アロナとアルベールと、少女
柔和な表情を崩さないまま、アルベールの心中はざわめいていた。今まで、こんなことはただの一度もなかったと言うのに。
この少女が、自分以外の人間に懐くなど。
「ロファンソン様」
アロナが静かに口を開く。
「差し出がましいことを言うようで申し訳ないのですが、どうしてこの少女には名前がないのですか?」
「え?あ、ああ。名前は、本人が嫌がるからですよ。色々と付けてみたけど、返事をしてくれないもので」
どんな状況でアロナとこの少女が出会ったのか、アルベールには想像することしかできない。が、おおよそ彼女の反応がまともではないことは分かる。
普通ならばもっと取り乱すか、こちらに蔑んだ瞳を寄越すかするだろうに。
「驚かせてしまって申し訳ありませんでした、フルバート嬢」
「はい、確かに驚きました」
(どう見ても驚いてるような顔じゃない)
「しかし、それはこちらもです。この子は僕にさえ姿を見せてくれないこともある、とても繊細な子なのです。それが部屋に入ってみれば、初対面のあなたの側にいるものだから、本当に驚きました」
アルベールの言葉に、アロナ本人も頷く。どうしてそうなったのか、彼女自身にも全く見当がつかないのだ。
「あなたはなにか、特別な力を持っているのですか?例えば、神の領域に入り込めるような神力を」
「まさか。私はなんの力も持たない、ただの令嬢です」
「そうですか、まぁそうでしょうね」
二人の間に入ったのは、少女だ。
アロナのことをじっと見上げている。
「ふしぎなにおい」
もう何度そう言われただろうと、アロナは苦笑する。
「ろな、とってもふしぎ」
少女は繰り返しながら、ちょこちょことアロナの元へやってくる。
「あなたのおかげで、今日はとても楽しかったわ。ありがとう」
「……」
返事こそないものの、照れたようにはにかんでみせる少女にアロナは心臓を撃ち抜かれる。
なるほど、ロファンソンが幼女趣味というのも理解できない話ではないと、妙に納得してしまった。
「せっかく可愛らしい格好をしているし、夕食はここでみんなで摂ろうか」
「やだ、ねむむ」
少女は首を横に振りながら、しきりに目を擦っている。そしてクローゼットに入って、出て来なくなってしまった。
「ロファンソン様。食べずじまいで寝かせてしまってよろしいのですか?」
「ああ、あの子は頻繁に食事を摂らなくても平気なんだ」
「ですが…」
普通の子供ならば、夕食を摂らないままというのはいささか可哀想な気がする。しかしアルベールの口ぶりからして、きっと日常茶飯事なのだろう。
アロナはそれ以上言及することを止め、もそもそとクローゼットへ戻っていく少女に向かって、柔らかく微笑んだ。
「では、私達は食堂で夕食にしましょうか」
「ロファンソン様、まだコートを羽織られたままですが」
「ああ、すっかり忘れていました」
アロナになにか酷いことをされているのではというアルベールの心配は、全くの杞憂だった。いつも通り権力と見た目につられた令嬢がやってきたと思っていたが、彼の予想は裏切られた。
(これはおもしろいことになりそうだ)
支度をすると言ってアロナに背を向け、アルベールは部屋を出る。にやりと口角を上げた彼の表情は、アロナには見えていなかった。




