251 本命の資料と世界の真実
懐中時計が届いてから数日後。
お父様の執務室に呼び出され、目の前に待望の資料が並べられた。
「これが星表、これが月行表、そしてこれが経度を計算する新しい数式だ」
「見てもいいですか!?」
「ああ、もちろんだよ」
お父様に許可を取って、早速、星表を手に取り目を通す。
うん、星の名前がいっぱい並んでいるわ。
そして座標となる数字も。
でも、いくら眺めたところで、それが星空のどこにあるのか全然イメージが掴めない。
「さすがのマリーも、それだけでは分からないようだね」
「はい、さっぱりです」
「つまり、機密保持は万全と言うわけだ」
からかうように微笑むお父様に、苦笑しながら素直に頷く。
お父様によると、今年の一月一日の十二時を基準とした赤道座標で記されているらしい。
それはつまり、天球に星を貼り付けて、星空の緯度と経度である赤緯と赤経で座標が求められていると言うこと。
それを知らなければ、星の名前以外、意味不明の数字が並んでいるようにしか見えないわ。
次に月行表を手に取ってみたけど、やっぱりそれも同じ。
太陽と月の三時間おきの座標が一年分、日付と時間と共に書いてある。
これらのデータを元にして経度を計算する数式も複雑で、その意味と利用方法を知っていても、正直、私には使いこなせる気がしない。
万が一これらが流出したとしても、そう簡単には意味と使い方を理解出来ないでしょうね。
しかも月行表は、年が変われば役に立たなくなるわけだし。
改めて、完成した三つの資料を前に、ふつふつと胸の奥が熱くなってくる。
「遂に……全部揃いましたね!」
「ああ、そうだね。懐中時計が納品されたから、現時点で完成している最新データを急いで届けさせたんだ。もちろん、引き続き精度を上げる観測、そして今年度版の量産と来年度版の月行表の作成にも取りかからせているから、安心していい」
さすがお父様、抜かりないわ。
これらに加えて、六分儀と羅針儀があれば、方位も、緯度も、経度も、かなりの精度で測定出来る。
あとは、これらを生かせる人材を揃えるだけだ。
「早くみんなに使いこなせるようになって貰いましょう!」
「ははは、そう急かさなくても大丈夫。すぐに手配しよう」
◆◆◆
話が終わり、執務室を出て行った愛娘のマリエットローズを見送った後。
リシャールは関係各署へ指示書を書き上げる。
それから、領内の測量を任せている責任者の文官を呼び出した。
「失礼します、閣下」
入室したのは若い文官で、何故か興奮気味に鼻息が荒く、落ち着きがなかった。
訝しみながらも、リシャールはまず呼び出した用件について確認する。
「進捗は?」
「はっ、こちらをご覧下さい」
文官が執務机に広げたのは、ゼンボルグ公爵領の海岸線を記した地図だった。
それは、領地の南海岸のみ、それも七割程度しか描かれていない。
しかし、これまでにないほど精緻に、入り組んだ海岸線を描き出していた。
「随分と細かいのだな」
「閣下の仰る通りです。大雑把に省略しながら個人の主観で描かれた地図ではなく、世界初の! 六分儀を用いた三角測量による、数学に基づき描かれた地図ですから!」
そう聞かされると、これまでにない精緻さと入り組んだ線が、だからこそ実際の地形を正しい縮尺で描き出した地図であると、無条件に信じられる気がした。
もちろん、愛娘のマリエットローズがもたらした測量方法と道具であることが、信じる最大の理由ではあるのだが。
「二年足らずではまだここまでしか作成出来ておりませんが、あと数年お時間を戴ければ、世界に二つとない、世界初の精密な地図が出来上がることをお約束します」
「ああ、時間は掛かってもいい、精度こそが重要だ。引き続きよろしく頼む」
「はっ! 必ずや最高精度の地図を完成させてみせます!」
勢い込んで情熱的に語る文官に、リシャールは鷹揚に頷いた。
しかし文官の熱意と興奮は、本人が語る通りの、世界に二つとない、世界初の精密な地図を自分達が作っているから、と言うものだけではなかった。
「しかしそれだけではございません! 是非ともご報告したいことがございます!」
「ああ、聞こう」
「閣下が提唱されたウィーゼン子午線を基準に、東西に馬を一日走らせ、それぞれの地点で砂時計を用いて時を計り、月距法で経度を測定してみました。すると! なんと! 本当にこの大地は球体でなければ説明が付かない、そのような観測結果が出たのです!」
「ほう」
リシャールは目を見張る。
理屈はマリエットローズから聞いていたし、数々の状況証拠から、愛娘の言葉を疑う余地はなかった。
しかしそれが科学的な観測結果を経て、遂に証明されたのだ。
マリエットローズのことを信じてはいたが、それでも驚きは隠せない。
「しかも! しかもです!」
思わずリシャールが身を引いてしまうくらい目を血走らせながら、文官は身を乗り出す。
「これまで用いられてきたゼンボルグ公爵領から東方諸国までの各地の地図を一枚の世界地図としておおよその縮尺を合わせ、現在作成中の地図と比較してみたところ、なんと! 端から端まで、その経度は円のおよそ半分から最大でも三分の二程度にしかならなかったのです!」
「っ!? それはつまり……!」
「はい! 我々が知る大地は実は世界のたった半分、多くとも三分の二しかなく、その向こうには未知の世界が広がっていたのです! 閣下、これはとんでもない大発見ですよ!」
「そう、か……本当に未知の世界があったのだな」
「はい、あったのです!」
その未知の世界に、マリエットローズが提唱する新大陸がある。
一気に現実味を帯びたその存在に、リシャールは思わず身震いしてしまっていた。
「この事実を公表すれば、世界中が大騒ぎ間違いなしです!」
興奮に声を大きくする文官に、リシャールは視線を険しくする。
それがどれほどの騒ぎになるのか、想像するまでもなかった。
そして誰もが気付くだろう。
そんな未知の世界があるのなら、アグリカ大陸同様、未発見の大陸が存在するに違いない、と。
「このことを知る者は?」
「はっ、私と測量技師達のみです。閣下のご判断を仰ぐまで口外しないよう言い含めてあります」
「良い判断だ。この件は箝口令を敷き、私が許可するまで一切の口外を禁じる。あまりにも常識を揺るがす衝撃的な事実であるため、発表は慎重にならざるを得ない。そのタイミングは私が計る。良いな?」
「はっ! 閣下のご許可があるまで一切の口外を禁じると、厳命します!」
リシャールの公爵としての険しい視線に、文官は慌てて背筋を伸ばした。
「よろしい。それでその測量技師達だが、育成状況はどうだ?」
「はっ、閣下のご指示通り、地図の完成より測量技術向上と人数を揃えることを優先したことで、すでに半数以上が正規の測量技師として従事可能です。残りの者達も、遠からずそのレベルに達するでしょう」
「そうか。報告ご苦労。下がって良い」
「はっ!」
文官が執務室を出て行った後、リシャールは椅子の背もたれに身体を預け、目を閉じ大きく息を吐く。
「測量技師も質と数が揃い、これで全ての準備が整ったな」
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