85 お風呂で汗を流してさっぱり
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「はぁ~……極楽極楽♪」
湯船に浸かると、さすが元日本人、そんなおっさん臭い声が出てしまう。
でも六歳。
でも中身は三十代半ば。
「お嬢様……」
エマが微妙に咎めるような顔で私を見てくるけど、このくらい許して欲しい。
だって、初めて馬に乗って、剣を振って、緊張もしたし疲れたし、何より汗をいっぱい掻いたから。
疲労がお湯に溶けていくようなこの感覚は、至福の一時なのよ。
それに、この後お仕事でしょう?
その前に、さっぱりリフレッシュしたいじゃない。
じっくり温まって、それから湯船から洗い場に出る。
「エマ、髪も洗って」
「はい、お嬢様。お湯をかけますから目を瞑っていて下さい」
エマが蛇口から洗面器にお湯を張ると、ゆっくり頭からかけて、シャンプーで髪を洗ってくれる。
さすが乙女ゲームの世界だけあって、この世界には石鹸やシャンプーやリンスがしっかりあるのよね。
とてもいいことだわ。
もっとも、品質は前世の日本には遠く及ばないのが残念だけど。
「お嬢様は『給湯器』を発明されてから、以前にも増してお風呂好きになりましたね」
エマの細くて綺麗な指が、髪を梳くように洗って、指先が頭皮を優しくマッサージしてくれる。
「あぁ……エマも、髪を洗うのが上手になったわね……とっても気持ちいいわ」
「お嬢様のご指導の賜物です。他のメイドや侍女の方々に教えたら、頭がスッキリさっぱりして気持ちいいと評判ですよ」
「ふふ、それでみんなもお風呂大好きになってくれると嬉しいな」
元日本人としては、入浴の文化が広まるのは大歓迎だから。
だって、前世のどこかの王様みたいに、月に一度お風呂に入るだけで潔癖症扱いされるような、そんな生活習慣は嫌でしょう?
「この給湯器のおかげで、水汲みや薪でお湯を沸かす手間が省けるようになりましたからね。それにあたし達使用人にまでお風呂を用意して戴いて、みんなお嬢様に感謝しています」
「清潔にしておくと、髪と肌の艶が良くなるだけじゃなく、病気にもなりにくくなるのよ」
「そうなのですか? 本当にお嬢様は色々なことをご存じなのですね」
そんな尊敬していますみたいな温かな声をかけられると、ちょっと照れるわ。
最近のお屋敷は、私は当然、お父様とお母様を始め、使用人達の清潔感がアップして、少し明るく華やかになった気がする。
血行が良くなって、身体の調子が良くなったことも大きいと思うわ。
髪を洗い流した後は、石鹸を泡立てて身体も洗ってくれた。
それからまた湯船にじっくりと浸かる。
「でもね、この給湯器はまだまだ試作品なの。私が理想とするお風呂とは程遠いわ」
「そ、そうなのですか? これでも十分画期的で、お風呂事情が変わる大発明だと思うのですが」
「こんなの、まだまだ子供のお遊びよ」
「は、はあ……子供のお遊び、ですか……」
まだ子供の私が何を言っているんだと言う話だけど。
しかも、子供が遊びで作れる物でもないと言う話でもあるけど。
この給湯器、魔法陣を二つ用意して、それぞれ水属性と火属性の魔石を使って、魔法陣同士を接続文様で繋ぐことでお湯を作り出しているの。
もちろん、二つの魔法陣それぞれの文様のみならず、二つの魔法陣を繋ぐ接続文様についても私の変更機構を組み込んでいるから、水量と水温を変化させられるわ。
ちなみに、二つの魔法陣を接続文様で繋ぐ技術は昔からあって、特許登録されていないから無料で自由に使える技術だけど、この二つの魔法陣を繋ぐ接続文様の変更機構はまた別の技術だからって、オーバン先生の勧めで特許を登録予定よ。
それはさておき、水量と水温を変化させられるとしても、この試作の給湯器ではまだまだ限定的なのよね。
まず、水量は少、中、多の三段階のみ。
さらに、お湯は四十度を基準に、前後一度刻みで、三十八度から四十二度までの幅しかないのよ。
しかも、蛇口にはレバーもつまみもなくて、ただ作ったお湯をタンクの底からパイプに流して蛇口から零しているだけ。
だからお湯を出さない時は蛇口を閉めるんじゃなくて、魔道具をオフにしないといけないの。
つまり、漏斗にお湯を注いでいるのと変わらないわけね。
なんでこんなにシンプルなのかと言うと……この方法が一番単純でコストも安くて手っ取り早く作れたから。
さらに言えば、使い勝手に合わせて外観を少し変更すれば、厨房でも使えそうと言うのもある。
だって帆船に備え付けるのに、あまり手の込んだ複雑な魔道具にすると建造コストが上がってしまうし、もし航海中に壊れても、構造が簡単な方が修理も簡単でしょう?
何より、この時代の船で、航海中、季節に合わせて温度を選べるお湯が出る、それだけでも十分過ぎる程に画期的で贅沢なのよ。
平民の船乗りが乗る船をあまり贅沢にすると、貴族達が煩いでしょうし。
だから、しばらく使ってみて特に問題がなければ、帆船用はこれで一応完成。
でも、屋敷に備え付ける物は、うんと性能を上げて前世の日本のお風呂に近づけていくつもり。
理想は、二十度くらいの水風呂も選択出来るようにして、五度刻みで三十五度まで、その後、一度刻みで四十五度まで、最後に五度刻みで五十度まで、細かく選べるようにしたいわ。
その上で、ちゃんとレバーが付いた蛇口を付けて、シャワーも作って、切り替えられるようにするの。
そして、お湯を作り出すのとは別のタンクに湯船からお湯を引き入れて循環させて、湯船のお湯が常に設定温度を保ち続けるようにもしたいわ。
フィルターも付けてお湯を浄化出来れば、二十四時間いつでも入り放題ね。
「その改良した給湯器とお風呂を設置すれば、お屋敷は元より、塔の最上階から地下まで、海辺や川辺の船小屋から山頂の山小屋まで、離島でも旅行先でも、いつでもどこでも好きなときにお風呂に入れるようになるのよ。そしていつか豪華客船を就航して、海や海中を眺めながら入れる大浴場を作るのもいいかも知れないわね。ね? とっても素敵だと思わない!?」
フンスと意気込んで振り返ると、エマがなんとも言いようのない顔をしていた。
……微妙に賛同を得られていないわね?
「その……お嬢様のお風呂に懸ける情熱には、頭が下がります」
「もう、エマったら。いつか私が、それをお風呂の標準にしてみせるわ」
だって元日本人としては、これくらい、最低限だと思わない?
今はこんな顔をしているエマだって、そのお風呂に毎日入れるようになったら、お風呂の本当の魅力を絶対に理解してくれるはず。
いえ、エマだけには絶対、理解してくれるまでお風呂を堪能して貰うわ。
だって一番側に居てくれるエマとは、同じ気持ちを分かち合いたいんだもの。
そんな楽しいお風呂談義をしてから、お風呂を上がる。
エマに髪と身体を拭いて貰って、ドライヤーで髪を乾かして貰って、下着とドレスを着替えたら準備完了。
「さあ、ここからはお仕事の時間よ」
「皆様、すでに会議室にお集まりです」
「そう、ありがとう。あまり長く待たせたら悪いわね。さあ、行きましょう」
スッキリさっぱり、今日もいいお仕事が出来そう。
やっぱりお風呂は人類の宝ね。
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