伝えたい
はぁはぁと肩で息を繰り返しながら、こちらに近づいてくる。きっと運動はあまり得意ではないのだろうと、アロナの走る姿を見ながらアルベールは思った。
(ダメだ、離れたくない)
たった一度名前を呼ばれただけで、覚悟など簡単に流される。彼女は別れの挨拶に来ただけだと、頭では分かっているのに。
「ロファンソン様。間に合ってよかった…っ」
「今日はククル様に会いに行かれていたのでは?」
本当は嬉しくて堪らないのに、つい可愛げのない言葉が口を衝いて出た。
「早く帰れと追い返されてしまいました。ロファンソン様の出立だというのに、わざわざ会いに来なくてもいいのにと」
「ははっ、お二人は随分と仲が良いのですね」
「そうですね。彼女は私にとって、とても大切な存在です」
(僕も、そうなりたい)
良い歳した男がみっともないと、アルベールは自身を叱責する。そんな彼の胸の内を知らないアロナは、走ったせいで紅潮した頬もそのままに、群青色の瞳でまっすぐにアルベールを見つめた。
「あの、ロファンソン様」
「どうかされましたか?」
(声が、震えるわ)
アロナはどうしてだか、泣いてしまいそうだと思った。思い返してみれば、全ての人生を合わせてもただの一度も、ルーファスに愛を伝えたことがなかった。口に出さずとも伝わっているはずだと、傲慢な考えで彼に接していたのだ。
(ちゃんと、言葉に乗せなければ)
相手のために、そして自分のためにも。
「ロファンソン様」
もう一度、彼の名を呼ぶ。
「私も一緒に、アストフォビアへ連れていっていただけませんか?」
アロナは生まれて初めて、男性に対し素直な思いを口にした。
「本当はまだ、恋をすることも愛を知ることも、怖いと思ってしまいます。けれどもしも私がそんな感情を抱くことがあるのなら、相手はあなた様が良いのです」
「…フルバート嬢」
感情を噛み締めるような言い方に、アロナの心もきゅうっと反応する。
「ご存知の通り、私は普通ではありません。実家とも縁が切れるでしょうし、ルタ様も快復されてきっと私は必要なくなるでしょう。そうなれば、ただのアロナに価値はなくなりますが…」
「僕も、あなたがいい」
俯くアロナの手を、アルベールはしっかりと包み込む。深い青色の瞳は、愛おしそうに目の前の令嬢を見つめていた。
「きっかけを言い出せばキリがない。けれど僕は今、あなたというたった一人の人をこんなにも愛おしく感じています。それは理屈では語りきれないのです」
「私も…私もあなたと、一緒に居たい」
目の前が歪み、ぽろりと涙が溢れた。触れ合っている手が温かくて、もしかするとこの瞬間のために生きてきたのかもしれないと、アロナはそんな風にすら思った。
「僕とあなたの気持ちの大きさが、同じでなくとも今は構わない。あなたの意思で僕を選んでくれたことが、とても嬉しいです」
「本当に、私でよろしいのですか?」
「それはこちらのセリフだ」
アルベールは赤く染まった頬を隠そうともせず、より強くアロナの手を握る。
その細い手を守りたいと、他の誰でもなく自分の手で守っていきたいと、彼は決意のように強く思った。
「フルバート嬢」
「どうか、アロナと」
「…アロナ」
アルベールはゆっくりと、アロナの手の甲に口づけを落とす。
「僕はあなたが好きです。共にアストフォビアへ来てはくれませんか」
「はい、喜んで」
再び彼女の瞳から、涙がぽろりと溢れて落ちた。




