290 テラセーラ島にて 1 ヘラルドの決意
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時は少し遡り、仮称アゾレク諸島、テラセーラ島。
ヘラルドが交渉して手に入れた様々な品を載せた訓練船団が、大きく帆を張ってテラセーラ島から離れていく。
ヘラルドは桟橋から、村人達と共に大きく手を振ってそれを見送った。
次第に遠ざかって行くその船影が、やがて水平線の向こうへと消えて見えなくなると、気合い十分の顔で腰に手を当てて胸を張る。
「はっはっはっ! かつてない大任に、否応なくテンション上がって来たな!」
それは、実に陽気な声だった。
しかし、ただ陽気に笑っているだけではない。
自ら志願して負った重責に、かつてない難事に挑む瞳で、武者震いすらしていた。
「ヘラルドさん、よく平気な顔して笑ってられますね……」
「オレなんてもう不安で不安で……」
背後から聞こえた弱気な声に、ヘラルドは振り返りニヤリと不敵に笑う。
「これほどの大任、そうはないぞ。成功させれば歴史に名が残るかも知れない。自伝を書くつもりなら、今からネタを集めておけよ」
本気にも冗談にも聞こえるヘラルドのからかいに、共にテラセーラ島に残った五人の船員達は、一様に困惑や渋い表情を見せた。
その五人は全員、ヘラルドが初めて島に上陸した時、その護衛として同行した船員達である。
ただし、志願した者は誰一人としていない。
引き続き護衛任務を与えられ、島に残らざるを得なかったのだ。
つまり、ヘラルドの巻き添えである。
「どうやらオレ達はお前を見誤っていたらしい。まさかここまでする大馬鹿だったとは……」
「大馬鹿で結構! 冒険してこその船乗りだろう!」
「冒険の意味も種類も違うだろう……」
皮肉など欠片も気にせず少年のようないい笑顔になるヘラルドに、ベテラン船員の一人で同期のエルベルトは、頭が痛いとばかりに額に手を当てた。
海軍に入り、同期のよしみで親しくなった十数年の腐れ縁が、遂にこんな事態まで引き起こしてしまったと言わんばかりだ。
「そうですよ。もう、帰りたくても帰れないんですよ?」
貧民上がりの若い船員であるセサルも、泣きそうな情けない顔で訴える。
それは、ヘラルドが残留を志願した時に、提督と船長達から念を押された話だ。
訓練船団の往復だけでおよそ三週間。
公爵であるリシャールに報告を上げ、今後の方針が決まり、もし関係を今回限りと手を引くことが決まっても、訓練船団が迎えに来るのに最速でも一カ月以上は掛かる。
予定通り交易と引き続きの援助が決まれば、更なる支援物資を集めて運んで来るのに、どれほど急いでも最低でも二カ月、恐らく三カ月は優に掛かる見込みだ。
しかもその間、孤立無援になる、と。
しかし、それでもヘラルドの決意は揺らがなかった。
「帰る必要など感じんな! むしろ帰っては駄目だろう!」
仲間の弱気を陽気に笑い飛ばし、このたった六人の小隊をまとめる部隊長として、不意に真面目な顔になる。
「幸運にも、俺達は彼らの窮地を救い、良好な関係でのスタートを切れた。ここでそれを何カ月も無為に途切れさせるのは、あまりにも無駄が大きい。引き続き彼らとの関係を深め、友好と信頼を勝ち取るために尽力すべきだ」
「理屈は分かるがな……」
「万が一こじれたら、交易どころか命も危ういですよ?」
「皆の不安は分かるし、危険も理解している。しかし、時間が惜しい。これは、ゼンボルグ公爵領の未来を左右する大任なんだと、そう肝に銘じておいてくれ」
その言葉に、自分達の使命を思い出し、誰もが表情を引き締めた。
マリエットローズに大恩ある孤児や貧民出身の若い船員達は特に、一層気を引き締める。
「遠からず、八十メートル級の大型船が完成し、就航する。そうなれば、すぐにでもアグリカ大陸の国々へと向かい、交易のための交渉が始まるだろう。そのような大事が控えている今、使節達の手を無駄に煩わせるわけにはいくまい? 使節達が来るまでに、俺達で出来る限りの段取りを済ませておくべきだ」
フェノキア人の文化、風習、産業、政治、経済、宗教。
この村の現状、他の村の現状、およびその関係。
テラセーラ島、および諸島全体の詳細。
調べるべきことはいくらでもある。
それも、たった一人ヘラルドだけが、辛うじて片言が通じるだけの、孤立無援の状況下でだ。
もたもたしていれば、二カ月や三カ月などあっという間に過ぎ去ってしまうだろう。
だからまず、円滑なコミュニケーションを行うために、村に溶け込みながらフェノキア語を学び、語彙を増やすところから始めなくてはならない。
「悠長なことを言っている暇はないわけか……」
「うへぇ、本当に責任重大ですね」
「最初からそう言っているだろう。実にやり甲斐があると思わないか?」
五人を見回して、ヘラルドは挑戦的な顔でニヤリと笑う。
ヘラルドにとって、それが論文のための取材も兼ねているとなればなおさらだった。
言葉通り、全身にやる気を漲らせているヘラルドに、五人は苦笑を漏らし、覚悟を決める。
何しろ、今更どれだけぼやこうが、船はもう行ってしまったのだから。
「さて、改めて全員が任務の重大さを理解したところで、お前達にも彼らの言葉を覚えて貰うぞ!」
「うげっ!?」
「やはりそうなるか……」
「当然だろう。良好な関係を築くには、まず笑顔での挨拶だ! 俺に頼り切り、自信なさげな顔で尻込みしていては、情報収集もままならん! 使節達が到着する前に、全員、日常会話の通訳程度はこなせるようになっていなくてはな!」
ヘラルドは、それを不可能だとは微塵も思っていなかった。
ゼンボルグ公爵領の領民は全て、母国語のゼンボルグ王国語に加えて、オルレアーナ王国語も学んで日常会話を行っている、基本、バイリンガルばかりなのだ。
だから、仲間達の尻を叩き、村人の中でも気さくな者や物怖じしない子供達に、先陣を切って近づいていく。
『私達は、願う、アル。教えて、欲しイ。あなた達の、言葉』
仲良くなろうと自分達の言葉や文化風習を積極的に学ぶ者達に、ほだされないわけがない。
村人との積極的な交流のおかげで、ヘラルド以外の五人も、その日のうちに簡単な挨拶と自己紹介くらいは話せるようになったのだった。
いつも読んで頂き、また評価、感想、いいねを頂きありがとうございます。
本日2025/04/04、書籍第二巻が発売されました。
もう買って読んで頂けたでしょうか。
Web版との違いや掲載されている地図、可愛いイラストなどなど、楽しんで頂けたなら幸いです。
まだの方は、是非購入をご検討下さい。
さらに情報解禁です。
なんと、この『悪役令嬢は大航海時代をご所望です』が、コミカライズされることになりました!
ドラゴンエイジのWeb媒体「ドラドラふらっと♭」にて、今春連載開始予定です。
担当して下さる漫画家さんは、南極珊瑚先生です。
「ドラドラふらっと♭」
https://comic-walker.com/label/dradraflat
連載開始日など詳しいことが分かりましたら、あとがきか、活動報告にてお伝えします。
是非、期待してお待ち下さい。
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