275 外洋航海訓練 7 対話の結果報告
すでに深夜に近い時間。
「失礼します、ヘラルドです」
深酒に多少足下が覚束ないものの、ヘラルドは会議室へと入り着席する。
船内であるため、会議室と言っても狭い。
そのため、他の参加者との距離がとても近くなる。
しかもヘラルド以外の参加者は、提督のバルトロメオ、そして三隻の船長達だ。
しかし、その誰もが、ヘラルドが赤ら顔で、酒気を立ち上らせていることを咎めることはなかった。
「済まないな、今晩くらいゆっくり休ませてやりたかったが」
「いえ、大丈夫です」
「そうか。では、改めて君の口から報告を聞かせてくれ」
バルトロメオを始め三人の船長達は全員、先に簡単な報告を受けていた。
でなければ、食料庫を解放して、今日接触したばかりの未知の島の住人に分け与える許可など出しはしない。
しかし、詳細については未だ不明のまま。
果たしてどのような報告がなされるのか。
魔道具のマリエットローズ式ランプで明るく照らされた室内で、全員の表情がよく見える中、バルトロメオと船長達がヘラルドに注目する。
おかげで、昼の豪胆とも言える態度は鳴りを潜め、緊張に固くなるヘラルドだが、過不足ないよう、また私見は私見と適切に述べるよう気を付けながら、報告を始める。
「まず、彼らには、自身の民族を指し示す言葉がないようです。なので、彼らを正確に言い表す言葉はありません。諸島全体の名称もないようです」
「それは不便だな。彼らの呼称はどう――ん? いや待て、諸島だと?」
「はい。少し距離は離れているようですが、おおよそ東、中央、西と分かれて、全部で九つの島があるようです」
「では、目の前の島は?」
「中央に位置する島のようです。彼らはテラセーラ島と呼んでいるので、仮称としてテラセーラ人やテラセーラ族と呼称するのが妥当と思います。しかし、自分としては、フェノキア人と呼称するのが適切ではないかと考えています」
船長達の疑問に、ヘラルドは胸を張り用意していた考えを述べた。
「フェノキア人?」
「知らない名だな」
「何を元に名付けた?」
「彼らはフェノキア人の末裔と思われるからです」
その言葉に、バルトロメオは軽く目を瞠る。
バルトロメオのその反応に、逆にヘラルドの方が驚いていた。
むしろ三人の船長達の反応の方が当然だと、バルトロメオの博識ぶりに感心しつつ、ヘラルドは補足説明を行う。
「フェノキア人は、かつてゼンボルグ公爵領からヴァンブルグ帝国、さらにアラビオ半島西部までの大西海沿岸部で栄えていた民族です。今から二千八百年前くらいから繁栄し、二千百年前くらいに滅びています」
「なっ……それは随分と古い時代に滅びた民族なのだな」
「その末裔が彼らだと?」
「はい。碑文に刻まれた記録によると、航海術に優れた民族で、当時、大西海沿岸での海洋貿易でその勢力を広げていたようです。その後、東から侵攻してきたアースリア人に滅ぼされ衰退したとされています」
「つまり君は、その時、その優れた航海術で西に逃れた者達がいる。そして彼らがその末裔だと、そう言いたいのか?」
「その通りです。その根拠は、彼らの使っている言語です」
「ふむ。君だけ会話が出来たようだが、その言語とは?」
「フェノキア人が使っていた言語はフェノキア文字と呼ばれ、アルファベットの元になり、後にギリシオ文字、アーラム文字などを生み出した、と言う説が提唱されています。その中でもギリシオ文字はフェノキア文字の後継と言われており、彼らの使っている言葉は、各地の言語の単語が交じり合った上で変遷しているようで全てを聞き取り理解することは現時点では困難ですが、それでもギリシオ語に近いようでした」
ヘラルドは当然のように、ギリシオ語も学んでいた。
その流れでフェノキア人の碑文にも触れており、彼らの言葉を聞いた時、ギリシオ語との共通する部分を見出し、会話を試みたのである。
そしてそれは正解だった。
「各地の言語の単語が交じり合っていたと言うのは?」
