6-25 これが噂のじょすかい(2)
◇
振り返るとそこには、首の長い女性や黒髪の生えた猫の女性、肌が所々鱗のようになっている女性――いずれもあやかしの学生さんだ――が、穢らわしいものを見るような目で、こちらを見下ろしていた。
「……? はい。そうですけど……」
「(げっ。ろくろ首に猫又娘に人魚……ちょっと花染さん、この人たち、一つ上の法学部の先輩たちで、熱狂的な天堂先生や狐の彼のファンとして有名な人たちよ!)」
「(! そ、そうなんだ……!)」
「(ええ。きっと貴女のことを妬んで何か因縁付けにきたに違いないわ)」
「(あはは、首長ーい)」
「(って、ちょっ。シキ、アンタはちょっと黙ってなさいって)」
一体何事かと目を瞬くおばちゃん、ハラハラしたようにこちらを見ている霊華さんをよそに、その三人の先輩方は、小雪ちゃんの嫌な予感を的中させるよう、腰に手を当ててふんぞり返るように、刺々しい言葉を浴びせてきた。
「ふうん、あなたがハナゾメコトハね……。なによ、別に絶世の美女ってわけでもないし、たいした色気があるわけでもない……単なるちんちくりんで鈍臭そうな人間じゃない」
「うっ。い、色気のないちんちくりん……」
「あはは。ねーねーコユキ、ちくちくりんってなにー⁉︎」
「あわわ……」
「ちょ、ちょっと先輩たち⁉︎ それはあの、ちょっと言い過ぎっていうか。花染さんに対して失礼なんじゃないかと……」
「なによ雪ん子。あなたには言ってないしちょっと黙ってなさいよっ」
「うぐっ。あ、あの、私、雪ん子じゃなくて、その……雪女なんですけど……」
「っていうかハナゾメさん、あなた。噂で聞いたけど天堂様の番なんでしょう? そのくせハク様にもご贔屓にされてるって噂だけど一体どんな色目を使ったっていうの⁉︎ おまけに純粋無垢な下級妖達まで唆して誑かして囲って、お菓子や軽食で手懐けるだなんてやることが汚いったらありゃしない! ちょっと優秀な遺伝子を持ってるからって調子乗ってるんじゃないわよ!」
「そうにゃそうにゃ! 人間臭いったらありゃしないにゃ!」
「え、えーっと……私まだ、番になったわけじゃ……」
「貴女の意見なんか聞いてないし口答えしてんじゃないわよ生意気な女ね!」
「は、はあ……」
「(あははコユキ無視されてるー!)」
「……(ほっといてよ)」
どうやら彼女たちは、私への苦情を言いにきたらしい。ひどく憤った表情で捲し立てるように窘めてくるのだけれど……参ったな。今までも『人間嫌いのあやかしさん』たちから疎まれるようなことを言われたり、時に厳しく口撃されたりすることがしばしばあったが、それはもう私の中で異文化交流の一つみたいな感覚として割り切っていた。
けれど、受け流せばいい普段と違って、今日はゲストのおばちゃんだっているし、せっかく集まってくれた小雪ちゃんたちだっている。周囲のみんなに極力不快な思いをさせず、この状況からうまく抜け出すにはどうすれば良いだろうと考えあぐねていた――そのとき。
「おいおい。みろよタマ。なんかくっせーのがいんぞ」
「⁉︎」
「おー、マジだ。よくこんなくっせー匂い撒き散らしながら食堂これるにゃあ。これじゃ飯が不味くなるにゃ」
聞き慣れた毒舌が、殺伐とした空気を切り裂くよう食卓に降ってくる。
「!」
驚いて振り返るとそこにいたのはやはり、いつものように不機嫌そうな顔でこちらを睨んでいる犬飼くんと、パーカーのフードをまぶかにかぶり気だるそうに歩く玉己くんだ。
「いっ、犬飼くん、玉己くん!」
「! 犬神と化け猫……? 誰だか知らないけどやっぱり貴方たちもそう思うわよね⁉︎ これだから『人間』は……」
