289 お留守番マリーのお仕事
「行ってらっしゃい、パパ、ママ」
玄関先の馬車の前で、娘らしく甘えるように、二人に順番に抱き付く。
「ああ、行ってくるよマリー。何かあればすぐに戻るから、遠慮しないで早馬を走らせなさい」
「はい、パパ」
「マリーはしっかりしすぎているから、逆にそこが心配だわ。一人で抱え込まず、必ずみんなに相談して頼るのよ」
「はい、ママ。みんながいてくれるから大丈夫です」
お父様もお母様も、強く抱き締めてくれるのを、ギュッと抱き締め返した。
普段なら、そこまで子供扱いして心配しなくてもいいのにと思うところだけど、今回はさすがに、ね。
でも、本当に大丈夫。
「ではセバスチャン、後はよろしく頼む」
「万事、心得ております」
「フルールも、マリーとエルちゃんをよろしくね」
「お任せ下さい、奥様」
そう、セバスチャンがいてくれるし、エルヴェを抱いて一緒に見送るフルールもいてくれるんだもの。
「では、行ってくる」
「エルちゃんも行ってくるわね」
「ま~ま、なぁよ♪」
お母様に頬にキスされて、エルヴェがご機嫌で笑う。
いつもの倍は時間を掛けたやり取りを経て、二人はようやく馬車に乗ると王都へ向けて出発した。
そんな二人に少しでも安心して貰えるよう、笑顔で元気よく手を振って見送る。
そして、フルールとセバスチャンを振り返った。
「フルール、本当ならお母様に付いて行く予定だったのに、残ってくれてありがとう」
「奥様に、お嬢様のことをくれぐれもよろしくと頼まれましたからね。それに、いくらお嬢様が賢く大人びていらっしゃるとはいえ、さすがに今回ばかりは、重い決断を下すのは時期尚早に過ぎます。少しでもそう感じられたら、無理せず絶対に相談して下さい」
エルヴェもフェルナンもまだ小さいけど、もう一歳数カ月になって、生まれたての赤ちゃんじゃない。
世話係のメイドも複数いて、彼女達も仕事に慣れてきたし、お母様もフルールも付きっきりになる必要がなくなった。
それなのに、私のために残ってくれた。
「ええ、ありがとうフルール。セバスチャンも。心強いわ。二人とも頼りにしているわね」
フルールの隣で、セバスチャンも頷いてくれる。
それに、私の側にはいつもエマとアラベルがいてくれるから。
「そもそも、重い決断を下さないといけないことなんて、そうそう起きないわよ」
人命に関わるようなトラブルさえなければ、同じように物資を準備して送り出すだけだもの。
だから、きっと大丈夫。
「さあ、中へ戻ってお仕事しましょう。大きなものはお父様が片付けておいてくれたけど、細々したものは残っているわ。それに、ゼンボルグ公爵領もこれから社交シーズンに入るんだから」
「お嬢様は本当に勤勉でいらして、頭が下がります」
「もうフルールったら、大げさね」
前世は社会人だったから、日中は就業時間として働いているのが当たり前だっただけよ。
ともかく、お仕事は全部前倒しで片付けて、万が一不測の事態が起きたとしても、迅速に動けるよう備えておかないとね。
そして、季節は本格的な冬を迎えて、ゼンボルグ公爵領も社交シーズンに突入した。
「お嬢様、根を詰めてはお身体に毒ですよ。少し休憩しましょう」
「ふぅ……そうね。ありがとうエマ」
ペンを置いた絶妙のタイミングでエマのストップが掛かって、一息つく。
エマが淹れてくれた熱々のお茶が美味しいわ。
「こちら書き上げたお手紙は、後でわたしが配送部署に届けておきますので」
「ありがとうアラベル」
私は今、私室でお仕事をしていた。
お父様の執務室に、お父様の許可なくこの二人を入れるわけにはいかないからね。
だから、持ち出せるお仕事だけを持ち出して、こうして私室でお仕事をしているの。
アラベルに至っては、お屋敷の中だしそこまでする必要はないのに、常に私の側に控えて、使い走りの真似までしてくれるから。
私はお父様の執務室で、一人で黙々とお仕事をしても全然平気なんだけどね。
お父様が忙しい時や不在の時など、たまにそういうことはあったから。
でも、今回に限り、周りが許してくれないのよ。
甘やかし過ぎでは?
