267 再開発の現場視察
大通りから外れ、領都をぐるりと取り囲む防壁の方へ。
商業地区と住宅街の境に近い、貧民街へとやってくる。
職業訓練学校建設予定地では、敷地確保のために、すでに数十軒の家屋の解体が済んで、さらに何軒もの家屋が同時に解体中で、大勢の職人と日雇い労働者達が働いていた。
平民も貧民も、大人も子供も、力仕事から雑用まで、古臭くガタがきている家を解体しては、屋根、柱、壁、床などに使われていた木材を運び出していく。
おかげで、それら家屋が狭苦しく密集している一画に、ぽっかりと開いた広場が出来ていて、ちょっと不思議な光景だ。
そこからさらに貧民街の奥へと入ると、やがて真新しいアパートが見えてくる。
狭い路地ではなく、人と馬車が十分に行き交える幅を取った道を挟んで、その真新しいアパートが八棟、向かい合って建っていた。
アパートは二階建てで、一階と二階にそれぞれ四室あり、八世帯が入居出来る。
どこか昭和を感じさせる、古き良きアパートと言った風情だ。
外観はシンプルに木製で、レンガや漆喰などで整えられたりはしていない。
通り沿いにある二階へと上がる階段も木製で、二階の部屋の前の通路も木製。
これは単純に、工期を短縮し、安く仕上げるため。
あまり立派に作ると、平民からの反発があるかも知れないから。
それでも、周囲に残っている古臭い家屋や、倒壊寸前のボロ屋と比べれば、十分立派で綺麗で、贅沢なアパートに見える。
周囲から、ちょっと浮いてしまっているくらいに。
このアパートに挟まれた道は、やがて職業訓練学校前の道と繋がり、そして商業地区と住宅街を結ぶ表の通りまで繋がって、徐々に人の行き来が始まると思う。
職業訓練学校前や、このアパートに至るまでの道すがらには、これらアパートとは別に、家屋や店舗を建てる区画が用意されている。
利に聡い商人は、そこに店舗を出そうと、すでに動いているみたい。
職業訓練学校に通う生徒や講師の職人達を客として見込んだ飲食店や、領都外から入学する人向けの宿屋など、開業申請がもういくつも役所に来ているそうだから。
日雇い労働者として働く貧民達の姿に、真面目に働いて賃金を稼ぐことに慣れ、身だしなみを整えることに慣れれば、貧民でも客として十分に見込めると、そう判断してくれたのね。
この区画はきっと、表通りに負けないくらい活気が出るに違いないわ。
先に完成したそれらアパートには、すでに貧民達が入居して生活も始まっている。
顔役であるジスランさんの采配のおかげで、今のところ、大きな問題はなし。
入居は、未婚で子持ちの女性、数人身を寄せ合った孤児達のグループ、小さな子供がいる夫婦などが優先されている。
単身者や働き盛りの人達は、ここでの入居より、まずは真面目に働いて商会や工房の目に留まって、そっちで住み込みで働けるようになることを目指して下さい、と言うことらしいわ。
もちろん、アパートはこの完成した八棟だけじゃなく、周辺の古い家屋の解体と、九棟目、十棟目……と用地確保と建設が進んでいて、職人と日雇い労働者達が大勢働いていた。
「う~ん……」
「どうかなさいましたかお嬢様?」
思わず唸ってしまったのを聞き咎めたアラベルが、建設現場に険しい目を向けながら気遣ってくれる。
「いえ、彼らがどうこうではなくてね。山のように建材が運び込まれて来ているなと思って」
建設中のアパートの側に積み上げられた建築資材の山。
そのほとんどが木材だ。
屋根なのか床なのか断熱材なのか、コルクも多く積まれているけど、それじゃなく、壁や柱になる木材の方ね。
計画段階で、かなりの木材が必要だろうとは思っていたけど……。
実際にアパートが建ち並んで、さらに建設中で、そのために積まれた木材を目の当たりにすると、それはもう想像も付かない程に大量の木材が必要なのだと、今更ながらに感じたわ。
「だから、市場に出回っている木材がなくなってしまわないか、ちょっと心配になってしまって」
