信頼関係とは
それからもリュート夫人は、家庭教師としてアロナに厳しく接した。しかし、これまでとは明らかに違う。アロナが心を許した四度目は、夫人も彼女に愛情を持って接するようになっていった。
元来の気質もあってか、周囲からはそう見えないかもしれないが、アロナは確実にそう感じていた。そして彼女は、不思議な気分を感じていた。
ふわふわとしたような、言葉では表し難い何か。
これまでルーファスしか見えていなかったアロナは、言ってしまえば余裕がなかった。こと二度目三度目は特に、いつ殺されてしまうのだろうと疑心暗鬼に陥り、他者を慮るなど到底無理だった。
ところが四度目は違う。アロナはルーファスへの想いを捨てた。それは彼女が思うよりもずっと、彼女の心を軽くしていたのだ。
無意識のうちに、愛情を超えた執着に近い感情へと変化していたのかもしれない。
ルーファス、ルーファス、ルーファスと、ただ彼だけを愛し続けてきたアロナは、この世界にはもう存在しない。
「リュート夫人。いつもありがとうございます」
いつの間にか、レッスン後の二人でのお茶が慣例となった。夫人の雰囲気は、出会った頃よりも随分丸くなっていた。
「どうしたのですか、突然」
「ご存知の通り、私は両親に心を許すことができません。けれど夫人は信頼して話ができます」
「それは私が堅物と言われる人間だからですか?」
「いいえ。リュート夫人だからです」
アロナはもう、彼女と接するのは四度目なのだ。人となりを把握することなど、簡単だった。
リュート夫人は、確かに融通の利かない堅物かもしれない。けれど彼女は慎重で感情に流されにくく、一度親しくなった人間は裏切らない。決して贔屓などせず、貴族にしては珍しく階級で媚びへつらうことがなかった。
その態度がエルエベ達には合わなかったのだろうが、アロナは違う。今の自分には、一人でも多くの味方が必要だと、彼女は考えていた。
リュート夫人を利用したいのかと問われれば、広義的な意味ではそうかもしれない。けれど決して、都合良く切り捨てようと思っているわけではない。
アロナの心中は、ルーファスに裏切られあの三姉妹から無残に殺される未来を回避したい。ただそれだけだった。
「あなたはこの二年で、随分と立派に成長されました」
「まだまだ、学ばなければならないことはあります」
「この世界を生き抜くために必要なことは、何も目に見える知識ばかりではありません。貴族社会は狡猾でなければなりませんが、それだけでは周囲からは認められないでしょう」
リュート夫人は、アロナの目の前にラッピングされた小さな箱を差し出す。
「これは?」
「私からの気持ちです。どうぞ開けてみてください」
そう言われ、アロナは素直に従う。そこに入っていたのは、一目で精巧な作りだと分かるブローチだった。
小さな宝石が散りばめられており、シンプルなデザインでどんなドレスとも相性が良さそうだ。
「私も、同じデザインのブローチを持っています。この先あなたが茶会や社交界デビューを果たした時、それを身につけていればすぐに私の生徒であると分かるでしょう」
「リュート夫人」
「アロナ。あなたは私に信頼を寄せてくれました。だから私も、それに応えたいと思ったのです」
光を取り込み、如何様にも光り輝いて見えるブローチを見つめながら、アロナは胸のつまる思いだった。
今まで誰からも、こんな風に信頼を返されたことなどなかった。ルーファスは確かに優しかったが、リュート夫人のようにアロナの未来を案じてはくれなかった。
「ありがとうございます、リュート夫人。このブローチを、とても大切にします」
「そうですか」
微かに緩んだ彼女の頬を見て、アロナの心は再び揺れる。本当に不思議な感覚で、自分自身も首を傾げてしまいそうになるほどだった。
両親から、躾という名の傲慢な体罰に縛られてきた彼女にとっては、この温かさはとても新鮮なものだった。
ルーファスに恋焦がれていた感情とは、また違う。ふんわりと、まるで春の木漏れ日に包まれているような。
(私も、少しずつ成長しているのかしら)
アロナは、感情を失くした人形だと囁かれ続けてきた。けれどこの四度目の人生で、彼女は少しずつ、けれど確実に変わり始めていたのだ。
皮肉にも、愛を捨てたその瞬間から。




