246 懐中時計は時代を先取りした大発明
やってきたのは、滅多に使われることがない質素でこぢんまりとした応接室だ。
そこは、本来なら公爵家と直接取引するには規模が小さい商会の商人や職人などを通す部屋だから、滅多に使われないと言うわけね。
もちろん、質素でこぢんまりと言っても、飽くまで公爵家レベルでの話だけど。
その応接室へ入ると、中にはお父様と、二人の時計職人らしい人達がいた。
一人は五十代くらいの頑固そうな小柄の白髪のお爺さん。
もう一人は二十歳前後のオタク気質そうな細身で茶髪の青年だ。
目元や顔付きがよく似ているから、祖父と孫なのかも知れない。
そして、テーブルの上にドドンと置かれた宝箱のような豪華な装飾の箱。
箱の大きさは、縦横高さ、それぞれ二十センチ以上はありそう。
すごく、すごく、期待が高まるわ。
部屋に入った私に、お爺さんと青年の二人がすぐに立ち上がって礼をした。
「お初にお目にかかります、お嬢様。ベルトラン工房で工房長をしております、カミロ・ベルトランです。こちらは孫で弟子のセリオ・ベルトランです」
「セリオ・ベルトランです。よろしくお願いいたします」
二人とも丁寧な言葉遣いだけど、緊張のせいか、声も表情も動きも硬い。
それでもどうしようもない程にガチガチにはなっていないから、多少なりと身分が高い人と接するのに慣れている人達なのかも知れない。
「初めまして。ゼンボルグ公爵令嬢マリエットローズ・ジエンドです」
二人の緊張をほぐすように微笑みながら挨拶を返して、お父様の隣に座る。
それを待って、カミロさんとセリオさんが座り直した。
それからお父様が二人について補足してくれる。
「彼らが懐中時計を発注した時計職人だ。彼らの工房は教会の下請けもしていてね。教会の時計や、寺院の時計塔の製造やメンテナンスを請け負っている」
「では、時計のプロなんですね」
身分が高い人と接するのに慣れていると感じたのも、だからみたいね。
それでも領主の公爵家ともなると、さすがに別格過ぎて緊張が隠せないんでしょうけど。
世が世なら、王家に招かれたわけだし。
つまり、それだけの技術があって、信頼出来る人達と言うことになる。
一層高まる期待に、視線は二人からテーブルの上の宝箱に吸い寄せられた。
「こちら、公爵様よりお嬢様への贈物と聞いております」
そう、お父様はそういう体で発注してくれたの。
さすがに、本当の利用方法はまだ伏せておかないといけないから。
あながち、嘘でもないしね。
「お嬢様、どうぞご確認下さい」
カミロさんとセリオさんは自信満々に胸を張り、その宝箱の蓋を開いた。
「――!!」
見た瞬間、思わず息を呑んでしまう。
光沢のあるビロードに包まれて入っていたのは、まさにこれぞ懐中時計、と言う時計だった。
直径は少し大きく十センチ程。
真鍮のメッキなのか金色に輝いていて、閉じられたカバーの表面にはゼンボルグ公爵家の紋章が刻まれていた。
「手に取って見ても?」
「もちろんでございます。ですが、重たいのでお気を付け下さい」
ワクワクが抑えきれず手に取ると、予想通り、ずっしりとかなり重たい。
優に五キロはありそう。
ポケットに入れて持ち歩くには、ちょっと大きく、重すぎるわね。
でも、それも仕方ない。
カバーを開くと、中には時計らしく一から十二までの文字盤が嵌め込まれていて、時針、分針が現在の時刻を指し示している。
さらに、文字盤の中央より下の方、六の文字より上の位置には、さらに小さな文字盤があって、秒針がカチカチと時計特有の音を響かせながら時を刻んでいた。
「すごいです……!」
思わず驚愕と感嘆の声が漏れてしまって、それを聞いたカミロさんとセリオさんが嬉しさを隠しきれないように笑みをこぼした。
いや、もう、これは本当にすごいわ!
だってこの懐中時計を開発するに当たって私が用意出来たのは、父と兄から一方的に聞かされたクロノメーターが発明された経緯はこうだ、などの時計に関するうろ覚えの知識と、現代の時計で使われている脱進機の、あやふやな構造の拙い絵だけだったのよ?
それを、まさかここまで再現してくれたなんて!
時代を遥かに先取りした大発明と言っても過言じゃないわ!
「失礼ですが、一日の誤差はどのくらいですか?」
「およそ五分程です」
「すごい……!」
セリオさんが自信たっぷり、得意満面で言うだけあるわ。
ここまでの話の流れだけを見ると、前世の現代人からしてみれば『こんなにでかくて重くてどこが懐中時計!?』とか、『誤差が五分って駄目じゃん!』とか、言いたくなると思う。
でも、この時代で言えば、これでも信じられないくらい超高性能な時計なのよ。
まず、この時代、つまり十三世紀前後では、懐中時計は発明されていないの。
それどころか、渦巻きバネのゼンマイすらないわ。
一般の人達が時を知るのは、教会の鐘楼で鳴らされる鐘だけ。
その教会で儀式を行うため正確な時間を知るのに使われていたのが、日時計や水時計だったの。
しかも寺院に時計塔が建設されて一般の人々の目に入るようになったのも、実はつい最近になってからのことなのよ。
そのカミロさん達が作ってメンテしていると言う時計塔の機械式時計は、高さ数メートル、重さ三百キロもあって、おもりが下がると歯車が回転する仕組みの物。
さすがに家庭用の機械式時計はそこまで大きくて重くはないけど、持っているのはお金持ちばかり。
それだって、カチカチと一定の速度で時を刻むための重要な部品である脱進機こそ発明されていたけど、まだまだ精度が低くて、誤差が大きかったの。
そして、初めて渦巻きバネのゼンマイが発明されて、ようやく懐中時計が作られたのは、十五世紀に入ってからと言われているわ。
当時、直径およそ五センチ弱、重さ五キロ弱。
しかも時針のみで、秒針はおろか分針すらなかったらしいわ。
何しろ一日に何時間もの誤差が出て、分針が意味をなさなかったそうだから。
さらに振り子時計が発明されたのが十七世紀になってからで、その誤差はまだまだ十分以上が普通だったみたい。
その後、ヒゲゼンマイが発明されて懐中時計もようやく精度が上がったけど、それでも誤差は十分以上あったらしいわ。
現代の時計にも採用されている精度が高い脱進機が発明されたのは、十八世紀になってから。
つまり秒針がまともに意味を持つようになったのは、恐らくこの頃くらいと言うことになる。
そうして一日の誤差が一秒以下と言う脅威の性能のクロノメーターの発明に繋がっていくのだけど、それだって十八世紀末だ。
だから、懐中時計そのものでも百年から二百年早く、さらに秒針まで考えれば五百年も早い発明と言うことになるのよ。
その初の完成品で、直径十センチ、重さ五キロ、秒針まで備えて誤差五分は、とんでもない高性能だわ。
正直言って、懐中時計は次善の策で、そこまで期待していなかったの。
置き時計サイズで、誤差数時間あっても仕方ないと思っていたから。
それで、そこから改良を重ねていって貰うつもりだったから、これは思いも寄らぬ嬉しい誤算だわ。
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