279 現場の実務は現場に期待してお任せ
「それに、把握すべきは宗教観だけでなく、政治、経済についてもだ。むしろこちらの方が重要だね」
「あっ、そうでした」
宗教はこの時代、大きな力を持っているから、最初に目に付いたその問題につい目を奪われてしまったけど、彼らの社会がどうなっているのか、それを先に知らなくてはならない。
「彼らが諸島全体で一つの国としてまとまっていて、トップと交渉出来るのなら話は早い。しかし、島ごとに支配者が異なる、なんなら村ごとに独立していてまとまっていないとなると、非常に面倒だ」
一つ一つ村を回って、村長と交渉していかないといけないものね。
村がいくつあるのか分からないけど、それはとても面倒だわ。
「初めは小規模の物々交換からで構わない。しかし今後、正式に交易を始めるとなると、互いに交渉の窓口が必要だ。そもそも、彼らに関税と言う制度があるのか、ない場合、説明して理解し納得して貰えるのかも不明だからね」
「それは……すごく大変ですね……」
島を発見した!
珍しい物があった!
さあ交易だ!
……とはならないわけね。
言われてみれば、当然だわ。
無人島ならまだしも、相手がある話なんだから。
ちょっと簡単に考えすぎてしまっていたかも。
「彼らが我々の庇護下に入って、ゼンボルグ公爵領の一領地になってくれれば、話は早いんだが」
でもそれだと、政治形態や法律など、彼らの生活ががらりと変わるから、彼らがそれを受け入れてくれるかどうか分からない。
侵略戦争で支配するのが手っ取り早い、と言うのも分からない話ではないわね……。
でもそれは、出来ればやりたくないわ。
そんな私の気持ちを理解してくれているのか、お父様が困ったように微笑む。
「彼らが聞く耳を持たない好戦的な民族だったと言うことでもない限り、それは最後の最後の手段にしよう」
「はい」
船員や領民達の生命財産、安全が第一だから、いざ事が起きてしまった時は、私も覚悟を決めないといけない。
だから、そんな事態にならないよう、私が率先して努力すべきだわ。
「お父様」
「駄目だよマリー」
覚悟を決めて身を乗り出したら、間髪を容れずに却下されてしまった。
「まだ何も言っていません」
「自分で説得に行きたいと言うのだろう?」
「うっ……その通りです」
お父様の笑顔が怖い。
「駄目だよマリー。どれだけ大人びていて賢くとも、お前はまだ八歳だ。自分で自分の身を十分に守れるとは言えない。さっきも言った通り、政情はもちろん、彼らの気質も宗教観も、さらには常識ですら、本当のところはまだ何も分かっていないんだ。今後、争いに発展しないとも限らない」
「でも、彼らは食料の支援を感謝してくれているんですよね? セラーノ二等航海士が良い関係を築いてくれたわけですから、早々危険なことにはならないと思います。それに、そうならないよう私が――」
「マリー、もう少し全体を俯瞰して見なくてはいけないよ。今回接触した村の者達が友好的だったとしても、他の村や他の島の者達までそうだとは限らない」
「――ぁ……」
「報告書にも、他の村の住民と森の恵みの奪い合いをしていると記してあるだろう? 私達が支援した食料を奪い取りに襲ってこないとも限らない。むしろ、その可能性が高いと見るべきだ。それなのに、そんな未開の地へ、たった八歳の大事な娘を送り出すなど出来ないよ」
「それは……」
「もちろん、私もまだ向かわない。そもそも、彼の島にはまだ一度しか訪れていないんだ。無事に辿り着けたのが偶然ではないと言い切れない以上、航路が安全だと確証が得られるまでは、私達は船に乗るべきではないからね」
笑顔のまま、お父様が父親から公爵の顔になる。
「それに、始めから船団を率いていたならともかく、ここで私やマリーが前に出て指揮を執っては、訓練船団の者達、そしてセラーノ二等航海士の功績を奪ってしまうことになる」
「あっ……!」
計画の立案者および責任者であり、権力者として訓練船団に命じて行わせたことだから、最終的にお父様や私の功績になるとしても、そこに至るまでの過程での、現場レベルでの功績までしゃしゃり出て掻っ攫ってしまうのは、上に立つ者として頂けないわ。
「もっと言うのであれば、当分、現場に出ている暇などないよ? 彼らとの交易の準備、必要なら法の整備。拠点開発のための現地調査および開発計画の立案。そのための人員と資材の確保。それらを他領、他国へ悟らせないためのダミーの事業計画の立案と実行など、やることは山積みだ」
「うっ……そうですね。分かりました、今は我慢します」
「うん、いい子だ。それらを片付けて、無事に彼らとの友好的な関係を構築し、航路の安全が保障されたら、その時にまた改めて考えよう」
お父様が優しく頭を撫でてくれる。
お父様にもお母様にも、心配をかけるのは本意じゃないものね……。
早く大人になりたいわ。
でも、そうなると破滅へのタイムリミットが……。
なんてジレンマなのかしら。
もどかしいけど、今は訓練船団のみんなに任せるしかない。
特に、セラーノ二等航海士の活躍に期待ね。
「だから、取り急ぎ、ギリシオ語が堪能な者を通訳として同行させ、文官を数名派遣しよう」
「それは使節団、と言うことですか?」
「そうだね。私達でなくとも、現地で政治的な判断を下せる者がいた方がいい」
そうね、船員達だけで判断して、彼らとなんらかの取り決めをしろ、と言うのは無茶ぶりだわ。
だからこそ、私が行きたかったのだけど……お父様の言う通り、今はまだ現場にお任せね。
――もっともこの時は、まさか急遽彼らフェノキア人に会いに仮称アゾレク諸島を訪れることになるなんて、思いもしていなかったけど。
「それから交易品を見定めるためにも、ジエンド商会からも人を出そう。鉄鉱山と魔石鉱山の埋蔵量や採掘の可否を調査する人員は、その後、改めてにしておいた方がいいかな。護衛を大勢同行させる必要もあるし、それだけの人員が現地で生活するための仮拠点作りの人手と資材も送らないといけないからね」
「船室や船倉のスペースも限られていますし、一度に大勢送り込んだら、警戒されそうですね」
「その通りだ。急いては事をし損じると言うし、お互いに初めての異文化同士の接触である以上、じっくりと腰を据えて行う方がいい」
お父様の口ぶりからは、何がなんでも彼らとの交易と拠点作りを成功させると言う気迫が感じられた。
そうよね、ここで小さな諸島の人達相手に友好関係の構築に失敗していては、アグリカ大陸の国々はおろか、新大陸との交易なんて夢のまた夢だもの。
いつも読んで頂き、また評価、感想、いいねを頂きありがとうございます。
励みになりますので、よろしければブックマーク、評価、感想、いいねなど、よろしくお願いいたします。




