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7-13 頑固対決

 ◇



 窮地に陥ったその時、私を守ってくれたのは、手の甲に浮かんだ天堂家の家紋だった。


「天堂家の……家紋……」


「くそ、簡易結界か」


 怒りを滲ませるように唇をかみしめる九我さん。


 手の甲に浮かんだ紋様が、じんじんと迸るように熱い。


(天堂さん……)


 もう長らく会えていないし、物理的にも距離があいているというのに、疼く家紋に彼のぬくもりが宿っていて、まるですぐそばで私を見守ってくれているかのような感覚に覆われた。


「……」


 浮かんだ紋様にもう片方の手を重ね、しっかりと握りしめる。


(しっかりしろ、琴羽……)


 惑わされてはいけない。


 こんな形で九我さんを受け入れてはいけない。

 

 どういう意図があって九我さんがこんな手段に踏み切っているのかはわからないが、きっと九我さんだってこんな形で私と結ばれることは本意ではないはず。だから、


「九我さん。こんなこと、もうやめ――」


 今度こそ惑わされないよう自分自身をしっかり持って、彼と真剣に話し合おうと顔を上げた――のだが、しかし。


「……っ、」


 ふいに九我さんが胸の辺りを抑え、ぜえぜえと不規則な呼吸を繰り返し始めた。


「く、九我さん……?」


 真っ青な顔で俯き、私の呼びかけに応えられないぐらい苦しそうに胸元を抑える彼。


 すぐさまごほ、ごほ、と、弱々しい咳を吐き出し始めたかと思えば、その咳は次第に強く、激しいものへと変わり、やがて彼はかつて零番街で発作を起こした時のように、口元を片手で押さえながらその場に蹲り始めた。


「ぐ、ゲホッ、ゲホゲホッ」


「だっ、大丈夫ですか⁉︎」


 慌てて上半身を支えたものの、彼の手には生々しい鮮血が飛び散っていて背筋が凍る。


「九我さん……! しっかりしてください!」


 ――間違いない。あの時、私の力不足で治癒しきれなかった病が再発したのだろう。


 そう直感した私は、すぐさま応急処置を施そうと彼の懐に両手を当て、集中力を高めて例の力を解放しようとしたのだが、


「……ダ、メだ」


 苦しそうに顔を歪めた九我さんに、それを制された。


「で、でもっ! このままじゃ……」


 戸惑う私に、九我さんは苦痛に歪ませた顔を緩やかに横に振りながら、掠れ声で言った。


「恩恵、代償……」


「恩恵の代償……?」


「記憶、を、失……う……」


「……!」


 あの力を使う代償に、記憶を……失う?


 私が彼の言わんとしていることをうっすら汲み取ると、彼は小さく頷いてみせる。


「強い、効果、は……代償も、大き……い。とも、すれば……學園の、ことも……たま、き、や、みん、な……僕の、こと……も……君は、忘れ、て……」


 乱れた呼吸や咳嗽の合間に、必死に紡がれた言葉。思い当たりがあったせいか、彼の言いたいことは瞬時に伝わった。


 例の力を使えば、記憶を失う。使用する力が大きければ大きいほど、強い治癒の効果を得る代わりに私は記憶を失うのだろう。


 今まで、この不思議な力を使った時に自分の身に起こった副作用のような頭痛や軽い記憶障害などの症状を加味すれば、自ずと彼の言葉には納得ができた。


「だか、ら……ゲホッ」


「くっ、九我さんっ」


 九我さんはさらに何かを言いかけたけれど、それ以上はもう限界だったようで、結局私の治療を拒んだまま、再び蹲り、ひどい喀血に苦しみだしている。


 どうしよう――。


 きっと、私の体や、學園の仲間を大事にしている私の意志を気遣ってのことなのだろう。


 治癒を拒む彼の強い意志に、力を使うことを思わず躊躇していると、突然、ノックも何もなく部屋の戸がガラリと開いた。


「ハク兄っっ!」


 廊下側から焦燥感あふれる顔を突き出したのは、痩せ型で細目の、この宿の女将さん……ではない。部屋に入るなりドロンと妖しい煙を放ちながらこちらに向かって駆け寄ってくるのは、変化の術を解いた『狐々丸くん』だ。


「こ、狐々丸くん⁉︎」


「ハク兄から〝妖力の念〟がとどいたんだ。おまえのこと、頼むって」


 口早に説明しながら、九我さんの体を支える狐々丸くん。


 そうか。きっとこの宿自体、九我さんが用意した、まやかしの宿だったのだろう。女将さんだと思っていた女性は狐々丸くんで、宿泊を決めたのは天堂さんに扮した九我さん。全ては巧妙に仕掛けられた罠だったということが即時に理解できたけれど、騙されたことに対し、今は彼らを咎めているような場合でもない。


「私のことはともかく、九我さんが……。狐々丸くん、彼のこの病気について何か聞いてる?」


 九我さんの顔色はひどく悪く、咳を繰り返しながらも時折、朦朧としたように意識を手放しかけている。


 このままでは危険だ。隣にいる狐々丸くんに真剣な声色で尋ねると、彼は少し思案した後、渋い顔をして言った。


「これは……〝天狗〟の呪い」


「……! 天狗って……上級あやかしの?」


 思いもよらない言葉に目を見開くと、狐々丸くんは小さく頷いて返す。


「そう。天狗族の呪い。今、おいら達の里、『奇病』が蔓延してる。現頭領も……発病した」


「な……」


「奇病、一度発病したら治らない。みんな、一生昏睡状態か現世送り。このままじゃおいら達妖狐族は滅びる」


「そんな……」


 ――現世送り。


 度々耳にしてきたこの言葉。幽世では『死』というものが存在しないため、重い病や致命傷となる重い怪我を負った者は瀕死状態のまま延々と苦しみ続けなければならず、それは時として『死』よりも重い地獄のような苦しみを味わうこととなる。


