無防備な姿
部屋数など数えきれないこの城にある、比較的こじんまりとしたバンケットルーム。金糸で細やかな刺繍の施されたソファに、アロナはゆっくりと腰掛けた。
すぐに、メイドによって用意された紅茶が目の前に置かれる。
「このような格好で申し訳ありません」
「とんでもない。僕の方こそ、淑女を遅い時間に呼びたててすみません」
「少し驚きました」
呼び出されたこと自体にではなく、わざわざ本人が部屋までやってきたことに、だ。
すでにネグリジェに身を包んでいたアロナは、その上に簡単な上着を羽織っただけの格好だ。全ての人生を合わせてもルーファスにすらこんなに無防備な姿を見せたことはないだろうと、そう思うと気恥ずかしい。
ルーファスに気を許したのはせいぜい、死にゆく直前くらいかもしれない、なんて。
(来るだろうとは思っていたわ)
アルベールは仕事が立て込み本日の帰りは夕食時を過ぎると、執事長であるクロッケンから聞いていた。
そして、日がな一日美しい白髪の少女達にアロナが振り回されたことも、もちろん彼の耳に入っているだろうとアロナは思う。
そうでなければ自身を訪ねるなどあり得ないことだ、と。
「冷めないうちにどうぞ召し上がれ。この部屋は寒くありませんか?」
「ええ、平気です」
小さく謝辞を述べた後、アロナは紅茶を一口含む。ふわりと広がる優しい甘みに、思わずほうっと溜息を吐いた。
「いつもよりずっと甘いでしょう?他国から仕入れた上質な砂糖を、多めに入れているんです」
「そんな貴重なものを」
「眠れない夜にはよくこれを飲んでいます」
(そんな夜はなさそうだけれど)
アロナの思考を見透かすように、アルベールは小さく笑う。
「こう見えて僕は、繊細な男なんですよ」
「すみません。なんと答えて良いのか」
「フルバート嬢は素直な女ですね」
そんなこと、とんでもない。死を回避するために、周囲の人間を利用しているのだから。
アルベールはもちろん、ラーラも、ククルも、リュート夫人も。
(…いいえ。嘘はやめましょう)
三度信じ、全て裏切られた。だからといって、他者を欲する心は止められない。
今のアロナには、大切だと思える存在がいる。それは、ルーファスを盲愛していた時よりもずっと、幸せな感情だ。
「…とても、美味しいです」
ゆらゆらと揺れる飴色の波を、アロナは静かに見つめる。考えることをやめてしまえば、自らの愚かさを嘆きたくなる。
もう、一生誰かを愛することはない。
そう決めてもなお、誰かのために生きたいと願う可哀想な自分を。
「アストフォビアは、雪ばかりでつまらないでしょう」
ただひたすらに紅茶を見つめていたアロナは、はっとして顔を上げる。
唐突なその問いに、答えることができない。
「つまらない場所というのも、案外悪くはないものです。果てしなく続く一面の真白にうんざりしながら、甘ったるい紅茶を飲む」
「ロファンソン様は、アストフォビアに愛着をお持ちなのですね」
「未踏の地を自らの手で暴くというのは、一種の快楽にも似ていますから」
「……」
(げぇ)
まるで舌でも突き出しそうなアロナの表情に、アルベールは盛大に笑う。
「アッハハ、まさかあなたのようなご令嬢がそんな顔をなさるとは」
「…すみません。本日は少々疲れが溜まっているようです」
辺境伯相手にバツが悪いアロナは、ふいっと視線を逸らす。
彼なりに自分を励ましてくれているのではと思った矢先に落とされたために、つい表情が崩れてしまったのだ。




