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7-9 天泣

 ◇



「ったく、お前ってヤツはどこまでお人好しなんだか……」


 ややむくれたような顔で窓枠に肩肘をつく天堂さん。


「うう、すみません。困っている方を見るとどうしても放っておけなくて……。日々お疲れなのに、余計疲れさせるようなことをしてしまってすみません」


 結局また貴重な時間を潰してしまい、平謝りに平謝りを重ねる私。しかし彼は、そんな私の懺悔を突っぱねるように肩をすくめて呟く。


「……。勘違いするな。別に俺のことをとやかく言っているわけじゃない。人が良すぎるってのも考えものだって話だ。その情の脆さにつけ込まれ、大事に至りでもしたらどうする」


「う……。そ、そうか。そうですよね……」


 どうやら彼は、私の心配をしてくれていたらしい。


 面食らいつつも、でも、仰ることはごもっともで、返す言葉なく撃沈する。


 恐縮しきりの私に、天堂さんはやれやれと苦笑を滲ませつつ、私を諭すようにポツンと言った。


「まあ、過ぎたことはもう構わんが、ただでさえ『人間』ってのはこの幽世(セカイ)じゃ狙われやすいし、加えてお前には特殊な血と『天女の恩恵』がある」


「……っ」


「自分の価値を充分に理解し、迂闊に他人の情に振り回されるべき存在ではないことをよく肝に命じておくんだな」


「……。はい……」


 天堂さんはそう括り、ポンと私の頭を撫でた。


「……」


 何気ない一言。でも、不意をつかれたようなその言葉に、私は口を噤んで軽く俯いた。


(天女の恩恵……)


 天堂さんは警告のつもりで言ったんだろうし、別に気にするようなことではないのかもしれないけれど……でも。


 なぜだろう、胸に引っかかる。その一言が妙にぐるぐると頭の中を回って、ちょっとしたわだかまりを口から零さずにはいられなかった。


「あの、天堂さん」


「……ん?」


「その、天堂さんは……」


「……」


 言いかけてやはり躊躇う私を、天堂さんは見守るようにじっと見つめる。


「なんだ?」


「あ、いえ……。やっぱりなんでもないです」


 喉まで出かかる言葉を飲み込むが、彼はもちろん、そんな私を逃さない。


「遠慮するな、言ってみろ」


「いや、その……」


「……ん」


「……。えっと……。もしも私にその不思議な力がなかったら、こうして今みたいに一緒にバスに乗ってなかったのかなって……」


 私のその一言に、少し驚いたように目を見張る天堂さん。


「って……当たり前ですよね、はは。聞くまでもないことを聞いてしまってすみません。あの、本当に、ちょっと頭を過っただけですので、今のは忘れてください」


 結局、言葉を濁し、貼り付けたように苦笑してからその話題を打ち切る。


 心の中の引っ掛かりをきちんと疑問の形にして吐き出さなかったのは、尋ねたところで答えを聞くのが怖かったからかもしれない。


「……」


「……」


 ゆらゆら揺れるバス。天堂さんは俯く私を見て何か思案するよう押し黙り、束の間、訪れる沈黙。


『木の葉通り吉田屋前〜』


 バスが見知らぬ名前の停留所に停まると、それまで無言だった天堂さんがすっと席を立ち、私の手を引いた。


「降りるぞ」


「へ⁉︎ は、はいっ」


 はじめからここで降車する予定だったのか、それとも思いつきか。そのどちらだったのかは定かではないが、慌てて荷物を手にする私とは正反対に天堂さんは緩慢な動きでバスを降りて、私の手を引いたままスタスタ歩く。


 どこへ向かっているんだろう? それはわからないが、今まで私に合わせるよう受動的だった彼の歩調が、妙に能動的な歩調に変わっていたことだけは確かだった。


「あの、天堂さん、どこへ?」


 たまらずそう尋ねると、彼はぴたりと歩みを止めたもののこちらは振り返らず、前を向いたままポツリと言った。


「俺は、一族を率いる頭領の後継者だ」


 改まった口調にどきりとしつつ、彼の背を見上げて静かにその言葉の続きを待つ。


「一族のため、末裔のため、貴重な血筋を手に入れるためなら手段を厭わずお前に接近し、隙あらばモノにしようとしている事自体は否定しない」


「……っ」


「――だが、ただ単にお前の血統や力が欲しいだけなら、そもそもこんな周りくどい逢瀬など交わさん。端から力尽くで奪い、無理矢理子を産ませればそれでいい。それが〝上級〟のやり方だからな」


「……」


「にも関わらず、それをせずに今ここでお前と休日の街中を呑気にほっつき歩いてるってことは、立場や境遇など関係なく、存外俺はお前を気に入っていて、身体だけの契約じゃ物足りないと感じてる証なんだが……。それじゃ不満か?」


 強かな声色でそう言い切り、ちらりとこちらを振り返る天堂さん。


「……。天堂さん……」


 力強い瞳にじっと見つめられ、言葉に詰まる。


 まさかそんな答えが返ってくるなんて思ってもみなくて、驚き、戸惑いながらも赤面せずにはいられなくて、照れ隠しに視線を逸らす。


「いえ、その……不満……ではないです」


 プルプルと首を横に振り精一杯の気持ちを述べると、天堂さんは満足したようだ。


「ならもう無用な不安は抱かなくていい。そんな顔をされるとこっちの気が揉める」


「す、すみません」


「謝る必要もねぇが……まあ、もう頃合いってところか」


「……? 頃合い?」


「こっちの話だ。些細なことでお前を不安にさせるのは本意じゃない。二度と余計な感情には振り回されぬようにしてやるから、このまま黙ってついて来い」


「?? は、はい……」


 繋がった手にぎゅっと力がこもれば、促されるようにして再び歩き出す。


 一体どこへ行くつもりなのだろう?


