100万回生きた男
悲鳴が上がる。
「なにをやってんだ!」
野次馬から怒号が飛ぶ。まさに野次だ。いや、その反応は至極正しい。ただ少しばかり待っていてくれ。
「ばっ……馬鹿なの!?」
彼女は完璧にヒいている。安心した。冷めた目で、だからなに? とでも言われたら脱ぎ損だった。
俺はさらにズボンを脱ぎ、パンツ一丁になる。
前方は絶句、後方は阿鼻叫喚。これが恥でなくて、なんと言う?
「キッツいな」俺は高らかに叫ぶ。「露出趣味はないから、普通に辛い!」
「じゃあ早く着なよ!」
「いやしかし、聞いてくれ」
「半裸の人の話を、どうやって聞けばいいの……?」
背後から別の騒がしさが聞こえる。振り返ると、騒ぎを聞きつけた警官が来ている。彼らは自殺しそうな人がいる、と聞いただけで、まさか露出男がいるなんて夢にも思わなかっただろう。むしろ、今起きていることを悪夢と認識してるかも。
「君が捕まるよ!」
白坂さんが悲鳴のように言い放つ。
いや、警官は俺を捕まえに来ない。俺と格闘することで、白坂さんが飛び降りるかもしれないから。俺は両手を広げて、一回転する。小さい悲鳴が二、三個上がった。
警官がなにやら叫んでいる。やめろ、とか、下がれ、とかなんとか。
「ここまでの恥はないな。下手すれば、SNSにアップされて、世界中の晒し者になるかもしれない。大学まで情報が行って、明日から笑われるかもしれない」
「そう思うんだったら早く服着てってば!」
「君がこっちに来たらな」
白坂さんはぎくりと身体を震わせ、言葉に詰まる。
「俺が服を着るのは、君が自殺を止めて、柵から手を離したときだ」
静寂が訪れる。俺の言葉が、デパートの屋上を支配した。俺は尚も彼女を視界に入れ、瞳を、口を、手を、しっかりと捉えた。
「君の辛さは分かる。さっきも言ったが、全部は共感できないんだ。共感できるのは、精神的に死んだと思うほどの、痛みを感じていることだけだ。苦しいよな」
彼女は静かに首肯する。
「生きてたら、こんくらい恥をかく奴もいる」そうして俺は、裸の胸を張った。「案外、なんとかなるもんさ。君の痛みも、きっと」
風が冷たい。肌をなぞり、鳥肌が立つ。思わずくしゃみをして、鼻を垂らした。そんな馬鹿がいることも知らないで、空を自由に飛ぶ鳥が影を落とす。鳥に目を奪われて、空を見上げた。じっと鳥を追う。
次に白坂さんを見たとき、彼女は柵から手を離し、歩み寄ってきていた。
「白坂さん」
俺はからからになった喉で彼女の名を呼ぶ。コンクリートの上を、ぺたぺたと裸足で駆けだした。
彼女は裸の俺を拒否し、しかし、涙で潤んだ目で、俺と視線を合わせた。
「佐藤君」そう言って、彼女は顔を近づけた。「本当に、馬鹿。どこまでも馬鹿」
「そんなに言わなくても」
「でも、私も馬鹿。教えてくれて、ありがとう」
「どういたしま……」
次の瞬間、俺は強い勢いで肩を掴まれる。腕を後ろに回され、抑えつけられた。
「え? なに?」
白坂さんは目を丸くする。
「確保ー!」
警官の怒った顔が、俺の視界の一面に飛び込んできた。
「女性を追い詰めた露出狂、確保しました!」
「え!? ち、違う、違う! 俺は犯罪者じゃなくて!」
「暴れるな!」
後方で、ひそひそと話し声が聞こえる。それが嘲笑なのか、軽蔑なのか、さっぱりだ。だけど、その中にも、歓喜のものが混じっていた。
警官に掴まれながら立ち上がると、時田と日野が、揃っていた。時田は親指をぐっと立てて、日野はピースサインを送った。
振り向くと、白坂さんが困ったように、でも愉快げに笑っているのが見えた。笑いながらも、彼女に付き添う警官に事情を説明している。早く、早く助けてくれ。
ともあれ、彼女は生き返った。
この先、どれだけの痛みが彼女を待っているのだろうか。それは分からない。
それでも、彼女は立っている。
どこまでも青い空と、いかめしく浮かぶ太陽が、彼女を励ましているように見えた。
***
俺は生きている。心臓の音は鳴り、血管は脈打ち、呼吸を続けている。どんな装置で確かめても、「健康」と結果を出すだろう。
しかし、精神的になら幾度となく死んでいる。
ボロボロの精神を引きずって火の中から這い出し、無様に生き返る俺は、百万回と生死を繰り返していた。
ただ、百万回死んだ俺は、一回死んだ人間を、生き返らせた。
きっと、多分、生き返らせた。
時折、夢の中にあの猫が出てくる。相変わらずボーダーの毛並みで、憎たらしい目をしていた。だけど、そいつはどこか満足そうで、俺を見てどこかへ行く。
お前も生きているんだな、と俺は思った。
***
「百万年も死なない男がいました。百万回も死んで、百万回を生きたのです」
「立派な青年でした」
「立派かは分からないけど、少なくとも、頑張っているようです」
次回、第一部完。




