7-5 医學部薬學科生の行きたい場所
◇
中央通りの象徴ともいうべき朱い摩天楼のもと、ほんのり燈るネオンと赤提灯に包まれた幻想的な繁華街を歩く天堂さんと私。
食事処に居酒屋に喫茶店、眼鏡屋さんに古物店に文房具屋さん、雑貨屋さんに占い屋さんに呉服店にミニシアターらしき劇場など。
立体的に入り組んで並ぶお店の看板や暖簾、そしてそこを行き交う人々――正確には人ではなくほぼ〝あやかし〟なのだけれど――を目で追いかけるだけでも愉しいし、可愛い品物が並ぶお店を見ると無意識に心が躍り、感嘆の息が漏れる。
すると、そんな私を見た天堂さんがぽつんと尋ねてきた。
「なんだ、中央通りは初めてなのか?」
「へ? あっ、はい。幽世へ来てからずっとバタバタしてましたし、何か買うときは学び舎の購買か、寮周辺のお店で済ませてしまうことが多かったので……」
「たしかに學園の購買なら大抵の学術用品は揃うだろうが、娯楽品や嗜好品なんかはそうはいかないだろ」
「ええ、そうですね……。美容関係や雑貨なんかもあまり置いていないようなので、幽世の生活に慣れてきたらいずれはここでお買い物をしてみたいとは思ってたんですけど、なかなか一人では行く勇気がでなくて」
苦笑まじりにそう答えたところ、天堂さんはくつくつと笑いながら容赦ないツッコミを繰り出してくる。
「冥土の土産食って零番街に潜り込むような肝のすわった問題児が、一体何にビビるってんだよ」
「うっ。そっ、それはその、それとこれとでは別問題といいますか……」
「まあ、慣れないうちの『人間の一人歩き』はリスキーだから結果的には賢明な判断とも言えるけどな。ちょうどいい機会だし、今日はとことん付き合ってやるよ」
「……!」
「どこか行きたい場所はあるか?」
「わっ、私の行きたいところですか⁉︎」
「ああ。今から適当に見繕った名所に案内してやろうかと思ってたが、興味のねえ場所に連れていかれるよりお前が行きたい場所を回ったほうが楽しめるだろ」
「……っ」
い、意外だ……。天堂さんのことだから私の意見なんてお構いなしに定めたルートをあれこれ回るのかな、と思っていたのに。
繋いだ手を見つめたまま考える。
(行きたい場所……かあ)
手を繋ぐことにいまだ気恥ずかしさは残るけれど、あわされた歩調や所々に潜む配慮に彼なりの誠実さや優しさを感じ、わずかに心が絆されるのを感じる。
「ありがとうございます。でも、そのお気持ちだけで充分ですよ。天堂さんが見せてくれようとしていた景色も気になりますし、今日のところは……」
――と、ここは私自身も大人になって、彼に歩み寄ろうかと思ったその時、
「……!」
「ん?」
「あ、あれは……!」
ふいに視界に飛び込んできた『薬草屋』の文字。すんすんと鼻を動かせばたしかに深みのある草葉の匂いがうっすらとその辺りに漂っていて、反射的に私の双眸が煌めいた。
「薬草屋……か?」
「は、はい。あの、すみません、すぐ終わりますので少しだけ見てきても構わないでしょうか?」
恐る恐る尋ねる私に、天堂さんはすぐさま口元を綻ばせて体の向きを変え、
「遠慮せず入れ」
「わっ」
いうが早いか、私の手を引いてスタスタとお店の前まで移動したかと思えば、間髪入れずその暖簾をかき分けたではないか。
「いらっしゃいまふぇ」
「……っ」
そうして勢いよく入店した私たちを出迎えたのは、緑色の長い髪の毛に〝木霊〟と呼ばれる樹木の精霊をのっけた独特な雰囲気の店主さん。その不思議な様相もさることながら、まず驚いたのは――。
(わわわ。す、すごい……これ全部薬草⁉︎)
縦長のお店の壁一面にびっしりと並んだ百味箪笥。その引き出しのすべてには多種多様の薬草名が細かく記されていて、とにかくその品揃えの多さに度肝を抜かれる。
(解毒に消炎、鎮痛、痰切り、睡眠薬、滋養強壮に美肌に……うわあ、幽世産の薬草から現世産のものまで色々揃ってる……!)
