285 閑話:エマ日記 お嬢様のお付きメイドでいるために
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遥か西の沖に、地図にも載っていない未知の島が発見されました。
しかもそこには人が住んでいたのです。
それも、かつてゼンボルグ公爵領からアラビオ半島に至るまでの、大西海沿岸に広く暮らしていた人達の子孫だと言います。
歴史のロマンを感じる、非常に興味深い発見ですね。
ただ、一介のメイドにとって、そのような歴史的大発見も、業務にはなんら関係ありません。
日々、お嬢様のお世話をして、健やかな成長を見守り、お助けする。
それがあたしの成すべき仕事であり、喜びであり、自らに課した使命です。
いずれ珍しい品々が入ってきた時には、ジエンド商会の方をお招きして、それらを持って来て戴けば良いのです。
そうして、お嬢様と一緒にお部屋で、並べられたその品々を興味深く眺めたり、買い求めたり、それを他の方々に紹介するためのお茶会を開いたりすることになるでしょう。
それが、ごく普通のご令嬢の姿ですから。
そう、それが、ごく普通のご令嬢であればですが……。
「それで、エマは何を悩んでいるんだ?」
お嬢様が旦那様の執務室でお仕事をされている時間。
あたしは控え室でアラベル様と二人きりになり、胸の内を吐露します。
「島を発見したとの報告書が届いた日以来、お嬢様がこれまで以上に、外国語のお勉強に力を入れておられるのです」
「それは……絶対に、ご自身で行きたいからなのだろうな」
「はい、まず間違いなく」
他にも、各国のマナーや、剣術と馬術にも力を入れておられますから。
あたしが神妙に頷くと、アラベル様はしばし思案顔をされて、それから小首を傾げられました。
「お体が心配と言うことであれば、エマが気を付けて見ておけばいいのではないか? もちろん、わたしも気を付けて見ておくが」
「ありがとうございます、よろしくお願いします。ですが、それも心配ですが、そうではないのです」
お嬢様がお勉強に、習い事に、お仕事にと邁進されるのは、今更の話です。
あたしでは止められませんし、お嬢様の思いとゼンボルグ公爵領の未来を思えば、無理にお止めすべきではないと思います。
ですから、お嬢様が無理をされないよう、適度にお休みを取って戴き、体調管理をする。
それがわたしのすべきことで、当然、常日頃から行っているので、それこそ今更の話です。
「では、エマの悩みとは?」
「お嬢様が外国へ出向かれる際、あたしもお付きメイドとして同行することになるでしょう」
「そうだな。当然、わたしも護衛として同行するだろう。つまり、外国へ行くのが不安なのか?」
「それも少しはあります。ですが、あたしのことはどうでもいいのです。問題は、外国で、その国の方々がお嬢様に何を仰っているのか、お嬢様がどのようなお返事をされているのか、それを理解出来ないと、お嬢様をお守り出来ないのです」
もし相手の方が無礼なことを仰った場合、意味も分からず隣でニコニコと立っているだけなど、あたしはそんな自分を許せません。
また、お嬢様は天使ですから、言い寄る殿方も掃いて捨てるほど現れるでしょう。
だって、お嬢様の美しさ、愛らしさは世界一なのです。
万が一、お嬢様が誘導されて婚姻の言質を取られそうになった時、あたしがお止めしないとなりません。
商談についても同様です。
さらに、お嬢様が相手の言葉の意味や風習が分からない時は、あたしがお嬢様の耳元でお教えしてフォローすると言う役目もあります。
それなのに、相手の言葉が分からないでは、お話になりません。
「しかし、そのためにエマも学んでいるのだろう?」
「はい、旦那様と奥様に許可を戴き、学ばせて戴いています」
お嬢様が執務室でお仕事をしている間に、お嬢様のお部屋の掃除などを済ませた後、お付きメイドの身に付けるべき教養の一環として、授業をして戴いています。
加えて、お嬢様が授業中、壁際に控えながら授業の様子を見て、そこからも学ばせて戴いています。
これは本来、お嬢様が大人になって本格的に社交を始めるまでに身に付けておけば良い話です。
ですが、それだけでは、とてもではありませんが時間が足りません。
「問題は……お嬢様の学習速度が早すぎて、質、量、共に多すぎるのです」
「ああ……」
貴族学院を卒業されているアラベル様であれば、より実感して戴けることでしょう。
