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モラトリアム   作者: 香山天
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あなたとの出会い

「わ…」

その水滴から逃げるように後ずさる。思わず眉根を寄せて青年の顔を見ると、彼は唐突に笑い出した。

「なーんて冗談!クローズの札をかけずに留守にした俺の責任だな」

「え…」

「あーあ、二階は店長のプライベートルームだからばれたらヤバいな~」

今時の若者らしい言葉遣いでぺらぺらと話す青年の様子に呆気にとられながらも、とりあえず頭を垂れた。

「ごめんなさい…」

「ま、いーや。別に本人にはばれないか。それよりあそこって暗いし汚いし、ホラーじゃなかった?」

そういって、にやりと笑う青年。切れ長の鋭い目が和らいで、当初より人懐っこい表情になった。青年の言葉に、真っ先にあの絵が脳裏に浮かんだ。確かに、あの絵を見た瞬間は背筋が凍りそうだった。ただ、あの場所への感想だけを述べると、むしろ神聖な空間な気さえしたのだが…。一人黙ったまま思いを巡らしていると、いつの間に取り出したのだろうか、手に持ったタオルで頭を拭きながら、青年が近づいてきた。自然な動作でもうひとつのタオルを眼前に差し出してくる。

「あ、ありがとうございます…」

派手で強面な見た目とは裏腹に、優しくて細やかな気遣いができる人の様だ。彼が店内の明かりをつけると、視界が広がった。やはり当初の印象通り、落ち着いた雰囲気の清潔な店内だった。

「あれ、もしかして」

そう言って真剣な眼差しでこちらをのぞき込む青年。タオルを受け取ると、逃れるようにもう一歩後退する。そのはずみで濡れた前髪から一滴頬に水滴が落ちたのを感じた。

「あんた、美術コースの子じゃない?」

「そうだけど…」

「だよね、俺みたことあるもん。顔は可愛いけどちょっと地味な、確か…」

褒められているのか貶されているのかよくわからない台詞に、口の端がひきつる。

「てら、てらだ…じゃない、てらも…」

「寺本美緒です」

「そうそう!美緒ちゃん!」

青年は一人楽しそうに笑う。銀髪でヤンキーみたいな風貌のくせに、人懐こい犬のような表情を見せる。

「俺、同じ学校!コースは建築デザインだけど。…そっか、同回生がきてくれるなんて、嬉しいな。大学が近い割に、学生はあんまり立ちよらないんだよね。まあ、純喫茶は入りにくいんだろーけど」

青年はそう言いながら買い物袋を両手に持ち直すと、キッチンの中に入り、慣れた手つきで袋の中身を冷蔵庫に移していく。

「ここって客が来ても、おじさんばっかりだからさ。美緒ちゃんみたいに若い子が来店してくれるなんてこと、超珍しいから」

青年は〝超〟の部分を強調して言った。

「はあ…」

若者の口から「若い子」というワードを聞くのはどこか笑えたが、余計なことは言わないでいた。彼の口調から、普段からここにいることが推測できた。ということは、彼はここで学生アルバイトをしているのだろうか。

「あっごめん、適当に座って。すぐにメニュー表用意するから。カウンター席にどうぞ」

窓の外を見ると、通り雨は止み、その代わりに太陽が燦々と輝いていた。青年に促され、遠慮がちに腰を下ろす。本当は一刻でも早く立ち去りたかったが、ここで帰ればそれこそただの不法侵入者扱いだろう。少しした後、エプロンをした青年が金色の文字で「MENU」と記された黒いメニュー表を持ってきた。開くと、コーヒー、紅茶、ナポリタン、サンドイッチ、いちごパフェやバニラアイスなどの文字が並んでいた。思ったより手広くやっているようだ。記載されていたオレンジジュースを選ぶと、彼は慣れた手つきでジュースをグラスに注いだ。先程までは濡れて張り付いていたのでわからなかったが、細いさらさらの銀髪が彼の動作と合わせて揺れていた。綺麗だと思いながら無意識に眺めていると、目が合った。

青年は、にこり、と端正な顔でほほ笑む。

「建都」

「え?」

「おれの名前。建てるに都。中々オツでしょ。呼び捨てでいいよ」

「はあ…」何がオツなのかわからなかったが、無難に返事をした。

「俺、大学では建築デザイン専攻なんだ。親もセンスあるよね、ぴったりの名前つけてくれて」

一人喋る建都の顔は、どこか自信ありげな表情をしていた。

「そうなんだ」

返事をしながら、脳裏にある思いが浮かんでいた。

―この人も、あちら側の人間か。

カラン、カラン。

また、入り口の鈴が鳴った。振り向くと、逆光の中で大柄なシルエットが浮かんでいた。

「いらっしゃい」

視界が光で満たされる中、目を凝らしてみると、そこには大きな紙袋を抱え煙草を咥えた男の人が立っていた。垂れた大きな目に、細い鼻筋。口元には短く切り揃えた顎鬚を蓄えている。絡み合うように視線が合って、数秒、時が止まったような感覚を覚えた。


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