どれもこれも薬学科の教本に載っているものばかりで俄然胸が弾む私。これは煎じて飲むのがいいのよね、こっちは塗るのが、あっちは貼るのが、そうそうそっちはお酒にして飲むのがいいんじゃなかったっけ……なんて、息つ暇なく想像を巡らせて一人脳内で盛り上がっているうちに、あっという間に時間は過ぎていき……――。
「ありがとうごふぁいました」
ハッと我に返ったのは、気になった薬草をあれこれ購入し、袋詰めされた商品をほくほく笑顔で腕の中に収めた後のことだった。
(し、しまった……! 夢中になりすぎて天堂さんのこと完全に忘れてた……!)
なんとも失礼なことを思いつつ、店主さんのいるカウンターから離れて大急ぎでお店の入り口付近に戻る。だいぶ時間が経ってしまったが、先ほどチラ見した時、天堂さんは入り口付近の二人掛けソファに座って楽しそうにこちらを眺めていたはず。
そんなことを思い出しながら急ぎ足で入り口付近までやってくると、彼はソファに深く腰掛けて長い足を組んだまま、うとうとと眠っていた。
「……」
(寝てる……)
それも、かなり心地よさそうな顔をして。
(疲れてるのかな?)
目の前でヒラヒラと手を振ってみたけれど起きる気配は皆無。なんだか起こすのも悪い気がするし、せっかくなので隣に座り、彼の完璧なまでに整った顔の造形をまじまじと見つめてみることにした。
(……。まつ毛長い……二重くっきり……鼻高い……肌もきれい……形のいい唇……おまけにフェイスラインもシュッとしてて男らしいなあ……。でも……)
ちょっと顔色が悪い? お疲れなのかな……? なんて、相手の意識がないのをいいことに隅々まで観察していると、急に彼の瞳がぱっちりと開いて視線がばちりとぶつかった。
「おっ、おはっ、おはようございますっ」
「なに勝手に見惚れてんだよ」
「いっ、いやあ、顔色を見ていただけでけけけけして見惚れていたわけではっ!」
慌てて飛び退き、顔から火を出す勢いで必死に否定してみたものの、不審者のごとく食い入るように見つめていたのはまぎれもない事実である。
「くく。その割には顔赤いけどな」
「うう、気のせいです気のせい。っていうかっ。起きてるなら起きてるって言ってくれればよかったのに……」
「そこまで親切じゃねえんだよ、鬼ってのは」
顔を真っ赤にして俯く私を見て、天堂さんは心底愉快そうにくつくつと笑っている。
「(もう……)」
ほったらかして薬草に没頭したり無遠慮にジロジロみたりとかなり不躾な行為を働きまくってしまったことに関しては特に咎める気はないらしく、彼はひとしきり笑ってからスッと立ち上がると、何気ない所作で私の腕の中の薬草入り紙袋を掠め取った。
どうやら持ってくれるつもりらしい。
「じゃ、次いくか」
そう呟いて、再び暖簾をくぐる天堂さん。
「……はい」
こくんと頷けば攫われるように手を繋がれ、ゆるりと歩き出す。
お詫び言いそびれちゃったな……なんて頭の片隅で思いながらも、かくして薬草屋さんを後にすると今度こそ天堂さんのおすすめ名所を巡ろうとして――。
「てっ、天堂さん、見てくださいあれ……!」
――ものの数分で興味深そうな本がずらりと並ぶ古本屋さんに足を踏み入れる私たち。
「これ、学び舎の購買にもなかった、めちゃくちゃレアな薬草レシピ本の初版です!」
「草か……」
「葉っぱだけじゃないです、根っことかつぼみとかお花とかつるとか……種子なんかも!」
「部位はどうだっていいんだよ。っていうかお前、興奮しすぎだろ」
面を輝かせて本を抱きしめる私を見て、さもおかしそうに口元を綻ばせる天堂さん。
おかしい……。私は天堂さんのおすすめの名所が見たいはずなのに。
気がつけば次から次へと気になる薬草図鑑や学術書、医学書なんかを手に取っていて、結局ここでも黙々と本と戯れてしまい……――お店を出た頃には幽世の気まぐれ空がすっかり薄明の色に染まっていて、昼を告げる十二の鐘が私たちの上空に鳴り響いたのだった。