とも思うけど。
本当に愛されていて、くすぐったいわ。
それに。
「エルちゃん、お仕事で疲れたお姉ちゃんを癒やして~」
「ねぇなぁ、んぶぅやぁんよぉ」
エルヴェを抱っこした頬擦りすると、エルヴェが私の顔や頭をぺちぺち叩く。
これは、今は構ってくれるな、と。
仕方なく、エルヴェをまた床に座らせて、代わりにフェルナンに癒やして貰おうとするけど、こちらはそっけなく、あっさり嫌がられてしまったから、断念。
どちらも積み木遊びに夢中で、そんな気分じゃなかったらしい。
二人ともつれなくて、お姉ちゃん、寂しいわ。
でも二人とも大好き!
「お仕事の邪魔になっていはいないようで安心しましたが、わたくし達までお部屋にお邪魔してしまって、本当に良かったのですか?」
そう心配げに聞いてきたのはフルールだ。
その後ろには、エルヴェとフェルナンのお世話係のメイド達も同じような顔で控えている。
エマやアラベルはともかく、他のみんながお嬢様である私の部屋に入って子守のお仕事をするなんて、普通はないことだから。
「いいのよ。みんなが私に対してそう思ってくれたように、私も、エルちゃんとフェルちゃんが寂しい思いをせず安心出来るよう、少しでも側にいてあげたいだけだから」
フェルナンがむずかったらフルールがすぐあやせるけど、エルヴェがむずかってもお父様もお母様もいない。
だからこそ、そこは他でもないお姉ちゃんの出番でしょう?
「それに二人には、特にエルちゃんには、領主として働くことがどういうことなのか、小さい頃からしっかり見ておいて欲しいから」
たとえ今は積み木に夢中で私の方を見ていなくてもいい。
領主として働いている姿を示し続けることに意味があるのよ。
「まだ一歳半かそこらで、さすがに早すぎるかと……お嬢様の英才教育はちょっと行き過ぎでは?」
「そんなことはないわよ。それに、働く姿を見せると言っても、お手紙の返事を書いているだけよ?」
そう、だから執務室でなくても平気なの。
だって内容は、社交シーズンのため領地から領都へ出てきました、などのご挨拶だから。
これまでも、何年かに一度はお父様とお母様が社交のために王都へ出向いて、お茶会やパーティーなど大きな催しが出来ないことはあったから、そこはみんな心得たものよ。
ただ、ゼンボルグ公爵派の貴族全てからお手紙が来るから、必然、出す返事も大量になるだけで。
しかも、定型文の返事はすでにお父様の侍女が代筆して用意済みで、私はそれに一筆添えてサインを入れるだけなんだけど、その一筆添える内容を考えるのが、ね……。
疲れた頭が糖分を欲しがっているわ。
そんなことを考えていたら、ドアがノックされる。
気を利かせて、誰かお茶菓子でも持って来てくれたのかしら。
エマが応対に出ると、すぐに戻ってきた。
「お嬢様、セバスチャンさんです。至急お渡ししたい物があるそうです」
「至急? 何かしら? 入って貰って」
エマに許可を出して、セバスチャンに伝えて貰うと、少し硬い表情のセバスチャンが入ってきた。
その表情、そこはかとなくトラブルの予感が……。
セバスチャンが手に持っているのは、書類の束と手紙?
どこかの貴族家から、面倒な陳情でもあったのかしら。
「お嬢様、こちら、訓練船団からの報告書となります」
「……え!? 訓練船団から!?」
予想もしていなかった相手に一瞬呆けてしまって、理解が追い付いた途端、思わずガタッと椅子から立ち上がってしまう。
エマもアラベルも、フルールでさえ、どよめいた。
だって、出港してからまだ三週間経つか経たないかよ!?
仮称アゾレク諸島で人と積み荷を下ろすだけ下ろして、すぐさまとんぼ返りしたとしても、さすがに早すぎる!
一体、何があったの!?
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