがる? 鬼だって首を横に振るだろうよ。いや、首を振る前に逃げ出すだろうな」

「教授は来ないのか? ゼミの飲み会なんだろう」


 カマキリのような顔をした男だ。神経質そうに視線を彷徨わせ、いつもなにかに追われているみたいに早口で喋る。我がゼミの教授だ。あんな様子になった原因は女王様だ、という噂もあるが、流石に眉唾だ。


「子どもが悪い病気に罹ったらしい。おそらく行けないだろう、ってことで欠席さ」

「それは本当か?」

「お前、そのときいなかったっけ。本人の口から聞いたよ」

「そうじゃない。本当に子どもが病気なのか、と疑っているんだ」


「さあ?」曾根崎はそっけなく肩をすくめる。「流石に『子どもを無視しろ』とは言わないだろうし。もし嘘だったら、頭のいい口実だよ」


 私の星では、子どもに危害を加えたりしても、大多数は罪悪感を抱かない。一方で地球の場合はそれが少数らしく、たいそう驚いた。同時に納得もした。幼い子どもが自由に駆け回り、涙ではなく笑顔を見せているのは気分がよい。


「で、ヒヨコの調子はどうだ?」


「ヒヨコ?」

 曾根崎は眉間に皺を寄せた。阿呆面にも見える。


 私は言い方を変えた。「瀬川(せがわ)のことだ。女王様だよ」


 曾根崎は噴き出した。なにが可笑しいのか、と眺めていると、「イントネーションが変なんだよ」と指摘された。


「本人からも言われたな」私が呟くと、また笑い出す。


「『瀬川女王様』のことを下の名前で呼ぶやつがいないからさ。すぐに分からなかったよ」

「で、調子はどうだ。機嫌が悪かったりすると、面倒くさいぞ」

「今のところは平穏だ。でも、いきなり悪くなることもあるから安心はできない」

「そうか」


 ゼミの頂点に座する女王、瀬川ヒヨコのことを考える。まだ彼女の本性が露わになっていなかった、二年前の春の彼女を。


 私の星の技術は、間違いなく地球よりも発展している。しかし未だにタイムマシンは開発されていない。

 星間飛行を楽にする宇宙船が開発されたとき、研究者たちは喝采を浴びた。タイムマシンはどうしても開発不可能だと発表した途端、手のひらを返され、多くの嘆息を浴びた。私も手のひらを返した一人だった。


 もしタイムマシンが開発されていれば、と思わずにはいられない。私は絶対に過去に飛ぶだろう。彼女に出会わなかった道を選び取るために。


 ***


「ヒヨコ?」

 私はすぐに、薄い黄色の鳥類を想像した。鳥の雛だ。


「違う、陽与子(ひよこ)」彼女はわざとらしく、ふくれっ面をする。「キノコと同じイントネーション」


 そう説明されても困る。地球の言葉はかなり覚えたつもりだが、発音の問題は簡単に解決できない。


「わたし、ヒヨコって呼ばれるの、あんまり好きじゃないの」

 申し訳なさそうにして、上目遣いで見つめてくる。

「いいじゃないか。ヒヨコ。可愛いと思うが」正直な意見だった。


 彼女はわずかに目を丸くして、「ええ、本当?」と嬉しそうに表情を緩めた。「ありがとう、嬉しいな」と笑顔を作った。


 今にして思えば、とんでもない演技だ。

 彼女の性格を錯覚したのは、その頃からだ。当時、偶然隣にいた曾根崎は「あの先輩、めっちゃ可愛い人だな」とにやけていた。要するに、私たちは同時期に、揃って騙されたわけだ。


 新入生歓迎という名目で、学科の一年生はいくつかの教室に分けて集められた。そこで、私たちは初めて顔を合わせた。


 以来、彼女は頻繁に私に接近し、心的な距離を縮めた。履修の相談に乗ってもらい、自分のいるゼミに来いと勧誘され、私と曾根崎は疑いもせず従った。

 二年生に進級した途端、彼女は仮面を外した。時すでに遅し、彼女から離れるという選択肢は、すでに蜃気楼のように消えていた。


「何故、私と曾根崎を選んだ?」私は尋ねたことがある。何故、下僕に選んだ? と言うのは控えた。


「ちゃんと、わたしの言うことに従ってくれそうだから」


 あっけらかんと言い放つから、思わず動揺した。


「だけど、あんたを選んだのは失敗だったかもしれない」鋭く睨まれた。

「勝手に騙して従わせて、挙げ句の果てに失敗だった、と。訴えても文句は言われないな」


「そういうところ」指を差された。「生意気なの。表情も変えないで、いっつもなに考えてるの?」

「私のようなやつを、生意気というのか」

「あと、そういうところも。宇宙人みたいでキモい」

 よい観察眼をしているな、という言葉を飲み込む。



 ふと、私は宇宙船で働き始める以前の記憶を蘇らせた。


「また、お前の顔を拝んでやるからな」

 あの男は、黒々した眼で見つめた。

 どうしてその記憶が蘇ったのか、理解したのはまだ先のことだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