20 視察に行きたいです
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私は五歳になった。
「パパ、わたしもしさつに行きたいです!」
ビシッと手を挙げた私に、お父様が弱ったような、デレそうな、それを無理して引き締めようとするような、複雑でおかしな顔になる。
普段なら私がお仕事がらみで畏まって『お父様』って言うと、お父様は『パパと呼びなさい』って言うけど、私が最初から『パパ』って呼ぶときは、あからさまにおねだりするときだって、お父様も分かっている。
だから普段ならデレデレになって、大抵のおねだりを聞いてくれるんだけど、今回はその大抵からは外れていたらしい。
それも仕方ないかも知れないわね。
だってお父様が他領へ視察に出かけるのに、同行したいって言い出したわけだから。
「れいの計画のしんちょくじょうきょうを確認するためのしさつなんですよね?」
「ああ、その通りだ」
「わたしも確認したいです!」
「ううむ……」
家庭教師のお勉強は、国立オルレアス貴族学院の高等部卒業試験の問題でテストを受けて、見事に合格。
筆記試験に関してはすでに卒業資格を得て、貴族社会で一般的に言う家庭教師に付いて貰ってのお勉強は終わらせた。
今は、別の家庭教師や講師を招く形で、ゼンボルグ公爵領を始め、古参の貴族の各領地の歴史、地理、経済を、また周辺諸国やアグリカ大陸の国交があって交易をしている主立った国々について、その国の言葉、歴史、地理、政治、経済、文化その他、さらに踏み込んだことを勉強している。
だってお母様が名付けた『ゼンボルグ公爵領世界の中心計画』――お母様のネーミングセンスに関してはノーコメントで――に、どんな形で役に立つか分からないから、知識は得られるだけ得ておきたいもの。
特に言葉は、頭が柔らかくて吸収力がある子供のうちにするのがいいじゃない?
しかも砂漠の砂が水を吸うみたいな超吸収力は、さすが悪役令嬢のゼンボルグ公爵令嬢マリエットローズ・ジエンドと言わんばかりで、そのハイスペックぶりに自分でもビックリよ。
おかげで勉強が楽しいったらないわ。
前世の私のままだったら、こうはいかなかったわね。
魔道具製作も、一通りの魔法文字は覚えて、今はランプみたいな安全で既存にある魔道具を自分の手で作ってみる練習を始めたところだ。
礼儀作法やダンスは勉強に比べると多少難航しているけど……。
やっぱり繰り返し身体に覚え込ませるには、どうしても時間が掛かるから。
それに、先生達の要求レベルも高いし……。
だって、こう言うのって、細かいことを言い出したらきりがないじゃない?
でも、国立オルレアス貴族学院の初等部に入学するまでには、実技試験で卒業資格を得るのに十分間に合うだろうと先生達には言われているから、多分大丈夫。
さらに、お父様が古参の貴族の横槍を警戒していたことから、貴族社会における立ち居振る舞いや貴族の流儀などの、貴族のやり口やよからぬ真似を仕掛けられた時の対処法も学び始めた。
元日本人の私としては、受け入れがたいやり口や常識もあるけど、知らなかったら身を守ることすら出来ないもの。
つまり私自身に関しては、計画遂行は順調に進んでいると言える。
ただ、裏を返せば、それ以外については、私一人でどうこう出来る問題じゃないのよね。
主な港湾施設を大型船が多数停泊できるように拡充しようと思えば、それこそ何年もかかる大工事になるでしょう?
大型船だって、既存のドックでは建造出来ないから、それ専用の大型ドックの建設から始めないといけない。
しかもこの時代は、商船や漁師の小さな漁船だって、海戦が行われるとなると徴発されて海軍に組み込まれるくらいなのよ?
飽くまでも交易船として使いたいけど、予定されている性能を持つ大型船ともなれば、既存の軍艦を凌ぐ性能になるのは間違いないわ。
もしこれを軍備増強と勘違いされたら、古参の貴族達どころか王家からも横槍を入れられて、計画そのものを潰されかねないのよ。
つまり、大型ドックは人目に付かない秘密基地のようにして、人の出入りはもちろん、物資の搬入にすら気を遣って情報を隠蔽しないといけないから、どうしても大型船の建造には時間が掛かってしまう。
だからこそ、どこまで計画が進んでいるのか、この目で確かめておきたいの。
だって私はもう五歳なのよ?
初等部に入学するのは十二歳になってからだから、まだ七年ある。
だけど、ヒロインのノエルがアテンド男爵の養女になるのが、それより早い十歳の時の話なの。
それだって、計画を思い付いた翌日すぐにノエルが見つかって、即実行とはいかないわよね。
つまり、私とノエルは同い年だから、アテンド男爵が計画を立てて動き出すまで、実質五年もないことになる。
だからそれまでに、ある程度目に見える成果を出さなくてはならないの。
それも、もし派閥の貴族達がそんな計画を持ち出してきても、お父様が宥めて思いとどまらせる気になるだけの、説得力のある成果が。
ハッキリ言って、気が気じゃないのよ。
「マリーが賢く、私達の天使で、この計画の立案者なのだから、進捗状況が気になる気持ちは分かるつもりだ」
いえいえお父様、私達の天使って……さりげなく交ぜているけど、それは今関係ないわよね?
「だけどマリー、お前は何を焦っているんだい?」
「えっ!?」
ギクリとした。
そんなに態度に出ていたのかな?
……うん、多分出ているわよね。
そもそも、まだたった五歳なのにここまで勉強を詰め込んで、こんな計画を立てているなんて、生き急いでいるとしか思えない。
我ながらどうかと思う。
でも、いくらお父様でも、私が転生者だってことや『海と大地のオルレアーナ』のことは言えないし、言いたくない。
もしそんなことを知られたら、お父様、お母様、エマ、セバスチャン……大好きで大切な人達に、どんな目で見られるか……。
だって私はもう、前世の日本人の私じゃなくて、お父様とお母様の娘、ゼンボルグ公爵令嬢マリエットローズ・ジエンドとして生きていきたいって思っているから。
「え~……あ~……あせってない、ですよ?」
だから……どう答えていいか分からなくて、目が泳ぐ。
「……ふぅ、まあいい」
ほっ……良かった、上手く誤魔化せたみたいね。
「視察同行の話だが、今回は駄目だ」
「えぇ~……パパぁ、本当にだめなのぉ?」
「うっ……く……ああ、駄目だ」
ちっ、上目遣いで小首を傾げて瞳をうるうるさせる、必殺のおねだりまで効かないなんて。
今回はどうやら本当に駄目みたいね。
ここで伝家の宝刀、『おねがいを聞いてくれないお父様なんて大きらいです!』は、まだ抜かない。
これは最後の切り札だから、乱用したらすぐに効果がなくなっちゃう。
だって、私がお父様のことを大嫌いになるなんて、絶対にないんだから。
「私も連れて行ってやりたいのは山々だが、今回はお前の準備が整っていないからな」
私の準備?
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