「しかも、複数の外国語をです」
「そうだった……ヴァンブルグ帝国語一つくらいであれば、わたしも多少は話せるし、教養としてならラーテン語もなんとかなる。アグリカ大陸を目指しているから、ガボニア王国語も少しずつ学び始めていたが……」
アラベル様が、焦りと緊張で青ざめられます。
普通であれば、それでも十分過ぎる教養でしょう。
ですが、護衛としてお嬢様に同行するのであれば、アラベル様もそれだけでは到底足りません。
「まさかここにきて関わりが薄いだろうと思っていた東周りの国のギリシオ語が必要になりそうとは……お嬢様は今、一体いくつの言語を学ばれているのだ?」
そこは、とても気になるところでしょう。
そこが最大の問題なのですから。
「まず、ゼンボルグ王国語、オルレアーナ王国語は全く問題ありません」
これはゼンボルグ公爵領に住む者であれば当然で、あたしもアラベル様も、読み書き会話が問題なく出来ます。
「ラーテン語も、古典や教養としてなら同様です」
ラーテン語は日常使いしませんから、貴族の教養としての範囲ですね。
平民出身のメイドのあたしには、必ずしも必要ではありませんが。
「次にヴァンブルグ帝国語ですが、先生の評価ではネイティブに迫る上達ぶりだそうです」
「わたしは辛うじて日常会話を片言でと言ったところだな……」
「あたしもです」
ですが、ここまでならまだいいのです。
ヴァンブルグ帝国語一つだけでしたら、お嬢様が大人になるまでに間に合います。
「他に、ギリシオ語、アラビオ語が、日常会話がなんとか出来るレベル。アグリカ大陸北西部のガボニア王国語が片言で会話が可能なレベル。他にも最近、アグリカ大陸北部沿岸で使用されている幾つかの言語について、挨拶や自己紹介などを習い始められました」
「ゼンボルグ王国語とオルレアーナ王国語、教養のラーテン語、そしてそれ以外に四カ国語も学ばれていながら……さらに増やされようと言うのか……」
「はい……どれだけ学んでも、追い付くことすら出来ません」
「…………」
アラベル様も、ようやく問題の深刻さに気付いたようです。
だから、アラベル様の両手を取って強く握り締めます。
「旦那様と奥様にお願いして、もっとしっかりと、一緒に学びませんか? 一人だけでは、挫けそうなのです」
「……そうだな。いざという時、お嬢様に付いていけないでは話にならない。共に学ぼう!」
あたし達は、強く頷き合います。
こうして、これまで以上に忙しい、仕事と学習の日々が始まりました。
天才に追い付こうなど、無謀とも言える挑戦でしょう。
諦め、妥協し、自らの力量の範囲で満足するのが賢いのかも知れません。
ですが、あたし達には、諦めも妥協もあり得ません。
全ては、お嬢様の一番お側でお仕えし、支え続けるために。
いつも読んで戴き、また評価、感想、いいねを頂きありがとうございます。
話のきりのいいところまで投稿したので、一旦、投稿をお休みさせて頂きます。
続きのエピソードは現在準備中です。
遂に、練習船が外洋へ向けて出港。
アグリカ大陸への直通航路開拓のための準備も着々と進み、また、未知の島々と未知の民族も発見して、いよいよ世界が広がり始めました。
今回の投稿分では具体的には出てきませんでしたが、第二部でマリーとゼンボルグ公爵領を取り巻く政治的な動きを先に見せておいたおかげで、王家や中央の貴族達が、そして賢雅会の特許利権貴族達が、これらの動きを知ったらどんな反応をしそうだと、描かなくても色々と想像が膨らんでいることと思います。
おかげで、それら政治的な動きの話に逸れずに、しかもその分の厚みを持って話を進められていますから、出港に至るまで長かったと感じている方もいるとは思いますが、それらを先にしっかり描いておいて良かったと思っています。
次は、仮称アゾレク諸島での拠点作りやフェノキア人との交易のための諸々、そして遂に本番の大型船が完成し、その訓練航海に加え、いよいよ南へ、アグリカ大陸へ向かう予定です。
是非、楽しみにお待ち下さい。
次の投稿まで、また期間が少し空いてしまいますが、投稿出来る目処が立ちましたら、活動報告などでお知らせします。
ご了承のほど、よろしくお願いいたします。
そして最後に改めて、書籍第一巻、よろしくお願いいたします。
良い報告が出来るかどうか、皆様の応援にも掛かっていますので。
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