 その状態を回避するために、意図的に行われるのが『現世送り』というやつだ。


 幽世では不老不死といわれるあやかしも、現世に行けばそれなりに歳をとって衰えること――人間とは比にならないほど長寿なことには変わりがないようだが――ができるし、患っていた病気の症状を悪化させて『死に至る』ことも可能となる。


 その原理を利用して、瀕死のあやかしを現世に送り、意図的に『死』を迎えさせる、いわば『安楽死』に似た行為。それが現世送りだと、私は理解している。


 あやかしが罹患する病は人間のものとは違い、非常に奇怪であったり厄介なものも多い。


 だから、現世送りを望む気持ちもわからなくはない。


 わからなくもないのだが……医学に携わる者としては、なんとも言い難いセンシティブな行為だ。


「確かに……『呪い』に起因している『奇病』が相手じゃ、妖医にも手が出ない。でも、応急処置くらいはできる可能性がある。妖医に相談は……」


「今は里にいる唯一の妖狐族の妖医が処置にあたってるけど、一族相手に妖医一人じゃさすがに限界がある」


「そんなの、外部から呼び寄せるしか!」


「今の話は、おいらたち妖狐族の極秘事項だ。もしも外部に漏れたら、鬼や烏の奴らに付け入れられて総攻撃される。だから誰も頼れない」


「そんなこといってる場合じゃないのに……!」


「人間のおまえにはきっとわからない。幽世には幽世の事情が、上級あやかしには上級あやかしの事情がある。だからハク兄は、動けるうちに攻めに回って一気にカタをつけるしかなかった」


「……っ」


「天女の血は癒しの血。その血を受け継いだ子は、強力な妖力と生命力に恵まれ、不治の病にもかからないといわれてる。つまり……呪いで朽ち果てる前に、せめておまえとの子を成すことさえできれば、一族は存続させられる。そう考えて、おいらもハク兄も、おまえを狙った」


「……」


「けど……ハク兄……おいらが思ってた以上に病が深刻……。きっと、頭領や後嗣に向けてかけられた呪いが強すぎたんだ……」


 ぎり、と奥歯を噛み締めて、悔しそうにそうこぼす狐々丸くん。


 一連の事情を把握し、私はようやく腑に落ちたような気持ちになった。


(そうか……だから九我さんは、焦っていたのね……)


 大切な故郷に蔓延する、天狗族の呪いによる奇病。


 現頭領の発病。


 どんな卑怯な手を使ってでも私の血を手に入れたかった彼の心情は、なんとなく察しがついた。


 けれど――。


 だからといって彼と番契約を結ぶわけにはいかないし、根本が解決しなければその場しのぎの策にしかならないはずだ。


 そう判断する私と同様に、九我さんの容態の悪さを目の当たりにした狐々丸くんも、冷静かつ妥当な判断を口にする。


「こんな状態じゃ鬼を下したところでいずれまた覆される。悔しいけど、抗争はいったん休戦にして、体を休めないと……」


「それは……できない」


 ――しかし。


「ハク兄!」


「く、九我さん⁉︎」


 話を聞いていたのだろう。青ざめた顔の九我さんが、荒い息の合間に頑なな口を挟む。


「休んだ……ところで……烏の呪いは……消えない……、状況、は……悪く、なる……だけだ……」


「ハク兄……」


「それ、に……今、の、一族で……鬼や烏(アイツら)に、拮抗する力、が……あるのは……僕しか、いない……」


「で、でもっ」


「僕が……一族を、守ら、ないと……」


 意地でも意志を貫こうと、歯を食いしばり、立ちあがろうとする九我さん。


 どうみても無茶だ。


 屈強なあやかしが、血を吐き出すぐらい体を病んでいるというのに、無理して立ち上がるばかりか戦おうとするだなんて自殺行為である。


 そんなのは目に見えているのに、九我家の従者である狐々丸くんは、後嗣の意志に反論ができないまま泣きそうな顔で彼の判断に従おうとしていた……が。


「駄目です」


「……⁉︎」


「⁉︎」


 妖医を目指す私としては、もちろん、そんな無茶ぶりを許すわけにはいかなかった。


 立ちあがろうとした九我さんをなんとか布団に押し返し、彼が苦しそうに抑えている胸の辺りに両手を添える。


「な、花染さ……」


 動揺したように私を見る九我さんと、狐々丸くん。


 九我さんの警告を無視して、私は集中力を高め始めた。


 おそらく私の力では、『呪い』に抗うことはできない。


 けれど零番街の時のように、その場しのぎの……一時の癒しであれば、おそらく与えることができるだろう。


「だ、だめだ……、力を、使ったら、君は……」


 もちろん九我さんは、私を気遣ってそれを制ししようとしたけれど。


「上級とか下級とか、譲れない事情があるのはお察しします。でも……それとこれとは話が別です。私は妖医見習いとして、弱っている貴方を見過ごすことはできません」


 彼が頑ななように、私も、妖医見習いとしては非常に頑固な人間なのだ。


(――どうか、彼に癒しを)


 目を瞑り、手のひらに集めた集中力を、彼の体内に向かって一気に解き放つ。


 その瞬間、あたりはほわんと白い光に包まれた――。 


 


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