312 テラセーラ島の復興支援のその裏で 1
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テラセーラ島のアナトリー村における復旧作業、および新しいオリヒオ村の開拓が進み、使節団と訓練船団が存在感を増していく中、それを苦々しく思い、反感を覚える者達がいた。
『余所者どもが、突如やってきてでかい顔をしおって! まずこのオレに挨拶に来るべきだろう! 何故オレに食料を貢がん! オレはこの諸島の王だぞ!』
玉座の肘掛けを乱暴に叩き怒声を上げたのは、アゾレク諸島を支配する王を自称する、アルキビアディスである。
テラセーラ島より南東へおよそ百五十キロ離れた、アゾレク諸島東部に位置するサーミゲラ島。
その東西に並ぶ三つの火山のうち中央と西の火山に挟まれた南海岸沿いの平地に、メソン町があった。
メソン町は人口五千人以上にもなる、アゾレク諸島最大の、最も発展した町である。
その町並は、限られた平地に密集して家が建てられているため、道幅も狭く、せせこましい町の造りとなっており、一軒一軒の敷地はさほど広くない。
その代わり、三階、四階と上へと伸びた縦長の家が連なっていた。
しかし、その家の全てが石造りで漆喰を塗られ、陽光に白く眩しく、さらに赤やオレンジなどで統一された瓦葺きの屋根がアクセントとなり、美しい景観を作り出している。
加えて、役所や兵の詰め所、商工会議所や造船所、図書館や劇場など、公共の施設も数多く建てられており、アナトリー村やかつてのオリヒオ村と比べ、都市国家と呼べるだけの経済規模と発展を見せていた。
もしマリエットローズがこの町を見れば、エーゲ海の島々を想起したことだろう。
そして、海から離れた町の北側には、一軒一軒の敷地が何十倍も広い豪邸が建ち並んでいた。
権力者や金持ちの有力者が居を構えているエリアである。
その中でも、一際敷地が広く、他とは一線を画す贅を尽くされている大きな屋敷が、アルキビアディスの居城だった。
外観、内装共に凝っており、家具はどれもアゾレク諸島で育まれた文化を感じさせる最高級品で揃えられている。
さらに装飾品や美術品には産出量が非常に少ない貴重な金銀銅がふんだんに使われており、圧倒的な財力を誇示していた。
ただしそれは、オルレアーナ王国やゼンボルグ公爵領の王城や屋敷と比べると何段も見劣りしてしまうのは、さすがに仕方のない話だろう。
飽くまでも、アゾレク諸島内での、最高級と圧倒的な財力であるのだから。
しかし、その中で唯一、オルレアーナ王国国王であるジョセフであっても、ゼンボルグ公爵であるリシャールであっても、さらにはヴァンブルグ帝国皇帝ルートヴィヒ二世であっても、容易には手に入れることが出来ない調度品があった。
それは、玉座の後ろの壁に掲げられている、アゾレク諸島の王を示す紋章が描かれた大きなタペストリーである。
数ある調度品の中でも、アルキビアディスが最も誇りを抱いているそのタペストリーの色は、紫。
帝王紫と呼ばれる、かつて大西海沿岸でフェノキア人が支配していた都市国家ティルクで生産されていた、非常に稀少で高価な染料で染められた紫である。
紫は、王や皇帝のみが使える高貴なる色と言われている。
それは、この帝王紫が由来となっていた。
何しろこの紫の染料は、アクキガイ科の貝のパープル腺(鰓下腺)から採取される黄白色の液から作られるが、たった一グラムの色素を得るのに必要な貝の数は二千個とも一万個とも言われている。
しかも、貝の種類によって紫の色味が変わり、さらに紫に発色させるためにその液を糸に塗布し日光に当てて干すのだが、その当てる光の具合によっても色味が変わってしまうため、望みの色合の糸を大量生産するには高度な専門技術が必要なのだ。
この帝王紫に染められた布の生産に、どれほどの労力が、そして権力が必要になるのかは、想像するまでもないだろう。
そうして作られたこのタペストリーを代々受け継いできたからこそ、そして、自らが纏う帝王紫のマントがあるからこそ、アルキビアディスは自身が王であると自負し、サーミゲラ島の住民全てにそれを認めさせることが出来ていた。
その王たる自分が蔑ろにされ、コケにされた。
それは許しがたい屈辱だったのだ。
『奴らには武装をしている兵もいるのだったな?』
『はい、アルキビアディス様。その数、およそ百前後かと』
アルキビアディスの前に跪いた壮年の男、将軍たるレオニコスは、恭しく自らの王の疑問に答える。
『たった百か。その程度であれば、蹴散らすのは難しくないな』