「勘違いすんじゃねえよ。くせーのはおめえらのドギツイ香水の方だっての」
「なっ」
「そーそー。こんなに臭くちゃお上品な上級あやかしサマサマ――天堂や九我の野郎たちに『見苦しいなあ。これだから下級は下品なんだよ』とかなんとか白い目で見られて下級全体がバカにされちまうってんだよ。特にクガの野郎なんかは紳士に見えて腹ン中真っ黒だから、ともすれば不快な匂いの一つで食堂全体が火炙りにされかねねえっつうの」
「ななな……」
わなわなと震える先輩衆を高圧的に見下ろし、ふん、と意地の悪い笑みを浮かべる犬飼くんと、律儀に九我さんのモノマネをして肩をすくめている玉己くん。
「ふ、二人とも……!」
「なん、なんなのっ、あ、あなたたちねえっ……」
先輩衆は抗議か、恨み言か、すかさず何かを言おうと口をまごつかせたのだけれど、さらに別の方向から降ってきた透明感のある声に、それを遮られる。
「おいおい。そんなくだらない理由で神聖な食堂を焼き払うほど僕は心狭くないし、その似てないモノマネにいちいちツッコんで批評するほど暇でもない。君だけピンポイントで火炙りにされたくなければ、その風評被害も甚だしい不快なお遊戯は他所でやってくれないか」
「!」
「げっ。出やがった」
「……! は、は、はははハクさまっ……!」
いかにも迷惑そうな顔で、玉己くんの斜め後方に立っていたのは、言わずもがな九我さん本人だ。いつもの軍服のような装いに校章入り外套を纏い、腰に手を当ててこちらを見下ろしている。噂のご本人のお出ましに、あやかしの先輩たちはきゃあきゃあと声を上げて身を寄せ合った。
「く、九我さん! お身体はもう大丈夫なんですか……?」
「ああ、おかげさまでね。君が僕を探していたっていうのを聞きつけて、長居は無理でも挨拶だけならと思って少し立ち寄ったんだ」
「そうだったんですね。わざわざありがとうございます」
「いや、それはそうとずいぶん面倒な輩たちに絡まれてるようだけど大丈夫かい? 君のご所望なら不快な輩をまとめて消し去ってやることも可能だが」
「待て待て待て待て待て。俺中心に指差すにゃよ! 顔がマジすぎるんだが⁉︎」
「僕はいつだって大真面目だよ。まあ、化け猫くんには借りがあるし、せっかくの茶会に水をさすのもなんだから、さして問題がないというなら今回は穏便に済ますが……」
九我さんはそこまで言って、きゃあきゃあと色めきだっているあやかしの先輩たちを一瞥する。凍りつくような冷ややかな視線に、女性陣は一瞬にしてぴたりと押し黙った。
「あいにく、時代錯誤な種族差別を声高に掲げるような品のない女は嫌いなんだ。僕の大切な学友に害をなすような輩は老若男女例外なく排除するつもりでいるから。これ以上なにか迷惑を被るようなことがあれば、遠慮なく相談してくれていいよ、花染サン」
「!」
「う……」
九我さんの刺すような視線に、あやかしの先輩たちが青ざめながら後退る。
ど、どうしよう。なんだか以前に増して九我さんに贔屓にされてる気がしないでもないし、これは乙女側からすると余計に顰蹙を買う形になってしまうんじゃ……と、一人あわあわしていると、九我さんは「そうそう」とこぼしてからこちらに歩み寄ってきて、
「相手が邪魔な〝鬼〟なら尚更……容赦はしないつもりだから」
私の耳元で、私だけに聞こえるようにそう呟く。
「……っ」
その甘くも毒々しい囁きにぞくりとして振り返ると、彼は私の目と鼻の先でくすりと魔性の微笑みを刻んでから姿勢を正した。
「じゃあ、申し訳ないけどこれから用があるから僕はここで失礼させてもらうよ。陰湿な輩が悪さをしないよう、後の見張りはよろしく頼む」
玉己くんと犬飼くんに向けてそう言い放つと、九我さんは長い外套の裾をひらりと翻して颯爽とその場を立ち去っていく。
