306 本番の大型船の進水式
そして遂に、進水式の日を迎えた。
「わあ……!」
「すごい……!」
体育館の何倍も大きな大型ドック。
そこは、機密を守るため壁と天井に囲まれ、小さな三角形を多数組み合わせたトラス構造の鉄骨の柱や梁があり、さらにその梁からクレーンが吊り下げられている、いかにも秘密基地的な雰囲気がある、最新鋭の造船所だ。
その大型ドックの中央に威風堂々と鎮座する、全長八十メートルにもなる大型船。
しかも、メインマストのてっぺんは、五十メートルもの高さがある。
十数メートル級の帆船が一般的な中、練習船を見た時も大きいと感じて驚いたけど、本番の大型船の巨体はその比じゃないわ。
「見て下さいマリエットローズ様! こんなにも長くて、高くて、大きいです!」
「近くで見ると、本当に大きいですね……!」
ジョルジュ君も、圧倒されたように船を見上げて、こんなにもと両手を大きく広げながら目を輝かせている。
「これ程の船、世界中探しても他にはないだろう」
「まったくですな。この船なら、アグリカ大陸に行くなんてわけないでしょう」
お父様とシャット伯爵も、圧倒されつつもとても満足そうだ。
「おふねー! おふねー!」
「そうねエルちゃん、お船おっきいわね~」
お母様の腕の中で、しきりに船を指さしてエルヴェも大興奮みたい。
エルヴェもこのお船を気に入ってくれて、お姉ちゃん嬉しいわ。
「旦那方、どうですかい?」
そんな大満足の私達に、得意満面の船大工の棟梁が近づいてきた。
「ああ、素晴らしい仕事ぶりだ。初の試みでありながら、よくぞ完成させてくれた」
「なに、それがあっしらの仕事ですからね」
これだけの大型船を完成させたんですもの、胸を張ってドヤ顔になっても許されると思うわ。
「それじゃあ、準備はいいですかい?」
「ああ、やってくれ」
「了解でさあ。おい、手前ぇら!」
お父様の許可を受けて、棟梁が部下の船大工達に指示を出す。
すると……。
大型ドックの海側に面した壁が、ゴゴゴゴと大きな音を立てて左右に開いていった。
すぐ外には、海がどこまでも広がっている。
「何度見てもすごいですね……」
ジョルジュ君も私達と一緒に、未来への架け橋号の進水式の時に一度この光景を見ているけど、新鮮な驚きを覚えているみたい。
この秘密基地感が、男の子にはたまらないかもね。
「うみー! うみー!」
エルヴェも大興奮みたいだし。
やがて、壁が左右に開ききる。
これで大型船を阻む物はなにもない。
「では、シャット伯爵」
「はい閣下」
お父様に促されて、シャット伯爵が赤ワインのボトルを手に船へと近づいていった。
みんな静かにシャット伯爵に注目する。
「コホン。では、これより命名式を執り行います。シャット伯爵グレゴリ・ラポルトの名において、この船を『レディ・アンジェリーヌ号』と名付けます」
朗々としたその命名に、私達からはもちろん、船大工達からも拍手が送られた。
シャット伯爵はすごくご満悦のようね。
そんな中、拍手をしながら、シャット伯爵夫人が嬉しそうに頬を染めて照れている。
だって『アンジェリーヌ』はシャット伯爵夫人の名前だから。
ここでの『レディ』は、未婚女性のことではなくて、貴婦人のことね。
命名式で、誰が名付けるか。
実は最初、また私にと言う話だったのだけど、今回は遠慮したの。
だって、名前のネタがね……?
今回も三隻の名前を付けたら、今後、大型船の名前は全部私が決めるのが慣習になってしまいそうじゃない、立場的に。
それはちょっと遠慮したかったから。
それならばと、お父様は『マリアンローズ号』と名付けようとしたけど、じゃあ他の二隻の船の名前はどうするのとなって、いい名前を思い付かなかったみたい。
なので、建造した領地の領主に付けて貰うと言うことで落ち着いたの。
お父様といい、シャット伯爵といい、二人とも愛妻家よね。
ちなみに、女性が命名するのが慣習になるのはもっと時代が下ってから、しかもイギリスの王太子が始めたんじゃなかったかしら。
だから、シャット伯爵が命名しても問題なしね。
そして、次はいよいよお待ちかねの進水式だ。
棟梁の指示で、船大工達が船体が倒れないようつっかえ棒にしていた丸太を外し、造船台へと取り付く。
造船台にはトリガーと言う装置が付いていて、造船台が動かないように固定しているの。
何しろこの造船所は船台ドックで、床が海の方へ向けて十パーセント程傾斜しているから。
乾ドックにするなら、八十メートルの大型船が余裕ですっぽり入るだけの深い大きな穴を掘らないといけないでしょう?
