260 提督の僥倖
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会議が終わり、提督、船長、副船長の七人は、宮殿の入り口で深々と頭を下げ、マリエットローズが乗る馬車を見送った。
そのままじっと微動だにせず、馬車が宮殿を離れて見えなくなったであろう頃、ようやく頭を上げる。
そして、提督であるバルトロメオ・ガルバンは、なんとなしに顔を上げて空を見上げた。
宮殿は小山のような丘の頂上にあり、周囲に視界を遮る物は何もない。
おかげで、視界いっぱい、抜けるような青空が飛び込んでくる。
その青空へ向けて、枯れ木のように細く皺が刻まれた指を広げて手を伸ばし、何かを掴み取るように、力強く握り締めた。
「……なんと僥倖なことか」
雲一つない晴天は、まるでこれからの全てが順風満帆に進んで行くことを示唆し、祝福しているようではないか。
そう、年甲斐もなく胸を熱く震わせながら。
それを不思議に思ったのか、船長の一人が声をかける。
「提督、どうかされましたか?」
「……天才とは、実に素晴らしく、そして凡人の物差しでは計り知れんところが実に恐ろしい。そうは思わんか? その知識の泉の広さと深さ、そして溢れ出る発想に、性別はおろか年齢すら関係ない。たったお一人で、文字通り時代を、世界を、変えてしまわれるのだから」
その『天才』が誰のことを指しているのか、わざわざ名を出さずとも、その場の誰もが理解していた。
バルトロメオは自分で口にした言葉ながら、それをしみじみ噛みしめる。
そして、皺だらけの顔を他の者達へと向けた。
「私達はその船への乗船にギリギリ間に合った。実に喜ばしく、実に幸運だった。そうは思わんか?」
「時代を、世界を変える船……ええ、まさにその通りかと」
「一人の船乗りとして、こんな幸せなことはありません」
他の者達もしみじみ噛みしめ、頷き、顔を綻ばせる。
皆、同じ境遇で、同じ思いを抱いてきたことを再確認出来て、バルトロメオも顔を綻ばせた。
「まさに、天の配剤とはこのこと」
バルトロメオは退役軍人である。
当時まだ幼子に過ぎなかった父、そして若き祖父、曾祖父と、三代にわたり苦汁を嘗めさせられたオルレアーナ王国との戦争。
それを最後に、ゼンボルグ王国はゼンボルグ公爵領と名を変え、大きな戦争を行っていない。
幸か不幸か、六十を過ぎて退役したバルトロメオは、徐々に進められた戦後の軍の再編や縮小の屈辱に甘んじはしても、波乱のない軍人生活を送ってきた。
いや、波乱など起こしようがなかったのだ。
祖国解放のために立ち上がれるだけの力を削がれてしまったのだから。
バルトロメオの生まれが分家筋で、爵位がなく、権力も財力も足りなかった……実家にそれだけの力がなかった、と言うのは、言い訳に過ぎないだろう。
ただ、どうしようもなく、バルトロメオ自身が無力だったのだ。
結果、世界の果てだ、貧乏だ田舎だと蔑まれる屈辱を、甘んじて受け入れるしかなかったに過ぎない。
そうして、表向きは平穏な、その実、無力に嘆く日々を強いられてきたのだ。
しかし、そんな無力に苛まれる日々も、瞬く間に過ぎていってしまった。
結局、三代にわたる屈辱を四代目の自身が晴らして報いるどころか、何も成せぬまま年老いて、現役を退いた。
「もはや、悔恨の余生を送った末に人知れず消えゆくのみ……悔いしか残らぬ人生であった」
……そのはずだった。
「しかし、この枯れた老骨に、今一度表舞台に立ち、祖国のために働ける、その機会が与えられた。与えて下さった方が現れたのだ」
子供らしからぬ程に物を知り、誰も思い付かぬ発想をする、政治の機微を解する利発な幼子。
かの高名な天才魔道具師であるバロー卿をして天才と言わしめた、時代すら動かし変える程の才覚を持つ、王女殿下。
ゼンボルグ王国第一王女マリエットローズ殿下。
表では決して口には出せぬその尊称だが、枯れ、燃え尽きたはずの胸の内の炎が、ゼンボルグ王国と王家への忠誠が、マリエットローズに拝謁し、言葉を交わし、その考えを知り、大型船と言う実績を目の当たりにしたことで、再び熱く、強く、燃え盛り始めたのだ。
「枯れ、全てを諦めた私に、まだこれほどの熱量と気概が残されていたとは」
そう自身で驚いたくらいだ。
いささか不敬な考えであるが、もしマリエットローズとエルヴェの生まれが逆であったなら、バルトロメオは時代の変革を迎える船に乗ることは出来なかっただろう。
そう、奇跡的に間に合ったのだ。
再びその身を役立てる機会に。
「であれば、やることは一つ。この老骨に鞭打ってでも、成し遂げねばなるまい」
「そうですな」
「まさに提督の仰る通りかと」
「我々、一度は退いた老人が、若者達のために、新たな時代の礎に。こんな喜ばしいことはない」
そう、若き王女殿下、王子殿下が築く新たな時代の礎に。
ゼンボルグ王国の新たな時代の幕開けをこの手で成し遂げる。
これに勝る栄誉と喜びが他にあるだろうか。
他の者達……同じ境遇と時代を過ごした船長、副船長達の瞳に宿る光は、まさにバルトロメオと同じ輝きを放っていた。
バルトロメオは、深く頷く。
「それと同時に、次代を担う若者達を、厳しく鍛え上げなくてはな」
「口惜しいが、我らに残された時間は、そう多くはない」
「うむ、その残された時間を、精一杯有効活用せねばなるまいよ」
バルトロメオと志を同じくして、他の者達もまた深く頷いた。
「新時代の荒波を乗り越えていける若き提督、そして船長達の育成。我らの知る全てを伝えねば」
「年甲斐もなく腕が鳴りますな」
「若者達には、さぞ煙たがられることでしょう」
「なに、それもまた我ら老人の役どころ」
「公爵閣下はもちろん、マリエットローズ様、エルヴェ様をお支えするに足る人材に育て上げなくては、顔向け出来ん」
「そう、それこそ我らの最後のご奉公と言うもの」
皆、晴れやかで実に楽しげだった。
まるで二十は若返ったかのように。
「では、やっとくたばってくれたと誰もが泣いて喜ぶくらい、最後に一花咲かせるとしよう」
バルトロメオのおどけた言葉に、皆、破顔して笑い声を上げる。
皆が揃って、空を仰ぎ見た。
空はどこまでも澄み渡り、青く、広い。
まるで大海原のように。
だからこそ確信する。
ゼンボルグ王国の未来は明るいと。
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