「現場の者に話を聞いてみますか?」
「そうね。お願い」
アラベルが近くで作業していた人に声をかけて、現場監督に来て貰うように伝言を頼む。
程なく、現場監督がやってきた。
「これはこれは姫様。今日もまた視察ですか?」
「ええ、町歩きのついでに、ちょっと足を延ばしてみたの。お仕事の邪魔をしてごめんなさいね」
「とんでもありません。姫様が立案された再開発計画なのですから、進捗を確認に訪れられるのは当然のこと。いつでも遠慮なくお越しください」
「ええ、ありがとう」
現場監督は笑顔で対応してくれる。
でも、私が来たら作業は中断しないといけないし、万が一私が怪我でもしたら大問題になるから、出来れば来て欲しくないでしょうけどね。
これが、普通の建築現場だったら、私も遠慮して出来るだけ近寄らないわ。
でも、場所が貧民街で相手が貧民の現場だからね。
理不尽な真似をする人が出ないよう、目を光らせる意味もある。
だから、決まった曜日の決まった時間じゃなく、不意打ちを心がけているの。
それはさておき。
疑問について尋ねてみる。
「木材でしたら、ゼンボルグ公爵領全土で確保に動いています」
「領地全体で?」
「はい。領都周辺だけでは、とても足りませんから」
なるほど……でも、当然と言えば当然よね。
「だとすると、木材が高騰してしまいそうね。余所での建設に支障が出ないかしら……」
「多少値は上がりましたが、今のところそれほど影響はありません。各地で余裕のある分、余っていた在庫などを中心に集めていますから」
「でも、いずれ足りなくなるのでしょう?」
「領都での姫様による貧民街再開発と職業訓練学校建設の話は、各地の建設業界や木材の問屋では有名な話でして」
えっ、そうなの?
「これを商機と見て、各地でその販売のためや在庫確保のため、すでに伐採と乾燥が始まっています。林業も今、好景気で湧いていますよ」
そうだったのね。
「ですから、姫様がご心配されたような事態にはならないかと思います」
「そう。ありがとう、お話を聞かせてくれて」
「いえいえ、いつでもなんでも遠慮なくお聞き下さい」
現場監督は笑顔で請け負ってくれて、仕事に戻って行く。
それでも、出来るだけ迷惑はかけないようにしないとね。
「お嬢様、問題は解決されましたか?」
「ええ。でも、おかげで新たな問題が発生したとも言えるわね」
「新たな問題ですか?」
「計画的に植林をしないといけないかも」
「植林……? わざわざ木を植えるのですか? 森や山に行けば、いくらでもあると言うのに?」
「いくらでもあると言っても、樹木も有限な資源よ? 建材に向き不向きもあるし」
果たして、どれほどの木が伐採されてこの再開発で使われることになるのか。
建物だけじゃなく、家具にだって使われるのだし。
全て一箇所の森で伐採されているわけじゃなくて、ゼンボルグ公爵領全土での話だから、森が消えるなど、それほど大げさに考えなくていいのかも知れないけど……。
「森や山から木が減れば、保水力が下がって水害の危険性が高まるのよ」
「そうなのですか?」
「しかも、これから大型船を何隻も建造するのだから、木材はいくらあっても足りないわ」
実際、前世の大航海時代では、アフリカ大陸からヨーロッパ各国への輸入品に木材があったのよ。
帆船の建造ラッシュで木材が不足したからなのか、その方が安いからなのか。
多分、両方の理由じゃないかしら。
うちの場合は木鉄帆船で、竜骨と肋材、そしてマストは鉄を使うから巨木は必要ないけど。
それでも、従来の帆船の何倍もの大きさを誇るわけだから、その分だけ多くの木材が必要になる。
環境保全と建材確保のために、今から植林計画を進めておいた方がいいかも知れないわね。
帰ったらお父様に相談しないと。
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