契約結婚の取り消し
ことの経緯を聞かされたアロナは、迷惑をかけてしまったことをますます申し訳なく思った。
彼女が今いるこの場所は、アルベールが王都に有している屋敷の一つ。普段は管理人に任せきりにしており、主には国王からの勅命を受けた際にのみ活用しているのだと、アルベールから聞いた。
さすがに王族が卒去されたとあっては、彼も葬列に参加しないわけにはいかない。その後はすぐにでも領地に引き上げたいはずなのに、自身のせいでそれを足止めしてしまっていると、アロナは眉尻を下げた。
(きっとルタ様のことがあったから、私を蔑ろにできないと思っていらっしゃるのね)
恩など感じてもらう必要はないのに、アルベールは意外と律儀なのだと彼女は思う。
同時に、一刻も早く彼を解放してやらねばとも。
「あの」
「フルバート嬢」
アロナが発言する前に、アルベールがそれを遮る。まるでわざとそうしたかのように、矢継ぎ早に彼女の名を呼んだ。
「どうしてあの時、僕と婚約を結んだと言わなかったのですか?」
「えっ?」
予想外のことを問われ、アロナは目を丸くする。しばらくして、彼は先ほどのサムソンとの会話のことを指しているのだと気がついた。
「ロファンソン様」
「はい、なんでしょう」
「あの契約は、白紙に戻した方が良いと思います」
その言葉を聞いた瞬間、アルベールはまるでアストフォビアの雪を頭から思いきりかけられたような気分になった。
彼はそんなことは露ほどにも思っていなかったからだ。
「…なぜですか?あの契約は双方にとって利のあるものだと思うのですが」
「状況が変わってしまったからです。ルタ様は順調に回復されていますし、このような言い方は良くないかもしれませんが、ルーファス殿下は卒去されました」
「……」
確かに、アルベール側の問題は解決した。アロナが回避したがっていたルーファスとの結婚も、なくなった。二人の願いは表面上達成されたのだから、契約結婚の話を白紙に戻すという言い分も分からなくはない。
けれどアルベールは、どうしても首を縦に振りたくないと思ってしまう。その感情が、損得よりも前に飛び出してくるのだ。
「ルーファス殿下との婚約がなくなったのは、本当に偶然のことです。僕は関与していない」
「結果が同じなのですから関係ありません」
「あなたにだけあんなに無理をさせておいて、こちらだけなにもせず終わるなんて、あまり気持ちの良いものではありません」
「気になさらないでください。ルタ様のことは私の意志であり、強要されたわけではありませんから」
「いやしかし…」
なぜか食い下がってくるアルベールに、アロナは内心首を傾げる。てっきり「ではそうしましょう」と言われるとばかり思っていたからだ。
(プライドが許さないのかしら)
父親がああなので、男性のことは理解できないと思っている。ルーファスのことは確かに偶然ではあったが、今はこれでよかったのだと思うようにしている。
「……」
とはいえ、そう簡単に心の整理がつくものでもないが。
一瞬暗い顔をしてしまったことにアロナははっとし、表向きの笑みを貼り付ける。これ以上気にする必要はないという、意思表示のつもりだった。
「ロファンソン様には、本当に感謝しています。アストフォビアからここまであれだけの速さで戻ってこられたのは、ロファンソン様のおかげなのですから。そうでなければ、ククル様を助けることはできなかったかもしれませんし」
「……」
「ですからどうか、お気になさらないで」
アルベールは強かな男だ。けれど同時に、そうではない一面も見ることができた。
彼は自身の評判を落としてでも神龍達を守ろうとし、そのためにアロナの提案も呑んだ。
それになにより、困っている時に手を差し伸べてくれた。あれはきっと、損得勘定なしにしてくれた善意であると、アロナは捉えている。
神秘の地を守る辺境伯としてではなく、本来のアルベール・ジャック・ロファンソンという男性の性分は、きっと悪くない。
いつか彼が結婚したいと思った時、自分の存在が邪魔になってしまうことは避けたい。それにアロナにはもう、次の婚約者を見つけようという気はさらさらなかったのだ。




