7-1 小さな刺客
◇
「ねえ、聞いた? 〝三つ巴の抗争〟が激化してるんだってね」
「聞いたよ〜。特に〝狐〟があの天下の〝鬼〟を圧し気味なんでしょう? 非常事態だから〝上級〟のあやかしたちはみんな學園を休んでるって噂だけど、確かに今、学び舎で鬼や狐の姿、全然見かけないよね。なんだかすごいことになりそうで怖いなあ」
――そんな物騒な噂話を小耳に挟んだのは、件のお茶会から約一週間ほどが過ぎた日のことだ。
あれから早数日……犬飼くんや玉己くん、小雪ちゃんたちクラスメイトは普段通りの日常生活を取り戻し、不登校だった河太郎くんは無事に手続きを済ませて今日も特待生として講義や演習などに勤しんでいる。
交流のあるクラスメイトたちが平穏な生活を送れていることに愁眉を開く傍ら、何よりも気掛かりとなっているのは、先ほども耳にした〝噂〟についてだ。
あのお茶会の日以降、一度も九我さんに会っていない。
そればかりか天堂さん……いや、天堂先生においては、零番街で助けられて以来、再会はおろかすれ違うことすら叶わないまま今日に至ってしまっている。
一言だけでもいいから迷惑をかけたお詫びや、助けてもらったお礼がしたいのに。
毎日のように教員ラウンジに通って機会を窺っているものの、つい今しがた部屋を覗いた際も天堂先生の姿はなかった。
〝上級あやかし〟の間で一体なにが起こっているのか。近しい存在から状況を窺おうにも、噂の通り学校中から妖狐族、鬼一族、天狗族の姿が消えてしまっているためそれもままならず、悶々とする日々が続いている。
「……」
勝手に〝番〟扱いしてきたり、周囲に匂わせたり。顔を合わせれば容赦なく人の心を振り回してきたりして本当に困った人だなあと今まで散々思ってきたけれど、こうもぱったり会えなくなってしまうとそれはそれで調子が狂うというか。
気がつけばずっと、天堂さんのことを考えてしまう自分がいた。
「(やっぱり今日もいなかったな……)」
教員ラウンジを後にした私は、小さなため息をつきながら医學部の学舎へ引き返す。ふと――その道中、医學部棟の正面玄関脇にある小庭あたりに、ちょっとした人だかりが出来ているのが目に入った。
「フトドキものめっ。イガクブでちょっとアタマがいいからってブレイにもほどがあるぞっ! ハク兄にたのめば、おまえらなぞあっというまにカクリヨツイホーなんだからなっ。それがイヤならおとなしくおいらがさがしてるムスメのイバショをこたえろっ」
円の中心にいる、小さな幼子――白銀の狐耳と尻尾を生やした、見た目は五歳前後に見える妖狐族の少年――が、周囲を取り囲む医学部生達に向かって何やら威勢よく叫んでいる。
「……?」
一体何事だろう。近くまで歩み寄り、首を傾げて中を覗いてみたところ――。
「おいおいチビ助。いくら妖狐族ったってなあ、おまえみたいな礼儀知らずのがきんちょ相手じゃ敬意を示す気にもならないし、第一、他者に物を訊ねるときはそれなりの態度ってもんがあること、〝上級教育〟でちゃんと習わなかったのか?」
「んなっ」
「そうそう。しかもお前が言うムスメ――〝ハナゾメコトハ〟っていえばあの『天下の天堂家』の番の子だよな? 万が一居場所を知ってたとしたって、妖狐族のヤツを取り次いだりなんかしたらどんな仕打ちを受けるかわからないから教えるわけがないだろ。さー、医學部生は忙しいんだ。門人でもない未就学児のお子ちゃまは帰った帰った!」
聞こえた自分の名前にぎょっとする。おまけに、鼻であしらわれた少年はみるみるうちに赤面して憤慨を露わにしていて、これはまずいぞと直感する。
「だっ、だれがミシュウガクジだっ‼︎ おいらはこうみえても齢百十七、九我家にダイダイつかえる名家・六郷家の八男、狐々丸さまだぞっっ! それに『鬼』の天下なぞもうじきにおわる、九我家がホンキを出せばあっというまに妖狐族がカクリヨのチョーテンにたつんだからな! カキューごときがちょーしにのってオオグチたたいてると……」
「あ、あのっ、ちょ、ちょっとごめんなさい!」
「⁉︎」
「!」
今にも飛びかかりそうな勢いで前のめりになっている少年を食い止めようと、慌てて輪の中へ飛びこむ私。
医學部生たちは驚いたようにこちらを見、少年も愛らしい眉を顰めて『誰だおまえ』と言わんばかりの表情で私を見上げた。
じわりと滲む冷や汗。勢いで飛び込んでしまったけど、どうしよう。うまくこの場を取りまとめる言い訳が思いつかない。
「(で、出た、本人……!)」
「(ど、どうする? 烏や狐の奴らに変な動きがあればすぐに報告しろって言われてるし、揉め事が起こる前に休んでる鬼の奴らに連絡入れておくか?)」
「(そ、そうだな。いくらガキとはいえ妖狐族っぽいし、念のため連絡だけは入れておいた方がいいかもし……)」
「おい、ムスメ! なんだおまえ、おいらは今、こいつらに……もがっ」
「す、すみません先輩方。この子はその、えっと……私のお友達のお友達のお友達の兄妹の弟の友達でして……」
「と、友達の友達の友達の兄妹の弟の友達……?」
「むがっむがっ」
とにもかくにもこの少年が私を探していることには間違いなさそうだし、忙しそうな天堂先生にこれ以上負担をかけるのも忍びない。また、変に話がこじれても厄介だと思って少年の口を塞ぎながら偽の知人であることを主張すると、少年はひどく不満そうだったけれど仕方がない。愛想笑いを浮かべて後退りながら、さらに後押ししておく。
「そ、そうです。友達の友達の友達の兄妹の弟の友達……。み、見ての通り、妖狐族と言っても純粋無垢な幼子ですし、なにも問題ないですよ〜。ちょっと用事があっただけだと思うので、天堂先生には報告しなくて大丈夫です」
「え、でも……」
「ほ、本当に、天堂先生には報告しなくて大・丈・夫です……!」
「むぐむぐむぐっ」
何か言いたそうな少年の口を抑えたままへらりと笑い、今生の目力で先輩方に無言の圧をかける。すると、
「そ、そうか……。よ、よくわからないけど本人がそういうなら……」
「だ、だなあ」
やや困惑気味に顔を見合わせた先輩たちだったが、やはりそこは天堂さんの威光もあってかスッと引き下がってくれた。
「お、お騒がせしてすみませんでした。で……では、私たちはこれで失礼しますね」
「むがーーーっ」
チャンスとばかりに「さ、いこっか〜!」と、強引に取りまとめてから少年の小さな体を担ぎ上げ、さささッとその場から退散する。
少年は最後まで不服そうにジタバタと暴れていたけれど、そこはもう我慢してもらうことにして……。
去り際――。
「(なんだ、知り合いだったのか……)」
「(今、三つ巴の抗争が激化してるみたいだし、『鬼の天下が終わる』とかなんとかほざいてるから、てっきり狐が差し向けた刺客かなんかかと思ったよ……)」
「(俺も俺も。まあ、後が怖いし関わらない方がいいな。くわばらくわばら……)」
背後で聞こえたヒソヒソ声に苦笑を滲ませつつ。なおも暴れる少年の小さな体をぎゅっと抱きしめて、私たちはひとまず医學部棟を離れ、人気の少ない場所まで移動したのだった。