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当たって砕けて生き返る

「今どこにいるんだ?」

「デパート。駅前、ちょっと北の」


 場所は分かったが、どうしてそこに。


「デパートでそんな泣いてたら目立つよ」

「今更どうでもいいよ」


 白坂さんは自暴自棄になっている。耳を澄ますと、彼女以外にも声がする。どこか人気(ひとけ)のない場所とかではなくて、普通に、店内にいるらしい。


「やっぱり駄目だった」

「駄目? なにが」

「許せなかった」


 声が震えている。悲しみに加えて、怒りも混じっているようだ。


「えっと、元カレの話だよな。相手の態度次第では許すとか……」


 うん、と彼女は答えるが、それはほとんど唸り声に近いもので、濁点まみれの印象だ。


「それで」君はどうしたの、と追求しようとしたのだが、「もういいよ」と遮られた。

「もういいって……」


 時田たちが、不穏な方向に会話が向かっていることを察知して、そわそわとし始める。日野は「なにがあったの?」と口を動かしている。


「教えても意味ない」

「意味ないことは、ないだろ」


「わたしはこれから、死ぬんだから」

「は? 死ぬ?」俺が反復に、時田も驚く。「そりゃ精神的にってことで、その、本当に死ぬわけじゃないだろ?」


「もう死にたい。だから死ぬっていったの! 飛び降りるから!」


 思わずスマホを持つ手に力がこもる。じわりと汗が額に滲むのが分かった。


「落ち着け」

 俺は誰に対して(いさ)めているんだ。白坂さんか、もしくは自分か。


「簡単に死ぬなんて言うもんじゃない」


 なんだそれは。そんな浅いことを口にするな。


「最後に君に電話をかけたのは、応援してくれたのに駄目にしちゃったことを、謝ろうと思ったの。止めて貰いたいわけじゃない」

「俺も、ただ死んじゃ駄目だって、浅いことを言って慰めようなんて考えてないんだ」


 彼女は涙を堪えているようで、荒い息が薄く聞こえてくる。


「だから、ちゃんと話を……」

「ごめん……ごめんね」


 通話は強制的に切られた。昨日、俺がやったみたいに、逃げるようにして、切れた。


 数回の電話だったが、絆や友情のようなものが出来上がったと思い込んでいた。それはロープや鎖のようなイメージだ。だけど本当は、ただのよれた糸。強く引っ張れば簡単にちぎれてしまうものだった。



 胃が痛む。脳の、端っこの方から熱を帯びてくる感覚があった。

 もう一度通話ボタンを押す。彼女が出てくれることを望んだ。「やっぱり冗談だよ」なんて軽い調子で、応えてくれるのを待った。


「佐藤先輩」

 時田の声がする。本当に時田の声か? 幻聴かもしれない。


「佐藤先輩!」

 肩を掴んで揺り動かされた。俺はよろけて倒れ込みそうになる。


「白坂さん、なんですって?」

「……し、死のうとしてる」


 時田は冗談を言ってるわけではないと分かると、目を閉じてなにかを考え込みだした。

 いや、考えは一瞬でまとまったらしく、すぐに目を見開く。


「まだ間に合う」

「え?」

「まだ、彼女は気持ちを整理できていない。俺は直接聞いてないけど、おそらく勢いで行動しているだけ。いざって時には、絶対に躊躇する」


 だから?


「まだ間に合う」

「革命ですよ先輩!」

 日野が叫んだ。


 時田は俺の袖を掴む。引っ張られていく。ふらつきながら、俺たちは公園を出る。

「待て、まだ」

 俺の発言を遮って、彼は(まく)し立てた。


「場所は聞いてましたよね。デパートって聞こえました。駅前なら走れば着くかも。別の場所ならもうタクシー呼ぶしかない。急ぎましょう」


「駅前、北にあるやつだって」

「じゃあ」


 そして彼は、ピッチャーがサイドスローで球を投げるように、俺を引っ張りながら、前へ放った。俺は勢いよく前方に投げ出され、さらに背中を押された。


「急げ、急げ!」二人の声が重なる。


 慣用句的な意味でも、物理的にも背中を押され、ごちゃごちゃと悩んでいた頭の中は、モーセによって割られた海のようにすっきりとした。行かねばならない。その思いが、強く明滅している。


「当たって砕けても、タダだ!」


 簡単に言うけど、難しいんだよ。

 でも、やってみる。


 ***


 俺は必死に走り出した。昨日の、白坂さんが語った物語を思い出す。飼い主が、出て行った猫を追う話だ。

 俺はどっちになる? 飼い主になるか、町の人になるか。


 走っている間、走馬燈のように過去が思い返される。カラスに糞を落とされたこと、電車の中でスマホからイヤホンが抜けて大音量を流してしまったこと。合コンのこと、酒に酔って時田と日野に励まされたこと。白坂さんと電話したり、直接会って立ち話したこと。


 過ぎていく人々が、走る俺を奇異の目で見てくる。

 信号にたどり着き、点滅する青色に舌打ちをする。車も詰まっていて無理矢理には渡れないが、歩道橋がすぐ側にあった。階段を駆け上った。


 歩道橋の上から、駅とデパートが見える。

 彼女は屋上に向かうのかもしれない。自棄になった彼女は、デパートの屋上から飛ぼうとする。できるかどうかは問題じゃない。屋上の柵を乗り越えてはいけないんだ。越えちゃいけない一線を、越えるのと同じだから。


 恋愛は不思議だ。改めてそう思う。人はどこまでも狂っていく。フラれたら死を選びたくなるし、好きな人のためなら全力で走ることもできる。ここまで狂わせる恋とは、奇妙で畏怖すべきもので、それでいて偉大なものだ。恋のために人は生まれるというのも、あながち間違っていないのかもしれない。


 俺はきっと、白坂さんに狂わされたのだろう。

 意識してなかっただけで、きっと、合コンで一目見た瞬間から狂わされた。


 電話をして、笑い話を交わす。それだけの時間が、不幸だらけの人生に灯りを点けた。


 歩道橋の階段を一段飛ばしで降り、駆け下りた勢いでデパートに向かう。脇腹が痛い。運動不足だ。息が切れて吐きそうになる。足も潰れそうだ。


 吐いてもいいか?


『こうなったら、いっそのこと底まで落ちていくのが良いですよ』


 そうだ。底まで落ちよう。どうせ恥を掻きまくった人生だ。


 今更、道で吐き散らしても大したことじゃない。汗を垂らして醜い表情で走ったり、道ばたで吐いたりしたところで、周りの反応なんかどうでもいい。


 だって俺は、百万回も死んで、生き返った男なんだぜ。


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