 熱く染まる頬を片手で隠しながらただ黙って彼の後についていく。


 前をいく天堂さんは、静かな宿場町のような場所――ところどころに和風テイストなお土産屋さんや甘味処、食事処などが並んでいる――をまっすぐに突き進む。


 ひたひた。ひたひた。


 しばらくしてその宿場町の終わりが見えてきた頃、天堂さんは再び歩みを止めた。


「……」


「……?」


 目的地へ着いたのだろうか? 


 あたりを見渡すが、ひっそりと静まり返った民家と宿屋、お茶屋さん以外に観光名所らしきものは何も見当たらない。


 疑問に思っていると彼はやがて、天を仰ぎ見るようにどこか遠くを見上げた。


 すると――。


「……!」


 それまで東雲色に染まっていた空が、急にぼんやりと明るく白んできたと思えば不意をついたようにサアっと冷たい光の雫が降ってきた。


「わっ。お天気雨……?」


 幽世では珍しい〝雨〟だ。


 呟いてすぐザアッと強めに降り出した光の雨に慌てて手で(ひさし)を作る。


「……天泣、か」


 空を見上げながらポツリと漏らす天堂さん。


 参った。滅多に雨なんて降らない幽世だし、傘なんて持ち歩くはずもない。一人狼狽えていると、ふいに天堂さんがスッと上着を脱ぎ、物言わず私の体を引き寄せてから、まるで傘がわりにでもするようにコートを広げて二人の頭上を覆った。


「……っ」


 私の体が、背の高い天堂さんの作り出した簡易避難所にすっぽりと収まる。


「こっちだ」


 高そうな服が濡れてしまうというのに、そんなのはお構いなしだ。


「あの、でも、天堂さんのコートが濡れ――」


「構うな、歩け」


「は、はいっ」


 とにもかくにもその場で立ち止まって遠慮をしていたところで否応なく濡れていく一方なわけで、一刻も早くどこかへ移動したほうが得策だろう。


 天堂さんの先導に従うように、二人で身を寄せ合って近場の旅籠の軒下に避難する。


 雨を防げてひとまずはホッとするも、もうすでに二人ともかなりびしょ濡れになっていた。


 滅多に降らない幽世の雨は非常に気まぐれで、稀に、上から降るだけでなく下から吹き上げたり、踊るように体の周りを巡ることもあるため、油断ができない。気を許していると今の私たちみたいにあっという間に全身が濡れてしまうのだ。


「うう、まさかいきなり雨が降るなんて……」


「天泣ならいずれ止むだろう。しばらくはここで……」


 ――と、天堂さんがコートの水をばさりと翻して水を払った時のことだった。


「はいはいお客さんいらっしゃい、二名さまのご利用ですね⁉︎」


「ひえっ」


「……っ」


 突然私の後ろの戸がスイッと開き、中から女将さんらしき痩せ型の女性がにょきっと顔を出したので驚きで心臓を飛び出しかけ、思わず天堂さんに飛びついてしまった。


(び、びっくりした……!)


 バクバク鳴る心臓。天堂さんはクールな表情で女性を一瞥し、女将さん?は、そんな私たちを見て、なぜかウンウンと頷きつつ、捲し立てるように口を回す。


「まあまあそんなにずぶ濡れになって……。こちらに温かい湯もご馳走も整ってますから、ゆっくりしていってください。さあ、こちらですよお客様!」


「え⁉︎ い、いや、あの、私たちはお店を利用しにきたわけじゃ……わっ!」


ご宿泊(・・・)二名様ごあんないぃ〜!」


「⁉︎」


 私の否定などお構いなしに、天堂さんと私の腕を取って中にぐいぐいと引っ張り込むその女性。


 閑古鳥が鳴いていたのか宿内はひどく閑散としていて、放たれた掛け声に特に返ってくる声はない。


 よっぽどお客さんがいなかったのだろうか……なんて、そんな気を回している場合じゃなかった。


「ちょっ、まっ、しししししし宿泊ッッ⁉︎」


「今なら特別に、格安で上級クラスのお部屋をご用意しますよ〜!」


 あれよあれよと誘導する女将さんに対し、目を白黒させる私。このままでは誤解されたままお部屋に案内されてしまうと助けを求めるように天堂さんを見たのだけれど……。


「……」


(わ、笑ってるし……!)


 天堂さんは女将さんの怒涛の勢いにくつくつと忍び笑いをこぼすだけで、特に抵抗する様子が見られない。


 普段なら鋭い睨み一つで相手を威圧して黙殺する彼なのに、今に至っては抵抗どころかむしろ『悪かねえな』とでも言いたげな、好意的な心の声でも聞こえてきそうなぐらいの遵従っぷりだった。


「せっかくだし寄ってくか。金ならいくらでも出す。極上の部屋を用意しろよ」

 

「まままままま待っ、ちょっ、」


「畏まりましたァ! はいはいではこちらになりまァすっ!」


(嘘でしょ⁉︎ ちょちょちょちょちょっと待ってよ天堂さんんん〜〜〜っっ!)


 ――かくして。


 天泣に弄ばれ、隣を歩く同伴者にまで弄ばれる私は、心の準備もままならないまま、ずぶ濡れの衣類で床を水浸しにしながらも、あれよあれよとその宿で一番(と言っても過言ではないだろう)豪華な客室に案内されてしまうのだった。



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