「(う、うう……)」
「な、なんだよアイツ! 勝手に見張り押し付けやがって……」
「んっとに……相変わらずスカした野郎だにゃ! 俺らはちょっと小腹が空いたから軽食とりに食堂へ立ち寄っただけだってーのによ……」
口をぱくぱくさせたまま呆然と突っ立つ私の傍らで、見張りを言いつけられた二人は口を尖らせながらも、やはり〝上級〟あやかしである彼の言葉には逆らえない様子。
「おいこら聞いたか雌ども! あのキツネ野郎に消されたくなけりゃとっとと消えるにゃ!」
不満そうな顔の玉己くんが、あやかしの先輩たちを睨みつけてそう威嚇すると、彼女たちは「ひっ」とか、「きゃあ」とか、口々に悲鳴を上げて慌ててその場から逃げ去っていき、その場に元の静けさが戻ってくる。
ポカン、とする私たち女性陣。
「けっ。ったく、これだからきゃあきゃあうるせえ雌どもは……」
「う、うう……。なんだか余計に波乱な予感がしないでもないけど……でも、助かったよ。ありがとう二人とも」
「勘違いすんじゃねえよバカ! さっきタマが言っただろ。俺らは小腹が空いたから軽めの飯を買いに来ただけだっての」
「そーそー。でも、今気づいたけど財布持ってくんの忘れたにゃ。ちょうどいいからその辺にある茶菓子やら軽食やら飲み物やらさっさと寄越せよ」
お茶会へのお誘いは無碍もなく秒で断ってきた二人だったが、あれこれ難癖をつけつつも、どうやらここで一息ついていってくれるらしい。言うが早いか、玉己くんは早速目の前にあるお茶菓子に手を伸ばしていた。
「あは。うん、わかった。じゃあこれ、二人で食べていいよ」
「おう。言われなくてももう食べてるにゃ」
思わず笑みをこぼしつつもお菓子をすすめる私に、玉己くんは仏頂面で答えながらも手当たり次第にお茶菓子に手を伸ばし、
「ぷっ。なによあんたたち。素直にお茶会まぜて〜って言えばいいのに」
「うっ、うるせーよガリ勉! だあら俺たちはっ……むぐっ」
「はいはい、小腹が空いただけなんでしょ。霊華さんが怖がってるからもう少しにこやかにしてくれない⁉︎」
「……っ、あ、いえ、その……っ」
小雪ちゃんに、お饅頭を一つ口に放り込まれ、顔を真っ赤にしながらもむぐむぐしている犬飼くんと、急に名指しされてオタオタしている霊華さん。
「あはは。わんわんもレイちゃんも顔真っ赤ー! おばちゃんー、シキもわんわんと同じ饅頭たっべるうー!」
「ああ、これ、おばちゃんが持ってきたお菓子か。いいよいいよ、たんと食べな。腹が減ってるってんなら、こっちにアタシが巻いてきた海苔巻きとか稲荷寿司とかもあるから」
ハラハラしながら見守っていたおばちゃんも、にっこり笑顔でシキちゃんとお饅頭やら海苔巻きやらにかぶりついてお茶会を再開している。
どうなることかとヒヤヒヤしたが、なんとか場の雰囲気が和やかムードに戻ったようで心底ホッとする。
おまけになんだかんだで、これでお茶会に誘ったメンツが八割がた顔をそろえたようだ。
小雪ちゃん。霊華さん。シキちゃん。犬飼くん。玉己くん。食堂のおばちゃん。もう行ってしまったけど九我さん。
残る二人は――。
「あっ。きた!」
ぐるりと一同の顔を見渡して、一息ついたときのことだった。
はるか後方、食堂の入り口付近に、物陰に隠れて辺りの様子を窺っている少年の姿があることに気づき、ひらひらと手を振る。
「……!」
「おーい、ここだよ〜!」
そこには、残る二人のうちの一人――今朝、探すに探し回ってやっとの思いで見つけ出し、満を辞して声がけしていた河童の河太郎くん――が、いつものニット帽を目深にかぶり、辺りを警戒するような顔つきでひっそりと佇んでいたのだった。