陰謀開始のタイムリミットを考えたら、重機もないのに、人力でそんな大穴を悠長に掘ってはいられなかったのよ。
「では、これより進水式を執り行う」
船大工達の準備が整ったところで、お父様が進水式の開始を宣言した。
「トリガー外せ!」
「「「「「おう!」」」」」
棟梁の指示でトリガーが外され、いつでも造船台が動く状態になる。
そして命名したシャット伯爵が、手にした赤ワインのボトルを船体に叩き付けた。
ボトルは見事に割れて、再び拍手が湧き起こる。
実に縁起がいいわ。
ここでボトルが割れないと、船が遭難したり沈没したりすると言う迷信があるから。
シャット伯爵も伯爵夫人も、そしてジョルジュ君も、すごくほっとしているわね。
無事ボトルが割れたところで、それではと、シャット伯爵が気を取り直して咳払いする。
「レディ・アンジェリーヌ号、進水!」
シャット伯爵の合図に、船大工達の手で造船台が押し出された。
動き出した造船台が、本番の大型船――レディ・アンジェリーヌ号を載せたまま、海へと向かって傾斜を滑っていく。
そして、レディ・アンジェリーヌ号が船尾から海へと滑り落ち、大きな大きな波飛沫を上げた。
レディ・アンジェリーヌ号は自らが起こした波に揺られながらも、傾いたり、沈んだりすることなく、海に浮かび続ける。
「「「「「うおおぉぉぉーーーーー!!!」」」」」
誰からともなく上がる大歓声。
ジョルジュ君も歓声を上げながら、両手を突き上げて飛び跳ねる。
私も思わず、拳を握り締めて、大きな声を上げてしまったわ。
建造が秘匿されている船だから、くす玉や楽団の生演奏などの派手なセレモニーはない。
史上初の八十メートル級、大型魔道帆船の進水式なのに、地味すぎるくらい地味な式典だ。
でも、そんなものは関係ないわ。
海に浮かぶ本番の大型船レディ・アンジェリーヌ号。
それは、まるで海に浮かぶお城か宮殿のよう。
知らず、胸が、手が震えて、お父様とお母様の手をギュッと握り締めていた。
「やっとここまで来たな。もうあと一息だ」
「そうね。もう目前ね」
握ったお父様とお母様の手も震えている。
「……はい、あと一息です!」
だってこの船は、ゼンボルグ公爵領の未来そのものなんだから。
「旦那、奥様、お嬢ちゃん、各部問題なしだ」
浸水していないか、壊れた箇所や異常はないか。
急ぎ乗り込みチェックを済ませた棟梁が、不敵なくらい自慢げな顔で戻ってくる。
「そうか。本当によくやってくれた。では、艤装作業に入ってくれ」
お父様の指示に、棟梁は大きく頷く。
「よし、艤装を始めるぞ!」
「「「「「おう!」」」」」
これから、装飾を施したり、魔道具の設備や家具、武装や諸々の備品などを運び込んで、艤装を進めていく。
それが完了して初めてジエンド商会へ引き渡されて、ようやくの就航となる。
アグリカ大陸への直通航路開拓は、その後の航海訓練を経てからになるから、本当に、もうあと少しの辛抱だ。
ようやくここまで来た。
これならきっと間に合う。
「まだやるべきことは残っているが、まずはおめでとうマリー。そしてよくやってくれた」
お父様が優しく頭を撫でてくれる。
「偉いわ、マリー」
お母様も抱き締めて頬にキスしてくれた。
一瞬、涙腺が緩みそうになったけど、グッと堪える。
それはまだ、アグリカ大陸へ出港するその時まで取っておこう。
計画の第二段階、『アグリカ大陸への直通航路開拓計画』はここからが本番なんだから。
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