2-3 猶予
(考えてみれば、鬼といえば昔から生贄にされたり拐われたり、いい話なんて聞かないものね。今は幽世警察や現世でも特殊捜査班なんかがあるから、そこまで悪い鬼なんていないものだとばかり思っていて油断したわ)
「他に言いたいことがないなら行くぞ」
「あの」
「……?」
「やっぱり、納得できません」
「ほう」
「私は自分のためにも、お世話になったじいちゃんのためにも、どうしても学び舎に通って妖医になりたいんです。ですから、他の方をあたっていただけないでしょうか」
「……」
無理を承知で真正面から拒否の意を示した私は、相手が黙した隙にそっと腕を外す。
思いのほかするりと外れた腕。
思っていた通り、無愛想で強引な人ではあるけれど、先程の鬼たちのように否が応でも力でねじ伏せる……といったことはないようだ。
「そうか。なら仕方ない」
「わかっていただけ――」
「とでもいうと思ったか?」
「……っ」
――そう思ったのも束の間、ひょいと抱え上げられじたばたと足を振る。
「お、おろしてくださいっ」
「納得できんというなら力尽くで連れて行くまでだ」
「待ってください。こんなやり方、間違ってます。幽世警察の方が黙っていませんよ」
「幽世警察の上層部とは懇意にしている。介入はさせん」
「そんな……」
「まだ他に何かいうことはあるか」
「えっと、その」
うう、と唸りながらも必死に考える。その間、なんとか逃げ出そうと力を込めたりもしたけれど、相手は鬼と名乗るだけあって相当な力があるようでいくら手足を動かしてもびくともしない。
このままでは本当に、名前すらわからない相手のお嫁さん? にされてしまう。切羽詰まった私は、
「私……その、好きな人がいるんです」
何を思ったか余計なことを口走ってしまった。
理由としてはそこまで大きなものではなかったが、予想に反して男はぴたりと動きを止めた。
「ですから、そんな気持ちで輿入れなんてできませんし、あなただってそんな中途半端なお嫁さんは迷惑でしょう?」
「……」
「それに、もし万が一、私があなたの元へ嫁いだとしても、今は女性だって社会進出できる時代です。女性だからと学ぶ機会や働く機会を奪ってお屋敷に閉じ込めるというのは、ちょっと時代にそぐわない気がするのですが……」
おずおずととそう告げると、男はしばし黙していたがふいにすとんと私の体を地面に下ろした。
四肢に自由が戻り、ほっとする。
「想い人……男女の契りを交わした仲か?」
「え? あ、いえ。よくわからないですけど、私が勝手に憧れているだけです」
「ふん。片恋か。ならばさほど問題ない……が、目障りな存在だな」
「め、目障りって。その方は関係ないですし、怖いこと考えないでくださいよ……」
「……」
無言が返ってくる。先程の発言がよほど癪にさわっている様だ。
どうしよう。好きとか、憧れているといっても、ちょっといい人だな、素敵だなって思ってたぐらいでそこまで意識しているわけでもなかったのに。
鬼というのはそういうところ妙に気にする生き物らしい。
「まぁ、人の子などせいぜい百年生きたかどうかの小童だろう。取るに足らん。いずれカタをつければいい話」
「(百年で小童ってこの人一体いくつなんだろう……)」
「それはともかく、後者についてはお前のいうことにも一理ある」
「……!」
「鬼に説法など歴代の頭領なら一蹴しただろうが、生憎俺は一族の閉鎖的な考え方には辟易している。お前のその度胸に免じて、しばしの猶予をくれてやる」
「猶予……ですか?」
突き放したつもりが、事はなんだか妙な方向に進み始める。
男は私の手の甲――學生証が潜んでいるあたりだ――をじっと見つめてからさらに続けた。
「学び舎に通いたければ通うがいい。ただし護衛をつける。放っておいて変な虫がついても困るからな」
「なっ。そ、それは困ります。護衛っていっても結局は監視みたいなものですよね。悪目立ちするのも困りますし、在学中ずっと気を使うのもちょっと……。それに私は『番』っていうのになるとはまだ一言も……」
「お前にとっても悪くない話だぞ。幽世にいる人間は狙われやすい。それは幽世で過ごす時間が長くなればなるほど身をもって痛感することになる。志半ばにして妙な輩に絡まれ、面倒ごとに巻き込まれたくなければ大人しく従っておけ」
「……っ」
「案ずるな。望み通り、目立たないよう配慮してやるし悪いようにはしない」
「ほ、本当ですか?」
「ああ。そうして見定めた結果、妖医としての存在意義がないと判断した暁には、学び舎側にお前を除名するよう進言して、即刻番契約を交わすよう取り計らうから覚悟しろよ」
「う……。じ、じゃあ、私が妖医を目指す者として幽世に棲まうあやかしたちに認められたり、受け入れられれば監視を解いて、『番』という話もなかったことに……自由の身にさせてくれるってことでいいんですよね?」
「そういうことだ。まぁ、アクの強い妖どもに己の存在を認めさせるなど修羅の道に過ぎんがな」
ふん、と勝ち誇ったような顔で嗤われ一抹の不安にかられるが、この状況を打破するためには、今ここで頷くほかないだろう。
「……」
すでに面倒ごとに巻き込まれている気がしないでもないが、相手は鬼だ。とって食われないだけマシなのかもしれない。
「わ、わかりました」
素直に頷いて見せると彼は満足したようだった。
「その言葉、忘れるなよ」
くるりと踵を返し立ち去ろうとするので、慌てて呼び止める。
「あの!」
「……」
「名前……。せめて名前ぐらい教えてもらえませんか」
最後まで自分のペースを貫いて立ち去ろうとする男に、ちょっとむっとしながら問いかけるとその男は、
「要」
「かなめ?」
「ああ。天堂要だ」
凛然とした佇まいと口調でそう名乗った。
「テンドウ……カナメ」
豪気な笑みに、刺すような視線。隙のない構えに、雄々しい立ち振る舞い――。
「念のため忠告しておく。あの力は金輪際俺の居ぬところで使うなよ」
「……!」
「わかったなら俺の気が変わらぬうちにとっとといけ」
こくん、と頷き踵を返す。このまま逃げきれれば二度と会わなくて済むのに――なんて、出来もしないことを考えながら橋を渡りきったところで背後を振り返ると、男は舞い散る美しい紅葉の葉に包まれながら、静かにそっとその場に佇んでいた。
あまりの美しい光景と立ち姿に、目眩がしそうになる。
「テンドウ……カナメ……」
男の名を今一度口の中で小さく繰り返す。
微かに蘇る、血の匂いに混じった崇高な華のような香り。
(あの人、どこかで……)
会った気がしないでもないと感じたのは、気のせいだろうか。
根拠なく感じた既視感に戸惑いつつもかぶりを振って前を向く。
幽世にきて早々、まさかこんな大事に至るなんて――。
先行きに不安を感じつつも、やるしかない、きっと認めさせてみせるんだという揺るぎのない思いを胸に、私はその場を後にした。