256 アグリカ大陸までの地図と海図
ともあれ、プレートテクトニクスの話は脇に置いておいて。
「未知の外洋へと漕ぎ出す以上、これまで遭遇したこともない事態が容易に起こりうると考えられます。なので、現場に判断を委ねる以上、取り返しが付かない事態にならないためにも、上に立つ私達があらゆる事態を想定して、方針を示しておく必要があります」
指示を仰ぐにも出すにも、千キロも海の彼方では、お互いどうしようもないもの。
だから、現場の責任者になる提督や船長、副船長達が特に深く頷いた。
「他に何か質問はありますか?」
特に他にはなし、と。
方針に異議はないと言うことで良さそうね。
詳細については、今回の方針に従って現場で対応マニュアルを作って貰って、そのチェックをするときに、また改めて話し合いの場を設けると言うことでいいわね。
「では練習船の外洋航海の訓練についての方針と概要は以上です。それでは次に、ゼンボルグ公爵領周辺からアグリカ大陸までの地図と海図の作成についてです」
これについてもまた、説明する内容が多いわ。
測量方法や道具類についての説明は後に回して、どんな地図と海図が必要なのか、先にそれを説明する。
「まず最初に作るのは、ゼンボルグ公爵領からアグリカ大陸北部沿岸までの、従来の東回りの交易路に沿った沿岸部の地図と海図です」
と言っても、地図はともかく、海図は一度の調査で完成させるのは難しい。
だって、風向きも海流も季節によって変化するから。
出来れば海図は、現地の商人や海賊などが使っている物を入手したいわね。
それを新しく作った地図に反映させるのが手っ取り早いわ。
「ただ、矛盾しているように聞こえるかも知れませんが、この地図に求めるのは、スタートからゴールまでの海岸線を正確無比に描くことではありません」
敢えてここで言葉を切ると、小さなざわめきが起きる。
みんな、訝しげな顔になるのも無理ないわね。
だから、これからの時代、その答えがより重要な意味を持つので、そのことを念頭に置いておいて下さい、と言わんばかりに微笑みを返す。
「この地図において最も重要な情報は、それぞれの国の主要貿易港の正確な位置、距離、方位を把握するための座標。すなわち、緯度と経度です」
最も困惑していた様子のビルバー子爵が一際大きく目を見開くと、やがてしみじみと頷いた。
「緯度と経度……なるほど。目的地の緯度と経度さえ分かっていれば、地形は大体合っていれば構わない、と」
「はい。もちろん、地形が正確であればあるほどいいのは当然ですが、優先度の話ですね」
ここにいる全員には、すでに緯度と経度については説明してある。
王都ゼンバールのウィーゼン地区にあるウィーゼン王立天文台に設置されたシンボル、それを基準点と定め、そこを通る経線をウィーゼン子午線と名付けて経度ゼロ度とすることも。
現在使われている地図には緯線と経線が記されていないから縮尺すら不明で、それぞれの地域の地図は、現地の人でもないと把握しきれない物だから。
そのことに、ビルバー子爵を始めとする領主達だけでなく、提督や船長、副船長達も納得してくれたみたい。
「大海原のど真ん中でも自分の位置さえ見失わなければ、目的地の位置、何より現在地からのおおよその方位と距離が分かるのはありがたい」
「港だけじゃなく、特徴的な島や地形など要所要所を押さえておけば、緯度と経度から現在位置が簡単に把握出来そうだ」
「航行不能にでもならない限り、そうそう遭難しないで済みそうですね」
「これは、アグリカ大陸への直通航路開拓で大きなアドバンテージになるぞ」
さすがに衛星写真とGPSのようにはいかないけど、それでもこれまでにないくらい確度が高い位置情報を得られるのは大きいはず。
特に提督達の表情がすごく明るくて嬉しそうなのは、きっとそれだけ海で遭難することが恐ろしいからなのでしょうね。
「ただし、優先して作るのは従来の交易路付近の海だけで、ヨーラシア大陸とアグリカ大陸との間に広がる大西海は、開拓する直通航路以外、当面はそこに海がある、と言うだけの空白のままにしておきます」
「大西海を縦断するのであれば、空白を全て埋めなくても良いのですかな?」
シャット伯爵の疑問も分かる。
でも、優先度は低い。
「もし、たまたま空白部分に船が流されたら、その時そこだけ埋めれば十分です。それ以外では、新たに交易相手国が出来て、新たな交易路を開拓する時に改めてで」
つまり、空白を埋めることを目的とはしないと言うことね。
「しかし、もし手つかずの海域に島や貴重な資源があれば、みすみす逃すのは惜しいのでは?」
「先程、西で島を発見した場合について言及がありましたし、未発見の資源を独占するチャンスかと」
フィゲーラ侯爵とビルバー子爵が言いたいことも分かる。
シャット伯爵もそれが言いたかったんでしょうしね。
でも、直通航路より東側の海の価値は、どうしても相対的に低くなる。
よほど力を付けてからでない限り、むしろ手に入れない方がいいとすら言えるわ。
「私達が開拓する航路から外れた位置にある島であれば、無理に確保する必要はないと思います。なぜなら、私達がアグリカ大陸の国々と交易を始めたと知れば、必ず、同様に直通航路を開拓しようと、他領、他国がすぐに南下を始めるはずですから」
「確かに、あの者達が奪い取りに来ないわけがない、か……」
ビルバー子爵が難しい顔で唸る。
もちろん、それを想定して、十分な資材と人材、そして戦力を整えてから直通航路開拓と同時に東側の空白の海域へと乗り出せば、他領、他国に付け入る隙を与えず、電撃的に全てを掌握できると思うわ。
でも、早い者勝ちで掌握したからと言って、他領、他国がそのままお行儀良く私達の権利を認め、黙って指をくわえて見ているはずがない。
オルレアーナ王国の王家や他領の貴族達は元より、ヴァンブルグ帝国からアラビオ半島までの沿岸諸国、さらには東のアグリカ大陸に植民地を持つ国々に至るまで、それらの島々の争奪戦に乗り出さないわけがない。
必ず奪い合いの戦争になる。
特にアグリカ大陸に植民地を獲得出来なかった国は躍起になるはずよ。
しかも、東へ向かえば向かう程、それは激しくなるに決まっているわ。
「なので、私達がわざわざその相手をする必要はないと思いませんか?」
泥沼化したら、ズルズルと戦費を注ぎ込み続けることにだってなりかねないもの。
それは、あまりにも負担が大きすぎる。
よほどでない限り、その選択肢は採るべきじゃない。
「第一、私達ばかりが独占しては、矛先が直接領地へ向きかねませんから」
それこそ、中央や古参の貴族達、そして周辺諸国に、対ゼンボルグ公爵領連合軍を結成されかねない。
そうなれば、いずれ力尽き、全てを失うことになる。
それでは本末転倒よ。
そんなリスク、絶対に負うわけにはいかないわ。
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