324 マリーのささやかな望み
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「お父様、お母様、お休みなさい」
「ああ、お休みマリー」
「お休みなさいマリー、良い夢を」
いつもの家族団欒の時間を過ごし、夜が更ける。
エルヴェは早々に子供部屋で寝かしつけられ、マリエットローズもまた一足先に就寝のため自室へと戻って行った。
リシャールとマリアンローズはそれを見送った後、そのままリビングで、ゆったりとした夫婦の時間を過ごす。
話題に上るのは、愛娘であるマリエットローズについて。
それも、お付きメイドのエマと護衛のアラベルからもたらされた、愛娘の発言についてだ。
「旦那様、奥様。お嬢様についてご報告したいことが。実は今朝お嬢様が――」
嬉しそうにそう切り出してきたエマから聞いたマリエットローズの言葉に、リシャールもマリアンローズも、思わず目を瞠ってしまったのだ。
「世界中を見て回りたい、珍しい品をたくさん集めたい……か」
愛娘の言葉を反芻して、それを酒の肴にワインを味わう。
付き合い以外であまり酒を嗜まないリシャールには珍しく、今夜は飲みたい気分だった。
その隣で、マリアンローズもワイングラスを片手にその時のことを思い出し、わずかに目を潤ませる。
「将来の夢と呼ぶには、まだあまりにもささやかだが……」
「ええ。けれど、マリーもようやく、少しは自分の将来について考えてくれるようになったのね」
「これまでは、計画に関わることばかりだったからな」
大型船を造りたい、インフラ整備をしたい、特産品を増やしたい。
それらから始まり、魔道具と航海術の道具を作りたい、船員育成学校と職業訓練学校を作りたい、などなど、口にするのは『ゼンボルグ公爵領世界の中心計画』に関することばかり。
加えて、ヴァンブルグ帝国語のみならず、ギリシオ語やガボニア王国語までも学ぶなど、いずれそれらの国へ行くことを念頭に置いているだろうことは察していたが、それもまた同様に、外交と言う仕事のためだろう。
それが、ようやく計画とは別に、自分が将来どうしたいかと言う夢や希望に繋がる言葉を口にしてくれたのだ。
「それが交易や外交のお仕事の範疇であれば、大型交易船に同船すれば済む話だわ」
「仕事の邪魔を出来ない、となれば、それは個人的な希望に他ならない」
それだって、純粋に船旅で海外旅行をしたいと言うものではなく、計画を意識してのことには違いない。
しかしそこに、仕事一辺倒ではない楽しみを見出している。
何よりそれが重要だった。
「言われなければ、お友達を作ることすら考えてもいなかったあのマリーが……」
「大型交易船が就航し一つ大きな山を越えたことで、ようやく自分や周りに、そして領地の外へ目を向けるだけの心のゆとりが出来たのだろう」
「最近、表情が少し柔らかくなったものね」
「本人に自覚はなさそうだがな」
剣術や馬術に関してもそうだ。
元より、マリエットローズが早々にそれらを学びたがっていたのは、国立オルレアス貴族学院の卒業資格を取得し学院に通わない、と言うオプションを選択するためでもあったが、いざ貴族から狙われた時、自分で自分の身を守り逃げ切れるように、との考えもあったためだ。
なので、これらを学ぶ方針はこれまでと変わらず、そこに、未知の土地を旅する際に自衛の手段が欲しい、と言う理由が加わったに過ぎない。
しかし、そこには確かな心境の変化が見られた。
娘をそのように育ててしまった親としての不甲斐なさと、娘の成長の喜びと、その両方を同時に味わう複雑な気分に、リシャールは苦笑を漏らす。
「少し、過保護になり過ぎていたかも知れないな」
「それも仕方がないわ。心配は尽きないもの」
現に、ヴァンブルグ帝国皇家がマリエットローズの才覚を見込んで欲し、モーペリエン侯爵家が排除のために動いている。
賢雅会も、ブルーローズ商会と開発チームの実態を知れば、消そうとするだろう。
そしてオルレアーナ王家も、現状どちらに転んでもおかしくない。
「ああ、心配は尽きないが……マリーの成長と可能性を広げるため、情勢が落ち着いたらアゾレク諸島へ、そしてアグリカ大陸へ、共に行くのもいいかも知れないな」
「そうね。とても楽しそう。それに、もしかしたら訪れた先で、マリーが自分でいい人を見付けるかも知れないものね」
「……」
「もう、あなたったら。本当にこういう時、男親は駄目ね。マリーの幸せのためにも、素敵な殿方を見付けてあげるのでしょう?」
「……それはその通りだが。そうであってもだ」
ここまでとは違い一息にワインを飲み干すと、リシャールは大きく息を吐き出した。
「領内の掃除を進めたことで、以前より領内は安全になった。ジュユース侯爵家、リチィレーン侯爵家の頭も押さえた。まずは領内なら、もう少しマリーの好きに行動させてやれるだろう」
領都ゼンバールでの町歩きや貧民街での炊き出し、工事現場の視察くらいなら、お膝元であるため、十分な護衛を表に裏にと付けて好きにさせてきた。
しかし、ゼンボルグ公爵領内とはいえ、領都ゼンバールの外へ出向く際は、リシャールの仕事や視察に合わせてのみだった。
マリエットローズも、自身の年齢と立場を考えてそれに合わせ、近場でも単独で出向いたことはない。
「派閥の貴族達も、滅多な真似はしないだろう。頼まずとも、しっかりと守ってくれるはずだ」
ゼンボルグ公爵派として見れば、マリエットローズを婚姻で取り込む意味はない。
家の利益のみを優先し強引な真似をすれば、非難が集中し、計画から外され、逆に没落の道を辿ることになる。
それが分からない者達ではないと、リシャールは信頼していた。
「今後は、親しいご令嬢の領地へ遊びに行くくらい、大目に見るべきだろうな」
「そうね。きっとマリーも喜ぶわ」
愛娘の喜ぶ顔を想像して、リシャールは自分とマリアンローズのグラスにワインを注ぐ。
「マリーの幸せな将来に」
「ええ、マリーの幸せな将来に」
このまま良い未来を迎えられるように。
そう願いを込めて乾杯するのだった。
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