7-3 息抜きぐらいさせろよ
◇
天堂先生と目が合った瞬間、心臓がどくりと派手な音を立て、急激に顔が熱くなった。
なんだろう、これ。自分でも不思議なくらい胸が騒いでいるし、同時に彼がなんら変わりなく無事でいてくれたことに心底安堵している。
(どうしたんだろう、私。会えなくなる前はこんな気持ちになることなんてなかったはずなのに……)
戸惑いつつも理由は明白で、みんなが口を揃えて『抗争が激化している』だとか、『鬼が押され気味』だとか不吉なことを囁くものだから、どうやら私は、自分が思っている以上に天堂さんの身を案じていたようだった。
でも――。
「んぎぎ、なんだおまえっ。はーなーせーよーっ!」
「天堂先生……ど、どうしてここへ? 噂で聞きましたけど、今、とても大変な時期なんですよね? こんなところにいていいんですか?」
首根っこを掴まれ宙ぶらりんでジタバタ暴れている少年を尻目に、あくまで平静を装いながら核心に迫る。素直な気持ちをうっかり口にしようものならそれはそれで厄介なことになると思ったからだ。
すると、私の問いかけに天堂さんは、
「お前は俺の心配よりも自分の心配をしろ。童とはいえコイツは妖狐族だ。腹ん中で何を考えてんのかわかったもんじゃねえんだぞ」
顔色一つ変えず、クールな一言。
「うっ。そ、それは確かにそうかもしれないですが……」
「おい、むしするな! いや、それよりもいま、『てんどー』っていったか⁉︎ おまえ、てんどーけのてんどうなのか⁉︎」
「だったらなんだよ」
「ぐぬぬ……ここであったがひゃくねんめ。おまえなぞ、いますぐおいらのヨウジュツでせいばいしてくれ……おわっ⁉︎」
少年は愛らしい手足をシュシュシュっとバタつかせてより一層激しく抵抗しようとしていたのだけれど、ただでさえ背が高く筋肉質な天堂さんに幼子のパンチやキックが簡単に届くはずもなく。冷ややかな眼差しで一瞥したかと思えば、首根っこからもふもふのしっぽにひょいと持ち替えて、あっさり逆さ吊りにしてしまった。
「お、おのれしっぽをつかむなっ。しつれいにもほどがあるだろっ」
「五月蝿ぇガキだな。童に手をかける趣味はねえが、売られた喧嘩なら遠慮なく買うぞ」
「うぐ……」
そのまましばらく、睨み合っていた二人。しかしやがて少年はハッとして、気圧されるように大人しくなった。
「……」
「餓鬼の出る幕はねえ。大人しく里へ帰れ」
じろり、と、無言の圧力をかけるよう鋭い眼差しで少年を見下ろす天堂さん。
少年はしばらくのあいだ押し黙っていたが、やがて屈するように目を伏せて俯いた。
相手が悪すぎると思ったのか、それとも他になにか考えでもあるのか。急に威勢を削がれたように大人しくなった彼は、首根っこを離されると、速やかに私たちの元から離れる。
「ま、まあ……きょうのところはこのへんでカンベンしてやってもいい」
「……」
「で、でもおいらはっ」
「いいからさっさと行け」
天堂先生がぶん、と片手で払うような仕草をすると少年は慌てて身を翻し、コオンと高らかな鳴き声を残してその場から退散していく。
「……」
「行っちゃった……」
途中、何度もこちらを振り返っていたけれど、やがて少年の姿は完全に見えなくなった。
肩から力が抜け、安堵の息が漏れる。ちら、と視線を投げると、天堂さんは着物の乱れを正しながら、周囲に警戒気味な視線を這わせているところだった。
体の向きを変え、改めて呼吸を整える。再び目が合うや否や、お礼を言うチャンスだと思ってぺこりと頭を下げた。
「あの、助けていただいてありがとうございます。今も……それから、先日の零番街の件も。ずっとお礼が言いたかったんですがなかなか会えなくて。いろいろお忙しいようですが、お変わりなく過ごされてまし……ひえっ」
すると、下げた頭ごとぎゅっと抱きしめられてしまったではないか。
「え、ちょ、ちょっ……」
まさかの事態に理解が追いつかず、天堂さんの胸元に埋まりながら目を白黒させる私。
しかしそんな私に構わず、
「会いたかった」
追い打ちをかけるよう耳元で甘く囁かれれば、頭のてっぺんから爪先まで全身の血が迸るように熱くなった。
「(う……)」
咄嗟には言葉が出てこなくて、束の間に訪れる沈黙。動揺する私とは正反対に、天堂さんはまるでこのひとときをじっくりと堪能するかのように穏やかな呼吸をしていた。
一体どうしたんだろう――。
今まで意地悪く揶揄われたりしたことはあるけれど、これほどストレートな愛情表現を受けたことは一度だってなかった気がする。
やはり、噂どおりに『三つ巴』の関係がひどく荒れていて、誰かに癒しを求めたくなるほど疲れやストレスがたまっているのだろうか?