「元々フェノキア人は特定の民族を指している言葉でも、彼らが名乗った名称でもなく、大西海沿岸での海洋貿易でその勢力を広げていた商人達を指していた呼称だと言われています。彼らは交易を通じ、各地の民族と血を交わらせていたようです。その上で、商売上、各地で通用する共通の言語として、フェノキア文字を作り出したと言われています。それ以前の言語の文字はどれも複雑で習得難易度が高く、使える者が限定されていたようなので。そのために簡易にしたフェノキア文字が各地で普及し、フェノキア文字では表記できない各地の言語を表記するために新たな文字が付け加えられてギリシオ文字、アーラム文字などが生まれ、そこからさらに文字の追加や整理などを経て、ラーテン文字、ローマン文字、アラビオ文字、ヘブラエ文字など数多の文字が生まれ、さらに――」
「要点! 要点のみで頼む!」
「――おっと、これは失礼しました」
ヘラルドは咳払いをして、つい興に乗って熱くなってしまった心を一旦落ち着かせ、それから改めて口を開く。
「どうやら彼らの伝承では、東から海を渡って来たことになっているようで、逃げ延びて辿り着いた各地のフェノキア人が使っていた単語が交じり合って変遷し、その名残があったのではないかと。手前味噌ではありますが、この仮説の信憑性はかなり高いと思われます」
「つまり、彼らが敵対的な態度を見せたのは……」
「我々を、かつて祖先を滅ぼしたアースリア人と思い、警戒したのでしょう」
「なるほど。だとすれば歴史的大発見ではないか!?」
「素晴らしい! よくやったセラーノ君!」
「ありがとうございます、運も良かったと思います」
たまたま、かつて学んだ言語に近く、運が良かった。
しかし、それもこれも、これまでの努力があってこそである。
せっかく彼らが片言でも通じる言語を使ってくれているのに、ヘラルドがいなければ言葉は通じず、意思疎通はかなり難しかっただろう。
ましてや、たった一日で友好的な雰囲気を作ることは出来なかったはずだ。
だからこそ、十分に称えられる偉業であると、この場の誰もが正しく理解していた。
「セラーノ二等航海士、今回の発見を論文にしたため、発表するといい」
「よろしいのですか!?」
「もちろんだ。君なくしては、このように迅速に事が運ぶことはなかっただろう」
「うおぉっしゃあぁっ!! ありがとうございます!!」
自分が書いた論文が、かつて自分が読んだアグリカ大陸を発見した船乗り達の伝記のように、誰かに読まれ、自分同様に憧れを生み出してくれるなら、こんなに嬉しいことはない。
深酒で理性が緩んでしまっていたこともあるだろう、提督や船長達の前にも関わらず、ガッツポーズで歓声を上げてしまっていた。
「し、失礼しました」
我に返って慌てて居住まいを正すヘラルドに、全員の温かい眼差しが注がれる。
「ただ、申し訳ないが、その論文を発表するタイミングはこちらで指示させて欲しい。事は実に重大だ。公爵閣下のご裁可を仰がなくては、計画に支障が出かねない。恐らく、早くてもアグリカ大陸との交易が世に知られてから。向かう先が南ではなく西だったことから、新大陸との交易が世に知られてからになるかも知れん」
「承知しました」
ごねるかと思い、どう説得すべきかとその算段をしていたバルトロメオは、すんなり納得が得られたことに、逆に驚いてしまう。
そのバルトロメオの様子に、ヘラルドは苦笑を漏らした。
「さすがに、今日一日のことだけで論文を書くわけにはいきません。もっと彼らの話を聞いて、どのような歴史を辿り、どのような言語と文化を発達させてきたのか詳しく調査しなくては。同時に、領地に戻って文献を漁り、なんならヴァンブルグ帝国からアラビオ半島沿岸諸国も回って、現地の資料も探し研究したいくらいです。なので、論文にまとめるにはまだ何年も掛かることでしょう」
そういうことかと、全員が納得する。
そして、その研究に期待すること大であった。
「では、未来の展望は今はこのくらいにして、話を戻そう」
ここからが、今回の報告で最も重要な内容になる。
「彼らのルーツはおおよそ理解した。それで彼らは何故、食料支援が必要だったのだ?」
それは言外に、彼らが交易相手として適切なのか、それを問うていた。
食料支援が必要な状況の者達が、果たして価値ある交易品を提供できるのか。
今後付き合う価値があるのか。
それが問題だった。
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