7-8 既視感
「悪いなんてもんじゃねえ、かなりやべえ状態らしいぞ。なんでも妖狐族の現頭領が、今の地位と膨大な妖力をあの九我白影に継承して退陣するかもしれねえって噂にゃ」
「……!」
「ただでさえ桁外れな妖力抱えてる九我に、代々受け継がれてきた頭領級の力が加わっちまったら、鬼や烏でも簡単には歯が立たねぇはず。おまけに九我のことだから容赦なく冷戦から全面戦争に切り替えるだろうし、一度口火を切っちまえば上級の奴らはもう止まらねえよ。血の雨が降ること間違いなしってわけにゃ」
「そんな……」
玉己くんの言葉にゾッとして身をすくめる。
確かに零番街に行った時に体感した九我さんの攻撃力の高さは桁違いだった。あれが悪霊ではなく他のあやかしに向けられたらひとたまりもないだろうし、血で血を洗う争いが起きたら鬼一族の頭領後嗣である天堂さんの身も決して無事ではすまないだろう。
(大丈夫なのかな……天堂さん)
庭で子どもたちと戯れている天堂さんを見やる。
まるでそんな緊迫状態であることを感じさせないような、普段通りの涼しげな顔だ。
視線を外してうつむき、唇を噛み締める。
(それに、九我さんは……)
(九我さんは本当に、そんな恐ろしい争いを起こす気でいるのかな)
零番街に同行してもらった時の、仲間としての彼を思い出す。
所々冷淡な態度をとりながらも、種族分け隔てなく身を挺して私たちを守ってくれていた優しさがあったように思う。
そんな九我さんと、天堂さんがぶつかり合うなんて。
ついこないだまで冷ややかながらも学び舎の教室で穏便に顔を合わせていた二人なのにどうして……と、信じられないような気持ちと、信じたくないような気持ちが鬩ぎ合う。
「……」
『ハク兄はいま、ダイジなとき。ささえ、ひつよう。だからおいら、ツガイさがしにきた』
小狐の狐々丸くんが放った言葉が脳裏をよぎり、やはりあの言葉は本当だったのかと、妙に落ち着かない気持ちになってきた。
「そんな状況らしいからよ。ちょっと気になったっつうか……。まさか、テンドーの野郎、死に支度のつもりでお前を連れ回してんじゃねえだろうなって、そう思って」
ふっと意地の悪い表情を浮かべながら、わざと私の不安を煽ってくる玉己くん。
「ちょ、え、縁起悪いこと言わないでよ〜!」
「ま、下級の俺には関係ないことだし、単なる取り越し苦労ならいいけどにゃ〜」
「うう……」
「つかおまえ、ホンットそういうの鈍臭そうだからな……。あやかし……特に〝鬼〟やら〝狐〟やら〝烏〟の奴らなんてえのはな、その気になりゃ人間の悪党なんぞ比較にならねえぐらい冷酷非道で容赦ねえ事ぶちかますような奴らなんだぞ。気ぃ許してっとあっという間にその辺の巣に連れ込まれて手篭めにされちまうんだから、マジでぼさっとしてんにゃよ⁉︎」
「⁉︎ てっ、てててて手篭っ」
「おら返事! 言われてるそばからぼさっとするにゃ!」
「ふ、ふぁいっ。気をつけまひゅ!」
「ちっ。っんっとにすっとぼけたヤロウだぜ。……じゃ。俺は行くにゃ」
「……って、ちょっと玉己くんっ⁉︎」
両頬をむにと引っ張られ、ものすごい迫力と不機嫌そうなジト目で説得?されたかと思えば、彼は言うだけ言ってプイッと身を翻し、職員室で受領証を受け取りつつ「んじゃ毎度〜」と、さっさとその場を後にしてしまった。
(手篭めって……うう、玉己くんってば、一体なんの心配……)
その場に残された私は、赤面しつつもヒリヒリする両頬を押さえて項垂れた後、ちらりと園庭をみやる。
いつの間にか節分イベントは終わりかかっていて、子どもたちから逃げ切った天堂さんが軽く胸元をおさえながら呼吸を整えているところだった。
(死に支度……か)
重くのしかかるその言葉に、顔を顰める。
正直なところ、思い当たる節はあった。
いつもとは違う、雰囲気。
いつもとは違う、積極性。
いつもとは違う、優しさ。
『……次、いつお前に会えるかもわからねえし、これからはもっと忙しくなる』
端々に感じる焦り、あるいは覚悟のような……。
「……」
(……あ、れ……)
――天堂さんを見つめながらぼんやり考え事をしていたところ、ふと、妙な感覚にとらわれて首を捻る。
(……)
(なんだろう、この感じ)
(既視感、みたいな……)
(気のせい……かな……)
些細なことかもしれない。でも、妙に気になるというか。
その気がかりで頭の中がいっぱいになりかけた……その時、
「すみません、お待たせしましたぁ!」
「……っ!」
先ほどの保育士さんが、朗らかな声をあげながらこちらへ戻ってきた。
それまでかなりぼんやり考え事をしていた私は、慌てて姿勢を正して彼女に会釈する。するとその時、タイミングをはかったように園庭にもイベントの終了を告げるチャイムが鳴った。
「っと、あらやだ、もうこんな時間! イベントももう終わりますし、せっかくですからお礼とおもてなしをしたいところなんですが……この後、予定がおありなんでしたよね?」
「あ、はい。せっかくなのに申し訳ないですが、これからまだまわる場所がありますので……」
「そうですか……残念ですが、ではかわりにせめてものお土産をご用意致しますので。ちょっと待っていてくださいね」
「えっ⁉︎ あ、いや、そんなお気遣いなさらず……!」
慌てて口を挟もうとするも、保育士さんはこちらの遠慮を聞き入れる間もなく再びパタパタと職員室に駆け込んでいき、すぐさまなにやら分厚い紙包を持って戻ってきた。
彼女と二、三、会話を交わしている間に、園庭から引き上げてきた天堂さんとも合流する。
重ね重ね礼を述べたり、あるいは先生たちから充分すぎるほど礼を述べられたり、恐縮しあった末に手土産を渡されたりして……やがて、園児や先生たちの満面の笑みに見送られながら保育園を後にする私たち。
その後やってきたバスに飛び乗って車内の幽世時計を見た時には、いつのまにか夕刻近い時間になっていて……。
「……」
「……」
(ま、またやってしまった……)
天堂さんと顔を見合わせるなり、私は猛省するよう両手を合わせて平謝りするのだった。