だとすれば私にできることはなんだろうか……と考えかけて、思いとどまる。
私たちはまだそこまで親密な関係に至っていない。思わせぶりな態度は差し控えるべきだろう。
「て、天堂先生っ」
「ん?」
「そ、その、ここじゃ人目につきますし、心臓に悪いです……」
だから、昂る心音を必死に押し隠して彼の胸元をそっと押し返したのだけれど、天堂さんは悪びれる様子なく、かすかに笑ったようだった。
「學園の規則に教師と門人の関係を咎めるような項目はない。見られたって別に構わねえだろ」
「うう、それはそうですけど……。天堂先生がよくても私は困るんです」
「なら、學園じゃなければいいのか?」
「そ、そういう問題でもないんですが……」
「騒動続きでなかなか學園に降りてこられずにいたが、やっとの思いでお前に会えたんだ。息抜きぐらいさせろよ」
「……(むう)」
ど、どうしちゃったんだろう天堂さん……。
そんな甘い声色で、逃げ場を奪うように囁かないでほしい。
いつにない彼の積極さにしどろもどろになる私。
そんな私を見て、彼はまた、ふっと笑ったようだった。
「……と、まぁ、そう言いたいところだがな。確かに今は、學園の奴らに無駄に騒がれても面倒だし、ここでの振る舞いは慎んでやる」
「……!」
「――だが。次、いつお前に会えるかもわからねえし、これからはもっと忙しくなる。だから、再び騒動の渦中に戻る前に、お前との共有時間を少しでも増やしておきたいんだが……明日、時間はあるか?」
「えっ⁉︎ え、ええと……」
天堂さんの唐突な申し出に、思わず声を裏返す。
偶然というべきか必然というべきなのか。明日から二日間、学び舎は休講日となる。現世でいう週末の土日みたいなものだ。
今週は特にこれといったお出かけの予定はなく、普段学び舎経由で請け負っている家庭教師のアルバイトに関してもシフトを入れていなかった。
そのため、図書館に行って自主学習をするか、まったり読書するか、あるいは久々に市街地に出て参考書巡りでもしようかと思っていたところなので、思いっきりフリーではあるけれど……。
(こ、これってまさか、もしかして……デートのお誘い?)
想定外の出来事に動揺し、否応なく赤面する私。
「そ、その……明日は特に何も予定はないです……けど、図」
「そうか。ならば九つ鐘の刻、中央通り摩天楼広場に集合、いいな?」
「へっ⁉︎ いや、ちょちょちょちょ、まっ」
「来なきゃ寮まで迎えに行くからな。ちゃんとめかしこんでおけよ」
いうが早いか、いじわるな笑みを一つ残し、さっさと踵を返して去っていく天堂さん。
(う、嘘でしょ……⁉︎)
図書館で自主学習がどうとか、読書がどうとか、参考書めぐりがどうとか。説明してる暇なんて一秒もなかったし、まるで担任教師とは思えない強引なお誘いに、もはや私の胸の動悸は爆発寸前で――。
(困る、どうしよう、今さら断るわけにもいかなそうだし、おしゃれ服なんて持ってないのにどうしたらいいの⁉︎ あううう、そうだ縁さん、助けて縁さんんんん!)
――かくして私は、急遽決まった天堂さんとのデートに、てんやわんやの急ごしらえで一世一代の波瀾万丈な一日を迎えることとなるのである。