哀しい愛の物語
“愛を司る女神 トゥラリアナ”
とても有名な神話の一つであり、大衆向けの観劇や娯楽小説の題材としてもよく用いられる、イギルキアでは馴染みのある名前。
はるか昔、トゥラリアナという一人の女神がいた。彼女は外見内面ともにそれは美しく、男性からの求婚が絶えなかった。そんなトゥラリアナに見初められたのは、没落貴族の次男・ヨテル。
冴えない容姿と肩書き、秀でたところなどなにもないといつも陰口を叩かれていたヨテルだったが、トゥラリアナは彼の心根がとても好きだった。誰にでも分け隔てなく穏やかで素直なヨテルは、辛い環境に精神を腐らすこともなく、ただひたすら真面目に生きていた。
トゥラリアナに見初められたヨテルは、最初のうちどうして自身が選ばれたのか理解ができず萎縮していたが、美しく優しい女神を愛するのにさして時間はかからない。二人は心を通わせ、永遠の愛を誓い合う。
しかししばらくののち、ヨテルに変化が見られるようになった。トゥラリアナに愛された彼を見て周囲は掌を翻し、これまでとは打って変わり彼のことを褒めそやすようになる。両親や兄弟のみならず、王族やそれに準ずる貴族達やその令嬢が、ヨテルに擦り寄った。
トゥラリアナの加護を受けたものは、幸福を約束される。全ては、その恩恵を受けるため。
ヨテルの態度は次第に横柄になり、あからさまに相手を見下すようになる。まるで自身が偉くなったかのように、トゥラリアナの威を借りてやりたい放題振る舞いはじめた。
トゥラリアナは嘆き悲しみ、昔のヨテルに戻ってほしいと訴えたが、それが間違いだと彼女は気づけない。これこそが、彼自身も気づかなかったヨテルの本性だったからだ。
誰よりも愛されたい、認められたい、優位に立ちたい。そんなヨテルの本質が、くしくもトゥラリアナの愛によって目を覚ましてしまった。
最後の結末で、トゥラリアナは胸を刺されて死ぬ。遊びたい放題令嬢に手をつけたヨテルを恨み、殺そうとナイフを持ち迫ってきた令嬢から、彼を庇って。
トゥラリアナが死んでようやく、ヨテルは夢から醒める。しかし、時は既に遅い。最愛の女性を失った喪失感と絶望に浸る間もなく、彼は大勢の目の前で処刑された。
そんな彼の元へ、トゥラリアナの魂がやってくる。彼女はヨテルを赦し、二人は共に旅立っていったと、伝説ではこう締め括られている。
(愛に生きた悲劇の女神、トゥラリアナ)
まさかここで、神話の中に登場する女神の名を聞くとは、夢にも思わなかった。
アロナは戸惑ったが、意を決してルタの前で膝を突く。
「…ルタ様。私に“愛の女神”の加護が宿っているというのは、本当なのですか?」
「心当たりは?」
「…あります」
まさか、とは思った。けれど繋げるならば、思い当たるのはあれしかない。
アロナは深く息を吸い込む。冷気が一気に肺に流れ込み咳き込みそうになるのを、ぐっと堪えた。
「…私はもう、三度命を失っています。その度に生き返り、五歳の自分に戻って人生をやり直しているのです」
「……」
「信じて、くださいますか?」
アロナの問いかけに、ルタは答えない。けれどその沈黙が肯定だと、なぜかアロナはそう感じた。