メソン町の人口は五千人以上だが、常備軍は百人にも届かない。
メソン町の経済規模では、その数が限界なのである。
しかし、サーミゲラ島には他に、アルキビアディスが王として実効支配している千人、七百人、四百人規模の村があった。
『どれほど集められる?』
『はい、恐らく、五百は揃うかと思います』
『くくく、それだけいれば余所者どもを血祭りに上げ、反抗的で生意気なアナトリー村の者どもに、誰が王なのかを思い知らせることが出来るな。よし、各村にも伝令を出せ。すぐに兵を集めろ』
『お待ち下さいアルキビアディス様。余所者どもは四十メートル級の船を三隻保持しています』
『むっ……』
『対して我らのガレー船は三十メートル級。それも四隻のみ。相手の武装した兵は百程度でも、船員その他を合わせれば、かなりの数になりましょう。アナトリー村が反抗に出れば、その数はさらに膨れ上がります』
『確かにな』
レオニコスの忠言に、アルキビアディスは自ら先陣を切って攻め込もうと浮しかけていた腰を玉座に下ろす。
アルキビアディスは人一倍自尊心が高いが、腹心の部下の言葉に耳を傾けない程狭量な男ではなかった。
アルキビアディスの三十年余の支配者としての人生を支えてきたのは、腹心たるレオニコスの存在があってこそである。
そのことを、十分に理解していた。
『しかも、ただ血祭りに上げただけでは、報復として、遥か東にあると言う本国から追加の兵を乗せ、この町へ攻め入ってくるやも知れません』
『そんな危険もあるか……その場合、どれほどの兵が攻めてくるか分かるか?』
『申し訳ありません。さすがにそこまではわたくしめも……』
アナトリー村との本格的な交流は始まったばかりで、他の村や島に、ゼンボルグ公爵領の詳細はまだほとんど知られていない。
精々、交易のためアナトリー村を訪れた者達の話から、余所者の目的が諸島の侵略ではなく、また、その正体が祖先をこの諸島へと追いやった民族とは別の民族である、と言う程度だ。
『攻め入る前に、まずは情報を集め、策を練り、より多くの兵を集め、相手が負けを認めてアルキビアディス様に降るよう、落としどころを考える必要があるでしょう』
『それはいい。余所者どもを降し、本国の場所を吐かせ、逆にこちらから攻め入ってやれば、余所者どもは皆降伏し、オレに傅くに違いない。つまりオレは、より大きな国の王として君臨出来ると言うことだな』
『その通りです』
『くくく、いいぞいいぞ。元よりオレは、こんな小さく狭苦しい諸島の王に収まる程度の器ではないのだ。祖先の無念など今更どうでもいいが、このオレが祖先も成し得なかった大陸の支配を成し遂げてやろうではないか』
『おお、さすがですアルキビアディス様』
『よし、レオニコス、情報を集め、策を出せ! このオレこそが真の王であると、無知で無礼な余所者どもに分からせてやれ!』
『はっ、アルキビアディス様の仰せのままに』
いつも読んで頂き、また評価、感想、いいねを頂きありがとうございます。
頂いている感想は全て読んで、執筆のモチベーションにしています。
今回も、少し補足説明を。
帝王紫(貝紫)について、ちょっと作中の説明が長くなってしまいましたが、実際に、紫が王や皇帝のみが使える高貴なる色と言われる理由となった染料のようです。
採取方法も稀少さも染色方法も作中の説明通りで、クレオパトラが帆船の帆を帝王紫に染めてその力を誇示していた、と言う話もあるようです。
作中では、フェノキア人が大西海沿岸で支配していた都市国家ティルクとしていますが、現実では、フェニキア人が地中海沿岸(現在のレバノン)で支配していた都市国家ティルスです。
ティルスで生産されていたので、ティリアンパープルの名称なのでしょうね。
日本でも、佐賀県にある弥生時代の遺跡である吉野ケ里遺跡から、同様の貝紫で染められた絹布が出土しているようです。
その後、貝紫は見られなくなり、紫草という植物の根で紫根と言う染料が使われるようになったようですが。
ちなみに「293 テラセーラ島にて 4 予断を許さない村の現状」にて「非常に貴重で高価な品に心当たりが――」と記していたのがこの帝王紫のことです。
新たにこの事実を知ったので、せっかくだからお話に組み込みたく、急遽プロットと執筆していた分を破棄して、新たにプロットから書き直すことにしたわけです。
当初はもっとすんなりアゾレク諸島の話は進み、マリーも訪れることになっていたのですけどね。
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