そう遠くない未来の話
「はい、おしまい」
物語の完結を口にする。止まっていた時間が動き出したかのように、私の視界に映る風景は波立った。
「どうだったかなー?」
私は、無邪気な瞳をきらつかせ、綺麗に整列して座る子どもたちを見渡す。
絵本の読み聞かせは成功に終わった。一人くらい茶々を入れてくる子がいるんじゃないかって不安だったけれど、意外にもみんな真剣だった。
「白坂せんせー、お話じょうず!」
「ありがとー!」
そろそろお昼ご飯の時間だ。家で作ってきたお弁当がある。台所に立って、一つ一つのおかずを見栄え良く弁当箱に並べて、誇らしげに口角を上げる。そんな、今朝の自分を俯瞰して思い返す。ずいぶん幸福そうじゃないか。
私は休憩するために外に出た。もう、冬か。
外はとても寒くて、空は灰色だ。冷たい氷が天に張っているんじゃないかって思う。
「マーちゃん、お疲れー」
先輩の伊藤さんだ。伊藤さんは私より三十も年上なのに、友だちみたいにマーちゃんと呼ぶ。なんだかそれが懐かしくて嬉しかった。
幼稚園の先生として働きだしてから、そろそろ一年が経つ。園児と遊んだり、時には叱ったり、お昼寝なんかしたりして、楽しい日々だ。
「マーちゃん、絵本の読み聞かせ本当、上手ね。そうやって物語を人前で読む職業とか、就けば良かったのに」
「どんな職業ですか、それ。嫌ですよ。私はこうやって、子どもたちに、絵本を読むのが好きなんです」
ふうん、と伊藤さんは微笑む。まあ、褒められるのは素直に嬉しい。
「ところで」
「なんですか?」
「その読んでた本だけど、ちょっと違うよね?」
違う、というのは、私が使った絵本が書店などで売っているものではなく、自作のもの、という意味らしい。家で手作りして、本の形にしたものだ。絵も、頑張って描いた。
「私が知ってる絵本と、似ているような。でも、割りと違う」
「あれですか、猫が出てくる奴」
「そうそう。ボーダー柄の猫が表紙の。昔読んで、思い出したわ。その絵本は猫じゃなくて、普通の男の人が主人公なのね?」
「ええ、アレンジです」
「そうだったの」
オマージュと言えばいいのか、パロディと言えばいいのか。アレンジと言って濁した。
どういうわけか、不幸によって何度も死んでしまう。けれどそのたびに生き返る、そんな主人公の物語だ。
「百万回も死んじゃうのって、考えただけでぞっとするわねぇ」
「そうですねぇ」
それから小声で、実際にあった話なんですよ、と付け加えた。
「なんか言った?」
「いや、何も」
物語を作るコツは、少し脚色を加えること。
「寒いんだから、早く中に入りなさいよ」
そうですね。優しい声に、笑みで応える。
伊藤さんと別れて、外を歩く。白い息が宙に浮く。雲の切れ間から、太陽が覗いた。
空を眺め歩きながら、百万回も死ぬ、ということを想像した。伊藤さんの言うとおり、ぞっとする。でも、逆に言えば、百万回も生き返ったということであり、相当強い精神をしていないと真似できない。
子どもの教育について大学で学んでいた頃、もっとも重要なのは子どもの気持ちに寄り添うことだと教えられた。嬉しいことも、悲しいことも、一緒に分かち合えれば、子どもはきっと幸せだ。
とはいえ、子どもに限らず、人に共感されることは誰だって望むものだ。
百万回の苦しみを知る人が、もしもこの世にいたとしたら、多くの人を救えるのではないだろうか。誰よりも苦しみに共感できるから。
しばらく空を見上げてから、気合いを入れ直し、子どもたちの元に戻った。
すると、スマホが振動した。いきなりで驚いたが、落ち着いて画面を見る。ふっと、笑いが零れる。
「はい、もしもし」
「ヤバい」
彼の緊迫した声が聞こえる。
「どうしたの?」
「会議の発表で、資料を忘れた」
「本当に?」
「本当も本当」彼はぐっと唾を飲み込みながら言った。限界を迎えて、すっかり喉が渇いちゃっているみたいだ。
なんとか届けられないか、あと数十分以内に。そう必死に懇願する彼の姿が、容易く想像できて、声をあげて笑う。笑うなよー、と彼は泣き出しそうだ。
「幼稚園にいるから、無理!」
ああ、と彼は嘆いた。
「やっぱり、駄目じゃないか」
「不幸というか、君のうっかりじゃない?」
帰ってきたら、慰めてやろう。そう思いながら、「切」ボタンをタッチする。
向こうから、子どもたちの楽しげな声が聞こえる。今日はまだ昼だ。
さあ、まだまだ頑張ろう。
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ではまた次回。




