絶望の前触れ
それは本当に偶然だった。ルーファスがこの離宮に来ていると給仕係が話しているのを小耳に挟んだアロナは、不自然にならないよう気を付けながら席を立った。
もちろん彼女の性格上、大腕を振りながら「会いたかった」などと言えるはずもない。あくまで偶然を装い、なんなら遠目に見るだけでもいい。
ルーファスに一目会いたいただそれだけの可愛らしい理由だったのだ。
侍女の一人であるラーラと共に、少し離宮の中を見たいとかなんとか理由をつけ、アロナはうろうろとしていた。すると手入れの行き届いた生垣の影にうずくまる、一人の女性を見つける。
「あなたどうしたの?どこか体の具合でも…」
驚かさないようそっと声をかけたつもりだったのだが、その女性は大袈裟な程に肩を震わせる。振り返って声の主がアロナだと分かると、彼女は一層わなないた。
顔面蒼白で額からは汗が噴き出し、両手はメイド服のスカートをきつく握り締めている。瞳孔は開き、ふうふうと呼吸も荒い。
(これは只事ではないわ)
「ラーラ。このことをすぐに誰かに…」
「お待ちください!私ならば何もありませんから、人は呼ばないでください…っ」
その懇願に、アロナはぴたりと静止する。メイドはぼろぼろと涙をこぼしながら、縋りつくような瞳で彼女を見つめた。しかしそれも一瞬で、その視線はすぐに逸らされる。
「お許しください、フルバート公爵令嬢…どうか、どうか…っ」
何度も何度も、彼女はアロナに謝罪する。とうとう地面に頭をこすりつけようとするので、アロナは慌ててそれを止めた。
彼女はこの謝罪を、不躾な態度を取ったと思っているせいだと考えた。一介のメイドが公爵令嬢の手を煩わせ、あまつさえ行動を止めるような真似をしたのだから。
(私がモルティーナ様に告げ口をすると思ったのかしら)
そう考えたアロナは、彼女から離れることにした。体調は大丈夫だと本人が言い張るのだから、もう仕方ない。
その代わりアロナはラーラに「メイド達の健康管理に気を配るようにメイド長に伝えておいて」と頼んだ。これでもし彼女の容体が急変しても、誰かに気づいてもらえるだろうから。
(ああ。結局あまり探すことができなかったわ)
内心がっくりと肩を落としながら、アロナはアフタヌーンティーへ戻ろうとドレスの裾を翻す。すると遠くの方に、ルーファスの後ろ姿を見つけた。
それはきっと、アロナにしかできない芸当だろう。彼女は何処にいてもすぐに愛しいルーファスを見つけ出すことを得意としていたのだ。
「ラーラ。先に戻って、王妃様とモルティーナ様に席を立ったことをひと言詫びておいてちょうだい」
「かしこまりました、お嬢様」
ラーラが傍にいると、小走りが出来ない。そうしてアロナはきょろきょろと辺りを見回し近くに人がいないことを確認してから、ドレスの裾を持ち上げルーファスの後を追いかけたのだった。
「ちょっとあなた。先程はよくも逃げたわね!」
「も、申し訳ございません…っ!どうか、どうかお許しを…っ!」
「落ち着きなさいククル。こうして戻ってきたのだから、許してあげましょうよ。ねぇあなた?頼んだことは、きちんと遂げてくれるのよね?」
「あ…わ、私は…っ」
「大丈夫よ。後のことは私達に任せて。あなたの変わり身を用意しているわ。報酬は充分あげるから、どこかへ逃げるといいわ。大切な兄弟と一緒にね」
(…このよく通る高い声には、嫌というほど聞き覚えがあるわ)
客人用の部屋だろうか。どう聞いても穏やかな話ではないというのに、なぜ愚かにも扉を完全に閉めないのだろう。その所為で声が漏れ、アロナにも会話の内容が聞こえてくる。
そしてそれは自分の殺害計画に関わることだということにすぐに気がついた彼女は、得も言われぬ恐怖に全身の毛穴から汗が噴き出すのを感じていた。




