262 次なる施策
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「そろそろ、西へ向けて航海している頃かな?」
書類を書き上げて一息吐いた時、ふとカレンダーが目に入って、練習船と船員達に思いを馳せる。
初めての遠く沿岸部を離れる外洋航海だから、波の高さや海流の速さ、風の強さなどが違って、大変な思いをしていないといいけど。
「心配かい、マリー?」
書類仕事の手を止めて、お父様が苦笑を浮かべる。
私が心配しすぎ……それも過保護なくらいに。
お父様の顔にそう書いてある。
先日の宮殿での会議、そこで説明した方針を考えれば、そう思われても仕方ないとは思う。
「心配は心配です。でも、きっと大丈夫。みんな無事に帰ってきてくれるって、それ以上に信じていますから」
「そうだね。彼らならきっと大丈夫。航海の無事を祈り、無事に戻ったと報告書が届くのを、楽しみにしながら待とう」
「はい」
そう、事ここに至っては、私が直接してあげられることは何もない。
でも、それ以外のことなら、まだ私には打てる手がある。
だから、報告書が届くまでに、やるべきことをやるわ。
「お父様、この書類の確認をお願いします」
今書き上げたばかりの書類をお父様の執務室の、比較的緊急度が低い書類の山の一番下に入れる。
いえ、入れようとしたら、お父様が手を伸ばして直接受け取ってくれた。
「緊急度は高くないので、順番通りでいいですよ?」
「いや、先に目を通そう。それでマリーの心配が少しでも減るのならね」
慈しむような優しい微笑み。
もう、お父様ったら、本当にこういうところがイケメンなんだから。
「ありがとうございます、お父様」
だから大好きよ。
「ふむ……」
お父様が真剣に目を通してくれている間に、私は自分の席に戻って、次の書類の作成に取りかかる。
あれもこれもと次々に思い付いて、我ながら忙しないと思うわ。
でも、どれも必要な事だと思うから。
「マリー」
しばらくして、書類を読み終わったらしいお父様に声をかけられる。
「どうでしょう?」
次の書類を書く手を止めて席を立つと、お父様がソファーへ移動する。
だから、私もその対面に座った。
「主旨や必要性は理解した。緊急性はないが、出来れば欲しいところだね」
「はい。これから、内外の船の往来が増えていくはずです。なので、船の安全な航海のためには、現在の灯台では質も数も足りていないと思います」
そう、灯台。
新しく有用な灯台を建設したいの。
その辺りは書類の主旨の部分で説明しているけど、改めて強調する。
このまま順調に『ゼンボルグ公爵領世界の中心計画』が進んで、アグリカ大陸、さらには新大陸との交易が始まれば、ゼンボルグ公爵領船籍の交易船はもちろん、他領、他国船籍の交易船の往来が確実に増える。
しかも、八十メートル以上の大型船を就航させる以上、他領、他国の交易船も、いずれ大型化していくのは間違いない。
そこで出てくる、新たな問題。
それは、小型船では届かなかった海底に船底が届いてしまうようになり、座礁する船が増えてしまう、と言うこと。
記録によると、前世のフランスでは、船が遭難するより座礁する事故の方が多く、毎年百隻にも上る船が座礁していたそうよ。
それを考えると、船の安全な航海のためには、灯台が果たす役割は大きい。
「港の近くで他領、他国船籍の船が座礁して、港を塞がれては困りますし」
「本当の事故にしろ、故意の封鎖にしろ、迷惑なことに変わりはないか」
ええ、大迷惑だわ。
しかも謀略でなら、なおさらね。
「それを踏まえて、必要なら、改めて沿岸部の海底の地形調査や、港へ入る安全な入港ルートや出港ルートを先導する、水先案内人の船や組合を用意してもいいくらいです」
「ふむ、いい考えだが、その二つに関しては灯台の建設とはまた別の話になるから、一旦脇に置いておこう」
「はい」
いけない、いけない。
つい、また畳み掛けてしまうところだったわ。
今は灯台の建設、そこに話を絞らないと。
「それにしても、灯台の質と数か……」
お父様が小さく唸る。
灯台は、かなり歴史が古い建造物だ。
前世では、それこそ紀元前からある。
何しろ紀元前三世紀頃には、世界の七不思議の一つである、ロードス島の巨像が、その掲げた手に灯火を燃やして航海の目標になっていたそうよ。
そして同じく、世界の七不思議の一つである、紀元前三世紀頃のエジプトにあったアレキサンドリアの大灯台は、当時ギザのピラミッドの百四十七メートルに次ぐ、百三十四メートルの世界第二の高さを誇り、五十六キロメートル離れた海岸からでも灯火が見えたらしいわ。
さらに、アレキサンドリアの大灯台には、反射鏡で光を集めて、近づいてくる船を燃やしたと言う伝説まである。
もっとも、さすがにそれは不可能だったと思うけどね。
だって灯台は、紀元前から産業革命期の十九世紀頃まで、薪や油、タールなどを燃やした明かりを掲げているだけだったから。
フレネルレンズと呼ばれるレンズを採用し、光を束ねて一方向へ光を遠く届ける灯台になったのが、その産業革命期になってからの話なのよ。
ちなみに、前世では、産業革命の時代になっても、強国であるイギリスやフランスにおける灯台の数はそれぞれ二十基程度。
灯台が十基以上ある国はその二国だけだったらしいわ。
大航海時代、新大陸へ先駆けて進出して植民地を増やしていたスペインやポルトガルですら、灯台を全然設置してなかったと言うことなのよ。
それは多分、灯台の光が弱すぎて、かなり近づかないと視認できなかったからだと思う。
大して役に立たない灯台を、わざわざ増やす意味がないって。
当時、灯台に対する船乗り達の不満の声も多かったみたいだし。
「そこで、魔道具で強い光を一方向に絞って放とうと言うわけだね」
「はい。最低でも三十キロメートルくらい、可能なら五十キロメートルくらい遠くまで届けたいです」
フレネルレンズを使った灯台が、そのくらい光を届けていたから、私もそこを目指したいわ。
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