あり得ない光景
♢♢♢
「お帰りなさいませ、アルベール様」
「ああ、うん」
「本日正午ごろ、アロナ・フルバート公爵令嬢がお着きになりました」
「そういえば今日だったね。夕食を共にするよう伝えてくれたかい?」
体に纏わりついた雪を払いながら、アルベール・ジャック・ロファンソンは帰城した。執事長であるクロッケンは、アルベールの言葉に恭しく肯定の返事をしてみせた。
(悪評高いフルバート家の一人娘、彼女自身の評判はさほど悪くないようだけど)
広く浅い人付き合いしかしないアルベールだが、リュート夫人は蔑ろにしない方がいいと理解している為、彼女の頼みを聞いた。恩を売っておけばのちのち役に立つだろうし、第三王子の婚約者でありながら家庭教師を使ってまで他の男に会いに来る愚かな令嬢の顔を一度拝むのも悪くないと、アルベールはそう思った。
けれど今は面倒になり、さっさと帰ってくれればいいのにとコートを脱ぎながら考えた。
まぁどうせ、彼女も他の令嬢と同じように自分を知ればすぐに逃げ帰るだろう。
「フルバート令嬢について、お耳に入れていただきたいことが」
「なにかな、横暴な振る舞いでもした?」
「いえ、そうではありません」
クロッケンは執事長らしいポーカーフェイスで、淡々と事実を伝えた。
「城に用意してあるドレスをご所望されたのですが」
「ああ、気に入らなかったのか」
「違います。ご自身のドレスはたった数着から一分とかからずお選びになりました。少女が着用するような、小さなサイズのドレスを部屋に運んでほしいと」
その瞬間、アルベールは深い濃青色の瞳をこれでもかと見開いた。
「彼女を通したのはどの客室?」
「三階の右奥から二番目の部屋です」
「あそこか…」
クロッケンに伝えていなかった自分の落ち度だと、アルベールは掌を額に当てる。
(あの部屋のクローゼットには、あの子がいるんだった)
しかしそこで彼は疑問に思う。クロッケンは言っていた、アロナ・フルバートは小さなドレスを持ってくるように言いつけた、と。
あの子を見つけ驚くわけでもなく騒ぎ立てるでもなく、まさか心を通わせた?いや、そんなはずはない。そもそもあの子が、自らクローゼットを出るはずもないのだから。
「アルベール様、どちらへ」
「フルバート嬢の部屋に決まってる」
血相を変えたアルベールが、細かな細工の施された手すりに指を滑らせ、足早に階段を駆け上る。三階の右奥から二番目、アロナに充てがわれた客室のドアをノックすると、すぐに中から透き通った声が聞こえた。
「ロファンソン辺境伯様」
ブラウンの上質な生地を使った首元まであるドレスに身を包んだアロナが、アルベールに気づき微かに目を見開く。
けれど大した動揺を見せることもなく、ドレスの裾をひらりと持ち上げた。
「お初にお目にかかります。フルバート公爵家長女、アロナ・フルバートと申します。お目通りくださり大変感謝いたします」
さすが公爵令嬢、完璧な対応と振る舞いをしてみせるものだと、アルベールは頭の隅で思う。そしてそんなことよりも、彼女のドレスの後ろに隠れているシルエットを見て、アルベールは驚愕した。
いくら自分が促しても結わせてくれなかった長い髪が、一つ括りに編まれているではないか。それに着ているものも、ほとんどワンピースに近いとはいえきちんとしたドレスだ。
装飾品や靴は身に付けていないようだが、それでも普段と比べると雲泥の差があった。
なにより、自分以外の人間の前には一切顔を出そうとしなかったはずなのに。
「ロファンソン様?」
「あ、ああ。初めまして、フルバート嬢。我が城へようこそ」
呆気に取られていたアルベールは、慌てて笑みを繕った。表情のコントロールなど造作もないことであるのについペースを乱されてしまったと、彼は姿勢を正す。
「ある」
可愛らしい声が名を呼び、うさぎのようにぴょこんと彼の前に飛び出した。
「ろな、くれた。かわいいの」
澄んだ瞳が、きらきらと輝いている。まるで、この地に嫌というほど降り積もっている新雪のようだった。
「ろな?」
「どうやら、私のことをそう呼んでくれているみたいですね」
「そうですか」
(一体どうやってこの子を…)
「ある?」
「ああ、ごめんね。とても可愛いよ」
アルベールが少女の頭を撫でてやると、彼女はくすぐったそうに目を細めた。




