7-2 狐の嫁取り
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「ぶはっ。は、はなせぶれいものッ! おぬし、なにやつじゃ! おいらをどこにさらうつもりじゃ! ちいさいからってあなどるなよ、おまえのようなコムスメなぞおいらのヨウジュツでヒトヒネリに……!」
「ひえっ。ご、ごめんなさいっ。お、落ち着いて落ち着いて! もうはなすから落ち着いて〜!」
医學部棟から徒歩数分圏内にある図書館脇の小さな噴水広場にて。
腕の中でジタバタと暴れ続けていた少年を地へ解放すると、それはそれは猛然としたお叱りが飛んできた。言葉だけ聞くとずいぶん高圧的で大人びた(大人というよりはむしろおじいちゃんぽいかもしれない)貫禄があるが、舌足らずだし見た目は五歳くらいの愛苦しい狐耳少年なので、どう頑張っても憎めないというか。
「うう、出過ぎた真似してごめん……でも、今、『三つ巴の抗争』が激化してるっていう噂が學園中に広まっていてみんながピリピリしているから、『私』に対する不用意な発言や誤解を招く言動は避けたほうが賢明かなと思って……」
「む。なんだおまえ、よくしってるな。たしかにいま、おいらたち『ジョウキュウ』のコーソーはとてもゲキカしている。オニのやつらをぎゃふんといわせるちゃんすだ。だからおいらがここにきたってわけで……って……ん? 『わたし』……⁇」
「うん、私が花染琴羽だよ。あなた、私を探してたんだよね?」
やっぱり抗争が激化してるのは本当だったんだ……と、密かに確信しつつ尋ね返してみると、少年は驚いたように目を丸くして私をみた。
「な、なんだって⁉︎ お、おまえがハナゾメコトハ⁉︎」
バッと飛び退いて、吟味するようにこちらをじろじろ見てくる少年。なんだか挙動がいちいちあどけなくて可愛い。膝を折って目線を合わせ、「そうだよ〜。よろしくね」と首を傾げて見せれば、少年はもふもふの狐耳をピンと反らせて「ふむ」と唸った。
そのまま何かを思案するよう腕を組み、こちらをじっと見つめ続けてくること数秒。
「……?」
「よくみればなかなかカレンなカオをしているな」
「エッ」
「わるくない。きめた。おまえ、てんどー家のツガイになるのはやめて、いますぐハク兄のツガイになれ」
「はいっ⁉︎」
「よし。そうときまればすぐにシュウゲンだ。里までおいらがアンナイしてやる」
真剣な顔をしてなにを考えているのだろうと思えば、突拍子もないことを言い出す少年。おまけに早くも私の服の裾をぐいぐいと引っ張って強引にどこかへ連れ去ろうとしており(幼子の力なのでびくともしていないのだけれど)、今度は私が目を丸くする番だった。
「い、いやいやいやいやいやそれはちょっと……!」
「むっ。〝イヤ〟なのか? ぜいたくなおなごじゃの。ハク兄のどこがふまんだ。かっこいいしつよいし里でもどの街いってもダイニンキなんだぞ」
慌てて彼の連行を制止し、丁重に断ってみたものの本人が意に介す様子はない。
おまけに無垢な表情で首を傾げられると、ひどく自分が贅沢な女子になった気がして妙に居た堪れなくなってきた。
「あ、いや、その、そういう意味の『嫌』じゃなくてね? ……って、そもそも『ハク兄』って妖狐族頭領の後嗣、九我白影さんのことであってるよね?」
「おう。ハク兄はもうすぐ里のトウリョウになる。だから、はやいうちにみをかためてヨツギつくる。妖狐族あんたい」
「よっ、よよよよ……世継ぎって! っていうか待って、九我さんが頭領……⁉︎」
「うむ。ハク兄はいま、ダイジなとき。ささえ、ひつよう。だからおいら、ツガイさがしにきた」
神妙な顔つきでそう告げる少年。思いもよらない情報に頭が真っ白になる。
九我さんが後嗣ではなく頭領……? それって一大事じゃなかろうか。もしかしたら『三つ巴の抗争』が激化したこととなにか関係があるのでは……と、一人悶々と考えを巡らせていたところ、少年は私を見上げ、核心に迫るよう訊ねてきた。
「おいらしってる。おまえ『テンニョのオンケイ』、つかえるんだろ?」
「……!」
「だとしたら、いちぞくをせおうハク兄のツガイにぴったり。いまのおいらたちにはおまえの〝チ〟がひつよう。げんきなこども、ひつよう。でも、どうしてもハク兄じゃだめだっていうなら……そうだな……おいらのツガイにしてやってもいい」
「いっ⁉︎ い、いやあ、なんだかよくわからないけど、こんなに小さくて可愛い貴方と番になるのはさらにもっと道徳的にまずい気がするというか……!」
「むむ? ちいさいのがふまんなのか? なら、おとなにばけてやってもいい。それならおまえももんくないだろ?」
えっへん、と得意げに仰け反って言う少年に、「そ、そういう問題では……」と、もはやお手上げ状態の私。彼は戸惑う私に構わず腰の辺りにしがみつき爛々とした瞳で愛らしく見つめ上げてくる。
「さあえらべ。おいらかハク兄、どっちがいい? 里にいったらすきなほうとさっそく――どわっ」
「……⁉︎」
純粋無垢な少年の無邪気なアプローチに気圧されてしどろもどろになっていたところ、ふいに私の背後から長い腕がぬっと伸びてきて、小さな少年の首根っこをむんずと掴み上げた。
「なっ、なんだぶれいものっ! はなせっ!」
「ずいぶん目障りなのがチョロチョロしてると思えば……妖狐族のガキか」
「あ……」
「むっ」
懐かしい声が耳に触れ、ハッとする。振り返るとそこには――。
「童が。誰の入れ知恵か知らねえが、鬼の獲物に手を出そうなんざ五百年早えんだよ」
艶やかな漆黒の髪に、冷たく光る紫銀色の瞳。着流の上に家紋入りの羽織を纏い、片手で持ち上げた少年を窘めるように睨んでいる彼の姿があって、思わず目を見張った。
「て、天堂さんっっ!」
思いもよらぬ再会に頓狂な声を上げる私。
久方ぶりに目を合わせた彼は、鋭い目つきをやや和らげて――ふっと、妖艶な表情で笑ったのだった。